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平成29年7月九州北部豪雨災害被災地の
復旧・復興に向けた九州大学の取り組み

九州大学大学院工学研究院 
附属アジア防災研究センター
三 谷 泰 浩

キーワード:九州北部豪雨災害、復旧、復興

1.災害の概要
平成29 年7 月5 日の昼頃から夜にかけて、福岡県および大分県の遠賀川、筑後川および山国川流域が記録的な降雨に見舞われた。特に日田の雨量観測所では、6 時間雨量が299㎜と平成24 年7 月3 日(九州北部豪雨災害)の降水量163㎜を超える雨量を記録した。これにより筑後川中流域の山地部の中小河川沿いの山腹では、同時多発的な斜面崩壊や土石流が発生し、土砂災害による直接的な被害のほか、大量の土砂や流木が河川へ流下したことで、土砂による河道埋塞や橋梁へ流木の集積が発生し、それにより河川から大量の水が土砂や流木とともにあふれ出した。また、中下流部の河川では、堤防の決壊または土砂・流木等の埋塞による越水により、大規模かつ広範囲な浸水被害と河岸侵食が発生した。その結果、数多くの住宅等建物被害が発生するとともに、多くの人命が失われる大災害となった。この記録的な豪雨は、東西に延びる梅雨前線に暖かく湿った空気が流れ込んで積乱雲が次々にできる「線状降雨帯」が原因とされており、これは平成24 年7 月の九州北部豪雨災害でも見られた現象であり、積乱雲が急速に発達して局地的な大雨となるため、予測は非常に難しいとされている。これにより筑後川右岸部の福岡県朝倉市、東峰村および大分県日田市では、被災家屋数が12,981、死者・行方不明者などの人的被害が41 名という大きな被害を被ることとなった。

2.九州大学災害支援団の結成
この災害を受けて九州大学では、アジア防災研究センターが中心となり、7 月10 日に「九州大学平成29 年7 月九州北部豪雨災害調査・復旧・復興支援団(以下、九大災害支援団)」を結成した。メンバーは、工学研究院アジア防災研究センターの三谷泰浩教授をリーダーとして、九州大学内の9 つの部局(アジア防災研究センター、工学研究院、農学研究院、決断科学センター、医学研究院、歯学研究院、芸術工学研究院、人間環境学研究院、基幹教育院)の教員ら53 名(2018.12時点)で構成されている。この組織は、今回の災害に対して、大学の英知を結集して災害の復旧から復興に至るまでの果たすべき役割を総合的に考え、被災した地域を地元自治体、住民らの協力を得ながら支援することを目的としており、「支援団」という名前が特徴である。この支援団の意味は、図- 1 に示すように「被災された住民を支援すること」、「災害の復旧・復興に携わる行政を支援すること」、そして「学・協会も含めた学術的調査・研究を支援すること」、の3 つの支援を大きな柱としている。また、「調査」だけでなく「復旧・復興」という観点まで視野に入れたことも大きな特徴で、災害を学術的な対象として取り組むだけではなく、発災直後から復旧・復興に至る過程、さらには将来の減災までの観点から対応・支援を行うことが必要であると考え、復旧・復興を強く意識した支援団とした。

3.九大災害支援団の活動について
今回の災害の直接的な原因は記録的な大雨によるものだが、それにより被災を受けた範囲では、河川を中心として大きく災害前の状況を一変させており、復旧には非常に時間がかかる。防災には図- 2 に示すように発災直後の「応急対応」、それに続く「復旧・復興」そしてリスクマネジメントとしての「減災」、最後に起こりうる災害に備えるための「事前準備」の4 つのサイクルが存在する。この時間的な境界は明確ではないが、この4 つのサイクルの中に当てはまる様々な活動を九大災害支援団として支援することを考えた。

まず、応急対応の段階では、被災地の被害調査やこの災害の原因とメカニズムを解明することを目的とした現地調査、災害ボランティアのサポート、避難所や仮設住宅への人的支援、被災地の仮復旧対策のアドバイスなどを行った。特に被害の原因、メカニズムの解明については、総合大学としての特徴を活かして、気象、河川、地盤、森林、農地、ため池、砂防などのそれぞれの専門分野の所属学会である土木学会、地盤工学会、生態工学会、砂防学会、農業農村工学会、応用地質学会、廃棄物学会などの学会と連携を取りながら調査団の一員として検討を行った。災害ボランティアについては、 7 月から8 月にかけて学生を中心に約80 名のボランティアを現地に派遣した。
その後、「復旧・復興」段階にあたる被災地の応急復旧が進んだ段階からは、朝倉市、東峰村の復興計画の策定に専門家(学識経験者)として参画した。復興計画の目的は、
  ・住民に復興の方向性を示すため
  ・復興に向けた希望や指針を住民に与えるため
  ・膨大な事業の全体像や具体策を提示するため
  ・事業の必要な予算の根拠とするため
  ・無秩序な建設、開発などを制限するため
であり、これらの目的を達するために、支援団として被災自治体の支援を行った。
復興計画の策定にあたっては、朝倉市と東峰村では大きく対応が異なった。いずれも復興計画の基本的な方向性としては、①すまいと暮らしの再建、②安全な地域づくり、③産業・経済の復興という3 本柱をたて、復興計画の策定に取り組んだ。組織的には、「復興計画策定委員会」の下に住民からの意見を反映させるために「地区別復旧・復興推進協議会(朝倉市)」(写真- 1)、「地域住民協議会(東峰村)」を置き、住民からの意見を尊重しながらの対応を行ったのだが、朝倉市では、被害の範囲が非常に広範囲に及ぶこと、地区別復旧・復興推進協議会には地域の代表者のみが参加する場となったことから、各部落単位で地域住民を中心とした「集落会議」(写真- 2)を開催し、多くの住民の意見を反映させる体制をとった。一方、東峰村では、人口が少ないこともあり、地域住民協議会は、すべての住民が参加可能な場として開催することができ、いずれの会議も住民とのワークショップ形式(写真- 3)で意見をとりまとめることができた。特に復興計画の策定にあたっては住民の意見をできるだけ反映させたいとの考えから、災害による危険箇所を住民とともに確認したり、被害状況を地図上に整理したりすることで問題点を整理し、今後どうすべきかの相談や技術的なアドバイスを直接住民に対して行うなど、行政、住民が協働した形式での議論を進めることができた。特に、我々支援団に課せられたことは、行政と住民の仲介役としての役割である。被災者である住民は、災害が天災であることは理解していても、行政の対応などについて多くの不満を有している場合が多く、ともすると会議の場で両者が激しく議論を行うこともあり、ここに「学」としての我々が仲介役となることで、両者を支援することができ、スムーズな意見集約が行えた。その結果、住民は、これまで行政から一方的に提示される復旧・復興案を受け入れるだけであったものが、住民が自ら考え河道の構想や将来のまちづくりの提案を行うなど住民と行政とが協働しながら復旧・復興を考えるという新しいスタイルの被災地復旧・復興モデルとして復興計画の策定を行った。
このような被災地域のために持続可能な復興計画、地域づくりの提案などを支援することはこれまでにはなかった新しい「学」としての取り組みであると考えられる。現在、地域住民は災害からようやく元の生活を取り戻しつつあるが、将来への不安をまだ拭い切れておらず、現状の克服にしか目が届かず、将来の夢や希望を持てない状況にあるが、復興は本来これからの未来を見据えて議論する必要があり、我々の活動がそのための一助となることを期待している。

4.災害リスクコミュニケーション
復興計画策定後は、この復興計画を着実に進めるための仕組みが必要となる。東峰村では、復興計画推進委員会を設立し、復興計画が着実に進められているかどうかを関係者間にて協議するとともに、地域住民協議会(4 地域を対象)を設置し、復興計画の進捗状況の情報共有、今後の避難行動のあり方などについて議論する場を設けた。さらに、住民の目線に立った意見を集約するために行政区部会(15 行政区を対象)を作り、この中で地区防災計画の策定に取り組み始めることとした。その第1 段階として、地域の災害について住民とともに地域の防災を考える災害リスクコミュニケーションを実施した。
災害リスクコミュニケーションとは、住民、行政、専門家の3 者で地域内の「まちあるき」を行い、その結果を住民らと協議をすることで、地域の危険箇所を抽出するとともに、地域住民の防災意識の向上を図るために実施するものである。我々は、この取り組みを福岡県糸島市で数年前から実施しており、これを東峰村の15 行政区において実施した。
災害を受けた地域での実施ということで、地域の「まちあるき」には、写真- 4 に示すように数多くの住民が参加するとともに、地域の危険箇所の点検を行った。また、この「まちあるき」に際しては、開発したG空間情報収集システムを活用し、危険箇所の写真などの情報をタブレットを用いて取得し、これを地理空間情報として管理し、災害リスクコミュニケーションに活用するという新しい試みを行った。「まちあるき」で得られた情報を活用し、住民とともに写真- 5 に示すような災害リスクコミュニケーションを行い、「まちあるき」に参加できなかった住民も含めて、地域の災害情報を共有するとともに、一次避難所や避難経路を議論し、災害時にどのような行動をとるべきかを議論した。最終的にはこられの結果を地区防災マップとして集約し、東峰村全戸に配布した。今後は、これらの情報を基に地区防災計画の策定を行い、地域住民の防災意識の向上、さらには自助・共助の活性化を図る活動を行う予定である。

5.東峰村災害伝承館
復興には非常に長い時間がかかる。その間、住民の中から災害の記憶が徐々に薄れていくこととなる。また、将来的にはこの九州北部豪雨災害を経験したことがない新しい世代も増えてくることになる。このようなことから、災害時の状況をしっかりと後世に伝えるため、災害の記憶を記録として保存し、復興活動の一部として九州北部豪雨災害を伝える災害伝承館を被災地の東峰村に作ることとした(写真- 6)。施設の設置にかかる費用については、クラウドファンディングを活用し多くの方からの寄付を募った。災害伝承館では、村や住民の方から提供いただいた災害直後の写真や動画、国や県から入手した記録資料を展示している。さらに、 AR(拡張現実)技術を活用した新しい形態の体験型展示にも取り組んでいる。この場が地域防災活動の中心となり、災害の記録を伝えるとともに、防災教育の場として活動できるようにしたいと考えている。

6.今後の活動について
現在、支援団としての活動は、支援団としての位置づけを継続しながら、学術的な支援の部分は、各研究者の個別研究へ、また、行政や住民への支援に対しては、より復興を強く意識した支援へと形を変えながら現在でも続けられている。今回の災害による被害は、非常に広範囲であり、尊い命だけなく、住民の生活基盤が根こそぎ失われている。この被災した地域を再建するためには、学としての専門的な知識を活用し、地域住民や行政機関と協働しながら、息の長い支援を行うことが大切だと考える。また、将来起こりうる災害に対してどのように対処するか具体的な方法を示し、被災した地域が将来にわたって安全かつ安心な地域となるようこれからも積極的に協力していきたいと考えている。残念ながら、平成30 年7 月にも西日本豪雨が発生し尊い命が数多く失われ、多くの被害を受けることとなった。この九州北部豪雨災害での経験や取り組みが同様の災害の復旧・復興のために役立てればと考える。

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