私たちの生活を支える国土づくりのあり方について
福岡大学 人文学部 東アジア地域言語学科3年
赤 星 純 怜
1 はじめに
今年二十歳になった私。国づくりにも参加切符を得た現在から,生活の舞台に主婦として私がいる将来を見通して考えました。
想定したのは,以下の場面です。
(1)都市も地方も幸せな暮らし方
(2)ビジターに優しいおもてなし
(3)思いがけない出来事に備えて
2 生活の舞台を支える国土づくり
(1)都市も地方も幸せな暮らし方
私の母は最近倒れた祖父そして目の不自由な祖母の介護支援のため,月一回福岡~大分を往復します。生活に何不自由のない福岡での私に比べ,自動車運転が頼りの生活だった老夫婦がある時からその自由を奪われる生活はとても辛いと思います。地方だと交通は不便だし,子育てにも医療や教育面でちゃんとした施設がありません。福岡でのその心配はまずありません。でも,中心都市が栄えて地方,特に山間地域がおいてけぼりという構図では,九州全体の幸せにはほど遠い感じがします。両親の話では,大分まで昔4時間あまり要したのが今やっと確実に2時間でいけるようになったそうです。こうした状況,つまり確実に何時間で目的地までいける環境が山間地域はじめ国土の隅々まで広がれば,急病人や災害発生時にも手助けとなります。
ただし,現実には大雨や地震時に孤立する集落が在り,地域間の歪みとなっています。この歪みは国土の使い方の差から生じるのかも知れません。人の命に差があってはならないのに,助かる命が救えない地域が多いのも事実です。いわゆる「地域格差」です。私含め,人の少なくなる時代に地方部で果たして女性や高齢者が活き活きと働けるのだろうかという不安もあります。ここに都市と地方とが助け合い,それぞれの基準で日常生活を満足して送れる仕組みが必要であると考えます。街が町を助ける時代,幸いにも,九州には都市と地方が仲良くなれる自然が多く存在します。
小学生の頃,山間部の町に三日間民家滞在しました。街にない果樹園や茶畑そして牛馬の世話をした経験から,私が暮らす街は地方の町に支えられている実感を得ました。街と町を結ぶ交通網が整備されるのも街と町相互の人が理解し得るネットワークがあってのことだと感じました。最近は各県で市町村合併が進んでいます。仲良くするのに新しい仕掛けや仕組みもいいですが,足元にある山・川などの自然や語り継がれる祭りや工芸の技を町単独でなく,民間グループなど様々な人たちで活かすことも大事と思います。空屋化した商店や古い小学校などで,たくさんの知恵をもった祖父母たちがお孫さんの世話をすることはどうでしょうか。建物を単に老朽化したから壊すより出来るだけ利用する仕組みも,年齢を超え人を活かす方法として勧めたい限りです。さらに,祖父母が心配してたことがあります。それは,地方には担い手のいなくなった田畑が荒れるがままに増えてきていることです。私の住む地域でも越してきた時に比べ,田んぼは,めっぽう少なくなり家が建ち,年々土地の使い方が変化しています。田植え時期のカエルの鳴き声や稲穂の姿が見聞き出来なくなっています。土地の使い方で季節感はじめ人の感性までが失われつつあるのは仕方ないことでしょうか。都市の暮らしぶり,地方の暮らしぶりについて再度考え直す時期かもしれません。
たとえば、父から聞いた話です。湯布院町(現在は由布市)では牛一頭に全国各地から飼い主(オーナー)を募り、お世話は地元の農家が行う仕組みは、地域の土地の使い方としてとても良い方法だと思います。これを応用するならば、荒れたあるいは担い手の居なくなった田畑について、意欲・関心のある街の方々に管理人(マネージャー)になってもらうことはどうでしょう。そして、稲や野菜の植え付けや収穫の手助けをすれば、土地を守ることに役立ちそうです。これによって、担い手は減っても、都市と地方が共同して森林や里村の環境維持に努める新たな担い手になるのではと期待しています。そして、汗水たらしながら収穫した街と町双方の生産者名の入った特産品が、人気の道の駅に並ぶのも夢ではなく間近かも知れません。
(2)ビジターに優しいおもてなし
昨年、上海に短期の青学研修に行きました。広大な中国ゆえに街には、ビジネスなどに必要なモノが集中し、活気のある大きな都市でした。集中している反面、市街地を抜けるととても同じ中国なのかとさえ思える田園や湖・川の風景が広がります。一方、九州はそんな広大な平野もなく、むしろ様々な役割を担った街が仲良くし、道路や川の使い方をうまく組み合わせれば、中国の街と比べても遜色ないと感じます。ただし、同じ顔を持つような街並みでは魅力半減です。むしろ、国内はもとより外国からのビジターに対して、語り部(ガイド)が自信をもってもてなしできる景観や街並みをみんなで創り、紹介できればいいと考えてます。日本を訪れる外国人数は、韓国や中国など近隣アジア諸国における来訪者と比較して少なく、海外に出かける日本人のわずか4分の1というデータがあります。私の大学にも東アジアからの留学生が居ますが、「滞在費や移動費が高価」とか「各地の観光情報や大学の研究分野の情報入手が難しい」などの話を聞きます。これらからも、来訪者の少なさが表れているのかも知れません。観光施設だけでなく、ひとりひとりが「もてなしの意識向上」に励むことが大切です。
(3)思いがけない出来事に備えて
昨年の3月20日、私はアルバイト先に居て地震の脅威におびえていました。数時間、家族とも安否が確認できませんでした。福岡にはないと言われた地震が起きたことの恐怖、そして過去のできごとが参考にならなくなっている大雨による被害。これらは今や全国どこでも起きています。心づもりを“起きて不思議はない”に転換する時期にあります。ある道路や空港そして港が被害を受けても別な所が代わりにその役目をして、けが人を病院に、救援物資を早く届けたりとか、あるいは津波、土砂崩れや浸水に備えて早めの避難が必要です。
気になることが二つあります。一つは高齢者や体の不自由な方及び外国からの観光客を避難場所に安全誘導できる仕組み、たとえば、私たちにその情報(安全避難マップ)が伝えられているか、もう一つは避難場所となる公民館や公園にいざという時に水や食料品が備えてあるかです。様々な場面に合わせて「被害を避ける」、「被害を少なくする」国土の使い方の工夫により思いがけない出来事に対して、自らそして他力により命と財産を守ることが必要です。
3 おわりに
これまでの3つの提案はどんな生活の舞台でも想像できるものばかりです。技術的な数値表現が苦手な私ですが、女性として、そして将来の主婦を思い描きつつ現在の姿からまとめてみました。こんな小さな思いをこれからの国土づくりの予約切符として伝えたいと思います。