土木研究所における耐震技術開発研究の動向
土木研究所 耐震研究グループ長
松 尾 修
1 はじめに
九州地方で自然災害といえば毎年の梅雨前線・台風の来襲による土砂災害や水害が馴染み深いと思いますが,2005年3月20日に発生した福岡県西方沖地震は,地震に馴染みの少ない福岡市やその周辺部の住民の方々にはショックをもたらしたことだと思います。
本小文では,地震防災に関する最近の状況をごく概略御紹介するとともに,土木研究所で実施している耐震技術開発研究の一端を御紹介させていただきます。
2 地震防災に関する最近の状況
ここでは国による地震防災に関する活動の概要を御紹介します。詳しくは関連するホームページを御覧下さい。
(1) 地震調査研究推進本部による長期地震動予測
地震調査研究推進本部とは地震による被害の軽減に資する地震調査研究を行うことを目的として,平成7年1月兵庫県南部地震の直後の平成7年7月に文部科学省に設置された政府の特別の機関です。その活動の一つとして,地震動の長期評価を行うことがあります。
地震調査研究推進本部が2004年3月25日に発表した資料によると,「今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率」を九州全域で見ると0.1~3%程度となっています。また,「今後30年以内に3%の確率で発生する震度」は九州全域で見ると震度6弱から5弱以上となっています。もう少しわかりやすく表現すれば,1000年に1回程度(再現期間1000年程度の)生じる震度の大きさは6弱から5弱以上ということです。日向灘に面する宮崎県から大分県にかけての沿岸部に震度6弱以上の領域が分布しており,九州西北部に向かって小さくなる傾向を示し,長崎県や佐賀県では震度5弱以上となっています。福岡市およびその周辺部は震度5弱から5強以上となっています。地震調査研究推進本部のホームページに分布図が示されていますので御覧いただけばわかりますが,全国的にみて,九州地方は必ずしも地震活動度が高い方ではありません。このことから,九州地方は大丈夫だと安易に考えない方がよいと思います。というのは,2004年に新潟県中越地震が発生した地域(最大震度7を記録)でも九州北部3県と同程度の地震活動度と評価されており,また,現に2005年福岡県西方沖地震では,福岡市およびその周辺地域で震度6弱の揺れに見舞われています。
地面の下にはわれわれの知らない活断層が隠れており,また,活断層についてのわれわれの知識は限られている訳ですから,地震調査研究推進本部の評価結果は,「少なくともこの程度の揺れは起きる」と理解するのが妥当なのでしょう。
(2)中央防災会議による地震被害想定・地震防災戦略
中央防災会議は内閣総理大臣を議長とする政府直属機関ですが,1995年に兵庫県南部地震が発生した後その活動の一環として,我が国の主要な地域における地震動の長期予測および被害想定を行っています。我が国で近い将来に発生の危惧される広域大地震は,太平洋側のプレート間断層による東海地震,東南海地震,南海地震などですが,これらの地震発生確率予測,地震動予測,被害想定などを行っています。
これまでに公表された被害想定結果のうち主なものを表ー1に示します。被害想定は,地震の起こり方,発生時刻などにより幅がありますが,表ー1はそのうちの最悪のケースによる結果です。
1995年兵庫県南部地震による犠牲者が6,436人,被害総額が約10兆円といわれていますから,これに比べてもいかに甚大な被害規模であるか一目瞭然です。首都圏や我が国東西交通の要衝である東海・中部地域が万一このような地震被害を受けると,我が国全体の経済社会活動の停滞をも招くことが危惧されています。
中央防災会議ではまた,このような被害想定結果を受けて,政府全体および民間部門も含めて,地震被害軽減のためのアクションプランを策定する必要があるとして,平成17年3月に「地震防災戦略」を発表しています。その具体的な目標は,「今後10年間で人的被害・経済被害を半減させる。」ということです。
(3)国土交通省における公共土木施設の耐震強化対策
道路部門では,兵庫県南部地震以降,既設橋梁の耐震補強が行われてきています。現在の橋梁の耐震基準に適合しない全国の橋梁すべてを補強し終えるのは時間的・財政的にも膨大であることから,「橋梁の耐震補強3箇年プログラム」(平成17年度~平成19年度)が現在進められています。これは,緊急輸送道路および高速道路をまたぐ跨線橋・跨道橋について,平成19年度までの3箇年で重点的に耐震補強を実施し,重要な路線などの橋梁については耐震補強を概ね完了しようとするものです。これは国だけでなく,都道府県・市町村とも連携して進められています。
河川部門では,兵庫県南部地震以降,堤防の耐震補強が進められてきています。地震により堤防が沈下変形した後に越水するおそれの相対的に高い下流部で,かつ堤内地盤高の低い地域にある堤防を対象に事業が進められています。これまでの耐震診断・補強対策では,公称「レベル1地震動」を対象にして,変形量を直接には評価しない(できない)手法で耐震診断し,また対策工の設計が行われてきています。そこで,国土交通省河川局では技術検討会を設置し,レベル2地震動を考慮して,沈下変形量により耐震診断し,かつ補強対策を行うという方法を開発することが検討されました。今後,試行検討がなされ,いずれ運用されていくものと思われます。なお,レベル2地震動を考慮するようになると,従前に比べて要対策区間が大幅に増えるのではないかと懸念する方もおられるかと思いますが,従前の耐震診断手法は技術的に未熟な方法であったため,かなり安全側の評価をするようになっていました。このため,公称「レベル1地震動」であったことと相殺して,新たに耐震診断をすることにより要対策区間が増えることはないのではないかと思われます。
3 土木研究所における耐震技術開発研究の動向
土木研究所は,平成13年度より独立行政法人となっていますが,その前の建設省に属していた時代より,公共土木施設の耐震技術に関する研究開発を実施し,現在に至っています。道路橋示方書をはじめとする各種技術基準・指針類の策定支援や,マニュアル策定,あるいは現場事務所などからの技術相談支援などを行ってきています。
ここでは,最近の耐震技術開発研究に関する話題として,土木研究所の重点プロジェクト研究に位置付けられているものの概要を御紹介します。
(1)土木構造物の経済的な耐震補強技術に関する研究(平成14年度~17年度)
これは,研究の背景として,上に述べたように,近い将来に大規模地震の発生が高い確率で予想されており,地震被害軽減のためには既設の土木構造物の補強を急ぐ必要があるということがあります。このため,無駄のない,合理的かつより経済的な耐震診断・補強技術を開発することを目的としています。対象とした施設は橋梁,盛土,および下水道管路です。
図ー1.1~1.3に,研究の達成目標ごとに「得られた成果」,「成果の普及」,「社会への貢献」を模式的に示しています。紙数の関係で詳細に御説明することはできませんが,一部をかいつまんで御紹介します。
1)橋梁の耐震診断・補強技術(図ー1.1参照)
図中の右上に,河川の中に橋脚がある橋梁の模式図を示しています。河川中に位置する橋脚の耐震補強を行うためには仮締切という仮設工が必要であり,陸上に位置する橋脚を耐震補強するよりも何倍も多くの費用を要します。
これまでの橋脚の耐震診断の方法では,橋桁がピン固定された河川中の橋脚は,橋脚および橋桁の重量による地震慣性力を受け,それにより橋脚がどれくらい損傷を受けるかということを予測し,補強の要否を判断していました。しかし実際には,地震で橋脚・橋桁が水平方向に振動変位すれば,橋の両側にある橋台に衝突し,橋桁の水平変位は抑えられます。このようなことを正当に評価すれば,河川中の橋脚は損傷が抑えられ,耐震補強をしなくてもよい,という結果が得られます。このような評価法を提案しました。
また,仮に河川中の橋脚の耐震補強が必要という診断結果となった場合でも,たとえば中段の図に示すように,橋台のパラペットを補強して橋桁の衝突に耐えるようにすれば河川中の橋脚を耐震補強しなくてもよいことになり,結果として大幅なコスト縮減を図れることになります。このような,より経済的な補強工法を提案しました。
なお,これらの成果の一部は前記2.(3)に述べた「橋梁の耐震補強3箇年プログラム」にも反映されています。
2)河川堤防の耐震診断補強技術
(図ー1.2参照)前記2.(3)に述べたように,レベル2地震動を考慮して堤防の沈下変形量を予測評価して耐震診断,および対策工の設計を行う手法を開発しました。図中の右に示すのは,上が模型振動実験による堤防(これは高規格堤防)の変形,下が予測計算による堤防の変形であり,おおよそ実験結果を再現できていることがわかります。有限要素法を用いていますが,複雑な調査試験・解析をしなくてもよいように簡略化した手法としています。これらの成果は「マニュアル(案)」としてとりまとめ,国土交通省が耐震診断(再点検)を行う際には活用されることを想定しています。
3)下水道管路の耐震補強技術(図ー1.3参照)下水道管路は,近年の主要な地震では多大な被害を生じています。その主な原因は,下水道を埋設する際に掘削・埋め戻した土が液状化することにあることがわかっています。その浮力により管渠やマンホールが路面上に浮き上がってくるのです(写真一1参照)。
埋戻し土が液状化しやすいのは,液状化しやすい山砂が従来より多く用いられていること,および,締固めが必ずしも十分でないこと,によっています。下水道管路施設の建設費用はごく大雑把に延長1mあたり4万円程度と言われていますから,本格的な(費用の高い)液状化対策工法を提案しても利用されません。そこで提案したのが,図中の右に示す液状化対策工法です。いずれもわずか数%のコストアップで済む工法です。有効性は実験などで確認しました。2003年十勝沖地震や2004年新潟県中越地震で被災した下水道管路の復旧工事において「固化改良土埋戻し」工法が早速採用されました。これは名前は仰々しいですが,掘削した現地発生土にセメントなどを混合して埋め戻す,単純な工法です。
(2)大地震に備えるための道路・河川施設の耐震技術(平成18年度~22年度)
このプロジェクト研究は,上に述べた第1期プロジェクトのいわば継続版です。研究の背景,目的はほぼ同様ですが,内容に若干の違いがあります(図ー2参照)。
対象とする施設は,橋梁,山岳道路盛土,ダム,堤防以外を含む河川構造物と拡がっています。また,耐震診断・耐震補強技術だけでなく,震後に如何に早く被害を検知し,被災度を診断し,早期復旧するかという,震後の早期復旧を早期に行う,いわゆる「減災」技術をも研究開発としています。今年度からの5か年プロジェクトですが,得られた成果は随時現場に活用してもらうべく取り組んでいく所存です。
4 おわりに
九州地方では少なくとも過去数百年には壊滅的な被害をもたらすほどの大地震は発生していないようです。しかし本文でも述べたように,たとえば2004年の新潟県中越地震クラスの地震が起こる可能性は否定できないようです。地震は風水害と異なり,人間の寿命よりもはるかに長い間をおいて発生するものであるために,災害の経験を実感として共有し,伝承することが難しいという性格をもっています。しかしながらいったん起こってしまうと大被害をもたらします。
国においても地方自治体においても,財政状況は非常に厳しいものがあり,そのような中で,いつ起こるかわからない地震に対して防災投資を行うことは容易ではありません。そのような状況であっても,地道に地震対策を行っていく責務があります。土木研究所では国をはじめとする行政機関が少しでも地震対策を前に進めることができるよう,地震防災技術の研究開発を進めています。本文で述べた重点プロジェクト研究の成果は土木研究所の報告書にまとめ,あるいはマニュアルとしてまとめられていく予定です。御興味のある方は遠慮無く当研究所までお問い合せください。