1942年7月22日上海生まれ、58歳。3歳で上海から引き揚げ、5歳より田川郡に転居する。高校卒業後、銀行に5年間勤め、23歳で結婚。2児の母となる。ご主人の転勤に伴い、稲築町に居住。公民館活動を通じ、多くのことを学び、現在は趣味も楽しみながら、さまざまな社会活動を行っている。鴨生町福祉部長。稲築町文化連合会副会長。人権擁護委員会委員。政治倫理審査会委員。いなつき環境フェスタ実行委員長。いなつき河童共和国環境大臣。その他にも多くの役をこなす。稲築文化連合会で今年2月に開催された10周年事業では、3部構成による音楽構成劇のシナリオを書き、高い評価を受けた。
取材・文/西島 京子
●小学4年生を対象とした環境学習での講義風景
●使った割り箸を洗って干して段ボールに詰め、王子製紙に送りパルプへとリサイクルする
●柳川のクリークについて勉強に行き、川下りで記念撮影
福岡県の中央にある嘉穂郡のやや東側に位置する稲築町は、緑豊かな水田が広がる美しい町だ。町の南西部には一級河川の遠賀川、南東部には山田川が流れている。
稲築町の歴史は古く、縄文時代のものと思われる石鍬や石匙などが発見されており、弥生時代の吉成古墳、古墳時代の沖出古墳などからも貴重な遺物が出土されている。
また最近では、万葉の歌人・山上憶良の有名な歌「しろかねもくがねも玉も 何せむにまされる宝子にしかめやも」などの「子らを思う歌」がこの地で選定されたのではないかと注目されている。
水環境保全の意識高揚を訴える「いなつきの環境を考える会」会長の荒木紘子さんは、この稲築町に暮らして30年になる。会の発足は平成6年9月で、今年8年目を迎える。会員数は50人ほどで、活発な活動をしている。
「10数年前に水不足が起きて、福岡市では1日5、6時間くらい断水したことがありましたでしょう。その時、川の伏流水を使っている稲築町は断水にはなりませんでした。でも、水道水に大量のカルキが含まれるようになったんです」。
危機感を持った荒木さんは、研修会などで一緒になった町内女性リーダー5、6人と「水が汚れる原因の8割近くは生活雑排水だから、私たちも言うだけじゃなくて、行動しなければ」と話し合い、会を発足することになった。
●母子手帳交付時、若い母親にプレゼントする3点セット
「一人ひとりがライフスタイルを考え直せば、川の水もきれいになるんじゃないかと考えたのです。歴史的に考えても稲築は町の中央に川が2本流れていて、水が絶えることがない。古墳時代には類のない王冠をかぶった埴輪とかも出土されています。カッパ伝説がいくつかあって町には『なつきちゃん』というキャラクターもいます。だから稲築町は水の恵みを受けて栄えてきたところだと思うのです」。
稲築出身ではないけれど、この町が大好きと荒木さんは顔をほころばせる。
会の趣旨は「命の水をみんなで守ろう」というもので、「SAVE OUR NATURE」と書かれた会のマークは稲築出身の二科会の会員さんに頼んだ。啓発運動に使っているチラシには、食品の汚れを浄化して魚が住める水に戻すために必要な水の量が風呂桶何杯分に相当するかがわかりやすく書かれている。
活動内容は、《学習会や先進地視察》《水を汚さない工夫と実践のために、廃油で石けんを作り、アクリルタワシを推進、合成洗剤を追放する》《環境意識を啓発していく》《母子手帳交付時に、環境3点セットを贈り、若い人たちに環境意識を促す》《割り箸をリサイクルさせる》《町内の学校と交流する》《ハーブ学習によるアロマセラピー》《やすらぎの水辺をめざし親水公園づくりに参画する》で、これらはすべて稲築町の川の水質改善と住民の環境意識高揚につながるものだ。
●会員たちが力を合わせて廃油から固形石けんをつくる
「一人ひとりがライフスタイルを考え直せば、川の水もきれいになるんじゃないかと考えたのです。歴史的に考えても稲築は町の中央に川が2本流れていて、水が絶えることがない。古墳時代には類のない王冠をかぶった埴輪とかも出土されています。カッパ伝説がいくつかあって町には『なつきちゃん』というキャラクターもいます。だから稲築町は水の恵みを受けて栄えてきたところだと思うのです」。
稲築出身ではないけれど、この町が大好きと荒木さんは顔をほころばせる。
会の趣旨は「命の水をみんなで守ろう」というもので、「SAVE OUR NATURE」と書かれた会のマークは稲築出身の二科会の会員さんに頼んだ。啓発運動に使っているチラシには、食品の汚れを浄化して魚が住める水に戻すために必要な水の量が風呂桶何杯分に相当するかがわかりやすく書かれている。
活動内容は、《学習会や先進地視察》《水を汚さない工夫と実践のために、廃油で石けんを作り、アクリルタワシを推進、合成洗剤を追放する》《環境意識を啓発していく》《母子手帳交付時に、環境3点セットを贈り、若い人たちに環境意識を促す》《割り箸をリサイクルさせる》《町内の学校と交流する》《ハーブ学習によるアロマセラピー》《やすらぎの水辺をめざし親水公園づくりに参画する》で、これらはすべて稲築町の川の水質改善と住民の環境意識高揚につながるものだ。
●会員や関係者とともに、親水公園完成時に写した写真
●親水公園からゆったりと流れる遠賀川を望む
数年前、小学生や中学生20数名に集まってもらい、子どもたちに「どんな川を望んでいるのか」と荒木さんは聞いた。
「すると残念なことに、町内の川で遊んだと言う子が一人もいなかったんです。川べりが急斜面になっていて、なかなか川面に近付けなかったんですね。平成9年から国土交通省の河川事業の治水、利水、という項目に環境が加わったんですよ。それで、がんばっているボランティアがいるところに親水公園をつくってあげようと、私たちボランティアがいたので相乗効果があったと聞いています」。
稲築町の親水公園はスポーツプラザ裏の遠賀川沿いに昨年の3月末に完成し、町に引き渡された。直接車椅子で降りられるスロープもある。
「私は鴨生地区でコーラス活動をしているんですが、大きな階段がステージのように水辺まで降りているんですよ。花壇にはボランティアで花を植えたり、私たちの会で清掃作業もしています」。
案内してもらった親水公園の立派な階段下には遠賀川が豊かに水をたたえ、なつきちゃん像の横の花壇には花が咲き、女生徒たちが楽しそうに語らいながら帰宅していた。とてものどかな憩いの場所だった。
●親水公園のカッパ像前を歩く中学生
●案内してくれた親水公園で、思わず草むしりする荒木さん
父親が貿易会社の上海支店長をしていたため上海で生まれた荒木さんは、3歳の時に疎開先の北京から列車で脱出した。その翌々日にはソビエト軍が北京まで攻め寄せたという。
「1日脱出が遅れていたら殺されたか餓死していたと思います。だから今、中国から日本に帰って来られた方々を見ると、本当に辛いんです。命を大切にしないといけないと思いますね」と話す荒木さんの目に涙が光る。
田川時代、文学少女だった荒木さんは、「人は寂しい生きもの」と悩み、特に周囲に問題があったわけでもないのに、死ぬことさえ考えた。
結婚して2人の子どもに恵まれ、ご主人の転勤で稲築町に来た荒木さんは、ご主人の子ども会活動に関わって公民館に出入りするようになり、そこで多くの魅力的な人に出会う。勉強するとチャンスが与えられ、そのためにまた勉強するという繰り返しの日々。
「子育てしながら稲築に育てられたという思いがします。40代になって再就職の話もありましたが、主人に『もっと勉強したい』と言うと、好きにしていいよ、って言ってくれたんです」。
話し方を学ぶために、KBCの間島アナが教える「話し方教室」に福岡まで2年半通った。放送大学でも勉強を続けた。8年前に福岡県主催の「女性の翼」という制度で、オーストラリア・ニュージーランド研修に出かけた。
「ニュージーランドは女性の参政権を初めて獲得した国なんです。でも、初めて参政権を訴えた人は死刑にされたと聞きました。そんなこと知らなかったので驚きました。女性たちが血のにじむような努力の中から勝ち取ったんだと、とても勇気づけられました。一人の人間として一生懸命がんばったら、女性とか男性とかは関係なく、いつかは認めてもらえるとわかったから」。
その思いが今の荒木さんを支えているのだろう。
「いろんな団体と手をつないで活動を広め、やすらぎのある町づくりをしたい。素晴らしい故郷なのに、まだ稲築の良さが生かされていない。でも手ごたえはあるんです。皆がいろんなところでがんばり始めましたからね。来年の秋にはカッパ共和国の第9回九州かっぱサミットが稲築で開催されるんですよ」と荒木さんは、希望に満ちたとびっきりの笑顔を見せてくれた。