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筑後川流域文化情報調査について

建設省 筑後川工事事務所
 所長
藤 田 信 夫

大成ジオテック㈱ 技師長
前㈳北部九州河川利用協会 顧問
馬 場 紘 一

本調査は,筑後川における河川管理と地域文化との関係を再構築するため,平成7年度から3年間を要して,川と人々との係わりに関し,文化的側面から種々の調査・分析を行ったものである。
また,多面的視点で調査分析を行うため,各分野の学識経験者からなる研究会(表ー1参照)を併せ設け,専門的立場からの意見・提言をいただきながら検討を進めた。

1 調査項目と情報収蔵機関
川と人とを結ぶ文化情報項目を,下記の①に示すようなテーマ別に分類し,それらの項目と下記の②に示す情報収蔵機関との間で情報関連性をマトリックス分析した。
その関連表に基づき文化情報の全項目について概略調査を実施し,さらに,主要文化情報20項目程度については詳細な調査分析を行った。
① テーマ別文化情報項目
信仰(神社・仏閣の由緒,水神信仰,河童信仰,祭・年中行事),民話・伝承(民話,伝承,ことわざ,迷信),名称(地方名,河川名,名勝旧跡の名,山岳名),生業(伝統産業,淡水漁業,特産品,農業,林業),民俗・風土(生活様式,風習,食生活),交通(舟運,渡し,陸上交通,馬屋,石橋,木橋),先人(治水・利水貢献者,伝統産業貢献者,地域振興貢献者,芸術家,宗教家),名勝・旧跡(名勝地,旧跡,観光地,イベント地,天然記念物,文化財)
② 情報収蔵機関・資料
一般行政資料(市町村史誌,市町村要覧,観光パンフレット),教育委員会(指定文化財資料,埋蔵文化財資料),学術資料(郷土史会誌,大学等調査報告,行政機関担当課資料),書籍・資料〔近世・近代〕(風土記,絵図・古地図・絵画,古文書),書籍・資料〔現代〕(郷土資料,歴史資料,小説・随筆,詩歌,校歌,写真集,地図,観光案内,手紙類,歴史参考書),人材情報(行政担当者,郷土史家,市町村史誌編集委員,文化財審議委員,学術研究者,神社宮司,仏閣住職,芸術家,工芸員,地域古老,沿川住民)

2 主要調査項目の分析結果概要
文化情報項目のうち,河川に関わりが深い20項目程度について,重点的に情報収集・分析を行った。以下,調査手順に沿い,主な項目について調査分析結果の概要を紹介する。
(1)筑後川と信仰
筑後川流域で現在でも執り行われている祭祀について,文献調査や聞き取りにより情報収集を行った。それらは,概略以下の4つの特徴で形式的に分類できる。
① 水神を祀る水天宮の神社に付会したもの
② 供物を吊るした笹竹を川中に組んで,水神を祀るもの
③ 川の流れに供物を捧げ,水神を祀るもの
④ 水神祭祀は忘れられ,もっぱら寄合って飲食するもの

筑後川からの水の恵みも洪水による恐怖も,かつては,畏怖の念で水神に向けられていた。水神は,竜や蛇の姿,また,河童にも変容した。また,水利事業などで地域に多大な貢献をした五庄屋などの先人達も,神々となって祀られてきた。
雨乞い行事も,また,水神信仰の代表的な一面である。具体的な雨乞いの風習として,八龍の池(久留米市合川町),金立神社の「金立さんのお下り」(佐賀県金立),北茂安町の池干などの事例がある。さらに,パソコン通信を利用して,最近の新聞記事を「雨乞い」をキーワードで検索したところ,筑後川流域で,今でも雨乞い祈願の記事がしばしば掲載されていることが判かった。

(2)筑後川流域の伝説・民話・言伝え
筑後川流域には,徐福の渡来伝説,伐株山のお話,弘法大師とエツ,大刀洗の地名のいわれ,水天宮縁起,五庄屋物語,河童の手,竜の髭など,宗教説話から現実生活に密着した教訓話に至るまで様々な伝説・民話・言伝えが遺されている。
これらについては,その文献一覧・所在・作者などのデータベースを作成した。

(3)筑後川と生業
現代のような冷凍技術は無く,また,交通も徒歩に頼っていた時代には,河川に生息する魚介類は,内陸地方に住む人々にとって大きなタンパク源の一つであった。当時,河口から渓流に至るまで,各地で地域に根ざした様々な方法で漁が営まれていたがそのほとんどは,現在では見られなくなった。その漁法・漁具について,文献調査・古老への聞き取り調査などを実施した。さらに,郷土資料館などに展示されている仕掛けや投網などの所在一覧を作成した。
筑後川の清流を利用した酒造りも盛んに営まれてきた。これらを基に,酒蔵マップを作成した。
また,湧き水を利用したスイゼンジノリの採取,上流域の林業と日田の下駄・大川の家具,下流域の低平地農業とアオ取水やクリーク用水などについて,それぞれの産業が生み出す文化についても情報収集した。

(4)筑後川と四季
わが国は,四季を通じて豊かな自然環境に恵まれている。これらの季節変化を24区分したものに24節気がある。
24節気は,カレンダーの多くに記されており,季節の切れ目ではマスコミなどにも取り挙げられるため,しばしば目にすることができる。
24節気の日付設定は,月の満ち欠けを基本とする旧暦の時代であったにもかかわらず,太陽移動で決まっている。その各節気をさらに3等分し,合計72候それぞれに,四季の巡りに対応して身の回りの自然や風物詩を配したものが72物候である。
物候調査は,現在でも気象庁や農業関係機関などにおいて行われている。

本調査においては,いくつかの行政機関で用いられている物候事例を参考にして,筑後川の自然をテーマとした24節気72候ダイヤルの物候暦作成を試みた。
風物詩の対象として,梅林寺のウメ開花,宮陣神社の将軍梅開花,菜の花開花,中島ソメイヨシノの開化,久留米ツツジ開花,アユの遡上,エツの遡上,朝倉三連水車稼動,ゲンジボタル乱舞,コスモス開花,有明海シチメンソウの紅葉,曽根ハゼ並木紅葉,マガモの渡来など,四季折々の筑後川流域の自然や人々の営みをリストアップし,流域地図上に,それら風物詩をプロットした。
さらに,的確な物候観測を行うためのマニュアル・チェックリストを作成し,河川パトロール職員,河川アドバイザー,水文観測員等から情報収集する場合の問題点なども検討した。

(5)歌にみる筑後川への想い
筑後川本川をはじめ,筑後川流域の川は,地域のシンボルや生活の支えとして人々の心に位置付けられている。これらは.校歌や詩歌あるいは古くは民謡や謡曲等として歌い継がれてきている。
甘木市市歌では,地域の稔りの恩恵を筑後川に歌いこんでいる。また,北野音頭では,宝満山・耳納山の対比に筑後川の清き流れを歌詞にしている。
なお,筑後川101フェアーにおいて,筑後川流域の小中学校校歌が収集整理されており,それらの資料を基に,筑後川が校歌にどのように歌い込まれているかも分析した。

(6)筑後川と交通
筑後川流域における交通網の変遷として,藩政時代の街道,渡し,筏流し,船連,鉄道網,石橋・眼鏡橋などについて,情報収集分析を行った。
筑後川の渡しについて見ると,久留米市近隣でも,宮ノ陣,神代,大杜,瀬ノ下,高田,今泉,田中,上寺,行徳,虚空(猿丸)の10個所が近世まで渡し場としてあった。
渡しにまつわる話としては.田中渡しの江藤留吉さんが,「とめちゃん渡し」として親しまれていたのは有名である。なお,古くには,筑後川に62箇所の渡舟場があったとの記録がある。
江戸時代末期から明治・大正時代にかけて,筑後川上流域には多くの眼鏡橋が架設された。大分県は,現存する石造眼鏡橋の数では全国一であり,その多くは,自動車交通時代の今でも主要な幹線道路において,その役割を果し続けている。

一方,穀倉地帯筑後平野を緩やかに貫流する筑後川は,近世までは,水運の水路として重要な役割を果していた。米をはじめ,南瓜,甘藷,櫨などの農作物の輸送ルートであった。
また,上流域で産出される竹材や杉は筏に組んで流され,下流域において,城島の傘骨や大川の家具などの産業を興こした。

(7)治水・利水・流域開発に貢献した人々
筑後川は,肥沃な筑後平野の水田を潤す一方,一夜にして,荒れ狂う河川に変容することもしばしばであった。このため,「一夜川」とも呼ばれてきた。また,旱天が続くと,川を挟んだ水争いも絶えなかった。
このような河川を取り巻く厳しい環境を克服し,治水,利水事業に取り組んだ人々としては,田中吉政,成富兵庫,丹羽頼母,五庄屋,田代重栄,草野又六,行徳市左衛門,松尾九兵衛など,多くの先人達がいる。
これらの人々に関する文献,事跡地,顕彰碑,墳墓,伝説,祭祀所,近年の研究論文などの資料収集分析を行った。
また,碑文で,読下しがなされていないものについて,その解読を行った。

(8)藩間の争い
筑後川を巡っての藩間での争いの多くは,漁労に関するものであった。また,筑後川を境に飛び地が多く分散し,その飛び地の領有権争いも多かった。
特徴的なものとしては,床島堰の設置により水位が上昇し周辺の水田を湿田化したものや,荒籠によって浸水区域が広がるという不安に関するものなどが挙げられる。
筑後川は,久留米藩を中心に周辺の諸藩との境界の役をなしていた。そのことが,藩間争いを一層増加させた大きな要因である。
これら争いを防止するための地籍図として,当時多くの詳細な河絵図(様々な情報が記入された詳細地圏)の作成がなされた。このことにより,現在でも数種類の筑後川絵図が遺っており,これらの貴重な資料によって,当時の筑後川や沿川の様子を窺い知ることができる。
その他,代表的な藩争いとして記録に残るものとして,大石堰の漁に関する争い,堤防の植林(松)がきっかけとなり藩争いへと発展,中曽・床島堰に作った舟通しのある中州の領有権を原因としての争いなどがある。

(9)流域の祭・イベント
流域内の寺社について,建物や文化施設の写真撮影を兼ねて,各寺社の祭祀・年中行事などのデータ収集を行った。

なお,現在寺社において執り行われている祭祀やイベントについては,地方自治体の商工観光課などにおいて概ね掌握されている。
今後は,収集整理されたこれらの情報を,迅速・的確に一般向けに発信するシステムを構築することが課題である。いくつかの市町村においては,既にインターネットで情報発信がなされている。

(10)文化人材ネットワークの構築
文化に関する情報収集を迅速・的確に行うためには,郷土史研究家などの人材ネットワークを構築することが必要である。
筑後川流域内の郷土史研究会全会員に対しアンケート調査を行い,それら会員についてはキーワード検索ができるようにデータベース化した。なお,佐賀県においては,既に詳しい文化人材情報が冊子で作成されている。

(11)文化情報施設のデータベース作成
図書館,郷土資料館,歴史資料館,自治体文化関係担当部署,郷土史会事務局など,文化情報を所蔵する公共施設のデータベースを作成した。これらの主要施設の一覧表は,筑後川工事事務所のホームページにも掲載している。

3 上・中・下流域の地域区分による文化
筑後川流域において,文化面での特質からみた地域区分は,地形,河川の状況,宗教,支配氏族,農業形態,産業,生活様式など多くの要因により,上流域,中流域,下流域に大別できる。
前項までの調査に加え,以下①~③に示すキーワードを考慮して,3区分流域の文化特性の分析や課題の抽出を行った。
① 下流域では,クリーク,有明海,低平地,干拓,佐賀藩・立花藩城下,水郷,港,河川氾濫,大陸との海路の窓口など
② 中流域では,筑後平野の中心地,商業都市,太宰府などの中央政府出先機関,古戦場,久留米藩城下,九州の陸路の交差地点など
③ 上流域では,林業,山岳宗教,幕府直轄領,藩政時代の金融都市,文化都市,水源地,過疎地,動力水車,石橋・眼鏡橋,凝灰岩,温泉郷など
これらの検討過程において,特に,筑後川上流域において,過疎化が文化の継承保存に及ばす影響が危惧され,今後の重要課題の一つであることが判った。
上流域の著しい人口の減少と高齢化の進行は,近代化を免れながら山村地域に継承されてきた歴史的文化行事・生活様式の消滅を招きつつある。
研究会において,早急な解決策の一つとして,「文化版レッドデータブック制度の創設」を提案し,実現可能性を検討した。都市居住者が,山村文化継承のため,ボランティア活動などを通して,文化保存に貢献するシステムづくり等が考えられる。

4 情報記録,提供技術の検討
収集整理した文化情報は,記録・保存したり,一般住民などへ情報提供する必要がある。このようなニーズに対応するため,最新コンビュータソフト・インターネット通信技術などの適応性を以下の項目について検討し,併せてCDROMによるデモ版も作成した。
① PDFファイル・フラッシュピックス・アクロバットなどを用いた情報記録・整理手法
② GISによるデータベースの作成・検索手法の開発
③ インターネットによる情報発信のための画像処理・データベースフォーマットのあり方
④ 大容量記録メディアの現状と文化情報整理手法のあり方

5 筑後川流域の文化調査における課題と提言
今囲の調査は,筑後川流域にどのような文化情報があり,それを河川行政において,どのように整理・分析・活用・提供するかについて検討することが主業務であった。そのため,文化情報の種別に従って網羅的に概要を情報収集したものである。文化を育んできた河川と河川整備事業との一層の調和を図っていくためには,今回の情報収集成果および研究会での提言や指導事項を参考にして,今後は,個別の文化項目毎に河川や流域との係りについて詳細な調査分析を進めていく必要がある。
また、その情報の活用や情報提供システムについてマニュアル化などを図り,効率的な作業環境を整備することが肝要である。

6 おわりに
建設行政において,文化への取組みは,環境問題とともに,最近重点的課題の一つとされてきている。平成8年6月には,「文化を守り育む地域づくり・まちづくりの基本方針」が建設省において策定され,文化の内部目的化がうたわれた。
本調査は,このような建設行政の取組みも踏まえ,筑後川流域を一つの文化圏として捉え,様々な文化情報を収集分析したものである。
今回の調査が,他の河川流域における文化調査を促進し,その情報収集・分析・発信の一助となることを期待する。

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