市町村行政は先端行政,見たまま,感じたまま
―新しい時代の町づくりは市町村が主役―
―新しい時代の町づくりは市町村が主役―
(社)九州地方計画協会 副理事長
瀬戸口 忠 臣
私は,建設省で永い間勤務した後,地方自治体に出向し,任期を満了して,この春,公務員生活を終えた。幸い,国と地方の両方の行政を経験することができた。この小論文では,この貴重な経験に基づき,まず,地方自治体の特性を分析する,次いで,地方分権が進展する中,社会や市民生活がどう変わりそうか,誤りを恐れず大胆に予測する,最後に,この新しい社会が到来するなかで,住みやすい町づくり,住んでみたい町づくりを進めるにあたっては,市町村が主役でなければならないことを主張することとしたい。
1 視点のズレ,カルチャーショック
地方自治体に出向し,初めて議会での論戦を聞いたとき,私は雷に打たれたような大変なショックを受けた。ちょうど公的介護保険の導入時期にあたり,福祉行政の議論の中で,「ジェンダー」とか「ノーマライゼーション」,「バリアーフリー」という英語が飛び交うのである。永い公務員生活のなかで初めて耳にする英語である。何を意味するのか良くわからない。閉会後,恥を忍んで担当者に恐る恐る意味を正した。「性差の無い男女共同参画社会」,あるいは「身体に障害のある方や体の不自由なお年寄りでも実社会の中で不自由なく日常生活が営めるようにすること」,「障害物や段差が無いこと」,こういった意味であると教えてくれた。コチコチの技術屋の石頭がいかに硬かったのか,そして視野が狭かったのかを思い知らされてカルチャーショックを覚えたのである。
また,教育問題もよく議論された。「いじめ」,「不登校」,「きれる」,「空き教室」といった言葉を頻繁に耳にした。さすがに,これらの単語は日本語でもあるし,よく新聞紙上でも見かけるので理解できた。
もちろん,町づくり,公共事業についても大いに議論された。しかし,論点といおうか,視点といおうか,どこか私の感覚とはズレている。何故か?
例えば,ある国道バイパスの建設事業の議論で,私は,この事業が地域の渋滞解消に威力を発揮するし,それ以外にも,建設投資が関連の産業を潤す,商店街へのお客さんが増える,観光客が増えるなど,他の地域の例を引いて事業効果を力説した。バイパス事業がスムーズに地域に受け入れられるよう,その有用性を説明したかったのである。議員さんがたは,一応,「成る程」とうなずかれるけど,もうひとつ顔色がさえない。そこで,市長は,「現在の国道が渋滞していて,郊外のA地先から都心のJR駅までたったの5キロしかないのに30分も40分もかかっている。これがバイパスができると150円払わなければならないけれど,たったの10分でいけますよ。朝のあわただしい時間帯で20分も30分も余裕が出てきます。150円払っても安いものでしょう。」と市民の日常生活の変わりようまで具体的に説明なさった。すると議員さんがたはすっかり合点された。
私の話の中心は,「円滑な事業の実施」にあった。永い間,事業官庁にあって公共事業を遂行する立場にあったので,そのような考え方に染まっていたのだ。一方,市長さんの話の中心は,「市民の暮らしぶりの変化」である。市長には,市民の生命と財産を守る崇高な責務があり,「市民の暮らしぶり」に最大の関心を払うのである。先程の福祉や教育の議論と併せ考えて,市町村での議論の視点は,「事業」ではなく「人」にあるということが痛いほど判った。私の視点が,ズレていたのである。これでまたもやカルチャーショックを覚えた。
市町村の行政では,「事業の実施が地域にどのような影響を与えるのか」,その議論ももちろん大事であるが,さらにもう一歩進んで,「それでは,市民生活にどのような変化を与えるのか」に最大の関心がある。今後は,「市民レベル」にまで話を引き戻して,しかも具体的に説明してあげなければ,公共事業を受け入れてもえらえないのではないかと悟った次第である。
そんな訳で,市町村は,「市民の暮らし」に最大の関心があるから,市民との間にいくつもの話し合いのチャンネルを用意しており,普段から民意の把握に努めている。「今日は!市長です」と称して,各地区地区で,市長が,直接市民の生の声を聞く会合が頻繁に開かれる。また,公民館長には,市のOBが登用され,市井と行政のパイプ役となっている。小学校の「空き教室」は,地区のちょっとした集会場に早変わりすることもある。市の行政には,市民の声を吸い上げる仕組みが,がっちりと出来上がっている。私は,国,県,市といった縦割り行政のなかで,市町村は国からの補助事業を実行に移す末端行政と思っていたが,そうではなく,直接市民と意見を交換し,議論しながら時代を先取りする先端行政であり,また,「人」と「事業」を併せ受け持つ総合行政であると認識を改めた次第である。
2 社会が変わる,「市民の暮らし」が変わる
今,社会は大きく変わろうとしている。来る21世紀に向かって地方分権が進み,人口の地方分散が再び始まるのではないか,と予測されている。この潮流をさらに後押しするであろう法律,制度が,最近,続々と施行されつつある。
私は,なかでも「IT革命」,「公的介護保険」,「PFI法」の3つがその最たるものであろうと思っている。これらはいったい地方の社会,経済にどのように作用し,「市民の生活」にどのような変化をもたらすのだろうか?
(1)IT革命
IT革命は,産業革命にも匹敵する大変革を社会にもたらすといわれている。その中で,私達のごく身近なところではどのような変化が起きるだろうか?
そもそもIT関連産業は,従来の重厚長大型の企業に比べて土地や床を広く占有することはない。都心部には「サテライトオフィス」を置けば事足りる。また,必ずしも都心に事務所を構えなくとも自宅ででも可能である。いわゆるSOHO(Small Office Home Office)である。この様にIT関連の企業は,土地や床をあまり必要とはしないから,ITの普及は地価の下落圧力として作用する。地価が下がれば事務所,店舗の立地条件が変わってきて,町並みが変わっていく可能性がある。
その他,モノやサービスの売買で,大きな変化が生じるであろう。インターネットを利用した通信販売の普及により,消費者は食料品,書籍,チケット,ちょっとした医薬品,化粧品などの購入は,直接,販売元に申し込み,近くのコンビニで受け取る,あるいは宅配便で自宅に届けてもらうというスタイルに変わっていく。単なる通信販売からさらに進んで,インターネット上に仮想の卸問屋街,仮想の商店街が立ち上げられ,ネット上の加盟店と消費者との間で商取引や代金の決済ができるようになるだろう。消費者は遠出しなくともコンビニ程度の地先単位で日常の生活を営むことができるようになる。中間マージンが排除されるので,原油高,アメリカ経済の不況などの外圧が無ければ,物価はデフレ基調を維持する。さらに,テレビ会議や在宅勤務,在宅医療が普及してきて,家に居ながらしてバーチャルリアリティー(仮想の空間の中に創出された現実の世界)を体験できるようになれば,人々の日常の行動範囲はますますコンパクトになってくる。この結果,地先単位でコミュニティーが形成されやすくなる。熊さん,八っつあんが登場する江戸時代の長屋みたいなコミュニティーの中で,高度に情報化された文化生活を享受する時代が到来するのだろうか?
この様に人々の生活パターンが変わってくれば,公共事業のあり方も多分に変わってくるだろう。時間距離を短縮し,重化学工業を支える幹線道路や工業団地などの「産業インフラ」の整備に加えて,知的な人々が地方都市においても情報発信ができるように「生活インフラ」の整備にも力を注ぐべきである。
(2)公的介護保険
公的介設保険制度は,介護が必要なお年寄りを地域社会で支えるシステムである。寝たっきりになった要介護の高齢者を,ケアマネージャーが作成した介護サービス計画にもとづき,自宅においてホームヘルパーが入浴,食事,排泄などの世話をする,あるいは施設において看護婦や理学療法士などが,リハビリや看護などの医療を施す制度である。
これまでは,肉親の情愛の気持ちから,お年寄りの世話は自宅で家族が行うことが美徳とされてきた。しかし,その負担が大きいとして,お年寄りの介護をヘルパー,看設婦,療法士などのプロに任せるものである。このことは見方を変えると,老人介護が職業として成立し,あらたな福祉産業が地域に芽生えることにもつながる。例えば,社員食堂を有するような地元大手企業は,配食センターなどの収益事業にのりだすかもしれない,福祉用具の貸与,販売といった商売が成立する,段差解消,風呂場の改修などの住宅工事が盛んになる。この様に公的介護保険制度の導入は,地域の産業の活性化を促す。
もう一つの変化として,人口の流動,地方分散に拍車がかかるのではなかろうか。例えば,都会で仕事を終えた前期高齢者などは,医療機関が発達した都会に引き続きとどまることなく,思い出多い,そして幼いころの友達が待つ郷里に帰り,安心して老後をこの保険制度にゆだねるといったライフスタイルを選択するかもしれない。職を求めて都会へ流出した若い世代は,Uターンしてきて,地元の企業に転職し,親子2世代同居の生活を選択するかもしれない。この様に,福祉介護サービスが産業として成立するような程々の人口の集積がある地方都市では,人口が増勢に転じる可能性がある。さらにまた,この公的介護保険の運営主体は市町村であり,市町村は地域の実情に応じて,国が示す標準的な介護メニューに加えて,「横だし」,「上乗せ」をすることができる。市町村が介護サービスの研究,充実に熱心で,より良いサービスを提供すればするほど,周辺地域から人口を吸引し,その地域の中核都市として発展していく可能性が出てきた。
(3)PFI法
PFIは,Private Finance Initiativeの略で,民間が,行政に代わって,資金を調達し,公共施設を整備し,管理し,運営する方式である。地方の財政逼迫,3セク方式の失敗,公共工事のコスト縮減,公物管理の合理化といった反省や社会の要請を受けて設けられた制度である。従来,市町村が補助金の交付を受けて行っていた多くの公共事業が,民間のノウハウをいかして,「特定目的会社」によって手懸けられるようになる。
この制度が普及していけば,まず,町づくりを担当する市町村職員の意識が大きく変わってくるだろう。これまでは,如何に補助率の高い事業を持ってくるか,その事業の裏負担はどうなるのか,裏負担について交付税措置はあるのか,こんな財務経理について腐心していた。しかし,この事業が定着していけば,地方は補助金行政の束縛からかなり解放される。単なる財務経理から解放され,地域特性や地域の歴史,文化に立脚して個性ある町づくりはどうあるべきか,地域はどのような施設を要望しているか,地域独自の観点からどっぷり町づくりに取り組むことができるようになる。
また,全国規模でのスケールメリットを追及した企業の自由競争から,地域を舞台にした企業活動が活発になっていくのではなかろうか。PFI事業の核になるのが「特定目的会社」であるが,目下のところ,東京の大手資本が,会社設立のための資本金の過半を出資し,会社経営において自らの発言力を確保しようとして盛んに営業活動をされている。しかし,情報開示,アカウンタビリティー(行政の説明責任)で権利意識に芽生えた市民は,「地元であげた利益をみんな東京に吸い上げられ,地元に還元されないのは困る」として,それを許さないだろう。地場企業が共同で出資して,出資比率を逆転させ,地元が作った「特定目的会社」に仕立てていこうとするかもしれない。その結果,全国規模での自由競争経済から,地域に密着して,収益が地域に還元されるような地場協調経済に移っていくのではなかろうか。事実,全国的な大企業の幾つかは,他企業と同じ部門毎に事業統合する,各地域毎に会社を分社化し独立法人とする,などの動きを進めている。
以上のIT革命,介護保険,PFIの底流にあるキーワードは,「地先」,「地元」,「地域」であり,これらを総合すると「地方における場所主義」ということができる。社会の潮流は「地方重視」の方向に向いていると見て間違いない。
3 新しい時代の町づくりは市町村が主役
社会が変わる。社会の仕組みが変わる。今まで以上に,地方重視の政策が展開される。「地方への分権」が進む。地方の経済が活性化する。それに応じて,「人口の地方分散」が始まる。都会人の郷里への回帰が始まる。「高度情報化」が中央と地方の情報格差を縮め,地方での生活の不自由さをなくす。人々の暮らしが変わる。「情報開示」により人々の権利意識が高まる。価値観が多様化する。利害が競合する。公共事業についても,従来の手法の延長では,答えが得られにくくなってきた。「少子高齢化」が進展するなかで,人々の要求や意見も,福祉,健康,環境,文化,安全,安心にシフトする。この町で生き甲斐を持って生活し,健康で文化的な生活を享受し,安心して死んでいける町づくりはどうあるべきか,に目を向け出す。問題や心配があれば,一番身近な先端の行政,即ち,市町村に相談を持ち掛ける。「市民の暮らし」を守る立場にある市町村は,「アカウンタビリティ」を全うしなければならない。
このように,時代が大きく移り,市民の意識が高まっていくなかで,今般の公共事業のリストラ論議に見られたように,これまでの町づくりの事業の制度,枠組みが,疲労をきたしていることがはっきりしてきた。そこで今,国,県などの事業官庁の主導で,新しい制度,新しい試みが立ち上げられつつある。
まずは,総合補助金制度の創設である。公園事業において,使途を特定せず,一定の条件のもとで,補助金の執行を市町村の裁量に任せる新しい補助制度が創設されたと聞く。これまでは,補助金の執行について,要綱,マニュアルでがんじがらめに手足を縛っていたものだから,市町村職員が知恵を働かす場面がなく,したがって,全国の都市が,画一的で,個性の無い町になってきている。必要以上の束縛は,市町村職員の自由な発想の芽を摘み,駄目にする。この反省から,この新しい補助制度が考えられたのではなかろうか。こうなれば,今後の町づくりは,市町村職員の知恵比べとなってくる。いい意味で都市間競争が始まる。
さらにまた,最近,国から「公共事業に対する評価手法(案)」が示された。これは,ある事業が,「市民の暮らし」に直接もたらす便益(B)を金銭的に定量化し,一方で,用地費,工事費,維持管理費などの費用(C)を算定し,費用便益比(B/C)の大小を地域住民に示し,事業の有用性を問う方法である。冒頭のバイパス建設の事例で言えば,「目的地までかかる時間の短縮による効果」,「ガソリン代の節約,タイヤの磨耗の軽減など走行経費の縮減による効果」,「交通事故の減少による効果」の3つが直接便益である。「市民の暮らし」にまで踏み込んで評価するところが大変画期的である。バイパス建設には,この他に,沿線の地価の上昇,観光開発,市場圏の拡大など間接的な効果もある。これらの効果は,金銭的に計量するのは困難であるが,「市民の暮らし」に深くかかわりがあるという点では,直接便益と同等である。この付近のことも「市民レベル」に引き戻して,判りやすく,平易に解説してやるべきだ。地権者を対象とした地元説明そのものは,事業主体が担当することになるが,その場のお膳立てや立会,補足説明は市町村の役目である。また,円滑に事業を進めるためには一般市民にも事業内容を周知させる必要があるが,これも市町村の役目である。市民への説明の際は,この「公共事業に対する評価手法(案)」の考え方が,大いに役立つ。
さらに,最近,市民と行政,事業主体の三者が同じテーブルについて町づくりを議論する制度が用意された。パブリックインボルブメントである。パブリックインボルブメントでは,市民と事業主体が対峙する格好にせず,市町村が間に入って,色々と代替案を示し,議論をリードすべきである。市町村は,事業の中身を熟知しているし,それにも増して「地域の実情」を一番よく把握しているからだ。もちろん,市民代表は広く各界各層を代表する方を選び,事業に批判的な方を排除したり,賛成派だけで固めたりしないことである。地元市民の全面的な理解と支持が得られなければ,公共事業は受け入れられない。
以上のとおり,新しい制度,新しい枠組みの中で,市町村が果たすべき役割は極めて大きい。市町村は,市民に最も近い先端に位置し,「市民の暮らし」を守る立場にある。と同時に,国,県などの事業官庁と直接交渉し,「事業」を促進する立場にある。考えてみれば,至極当然なことであるが,町は,「事業」を実施するだけの空間ではなく,
「人」がそこに住んでこそ町である。だから,私は,新しい時代の,住みやすい町づくりの主役は,「人」と「事業」の双方を併せ受け持つ市町村であると信じてやまない。施設が整っていて「住みやすい町」,生き甲斐を求めて「住んでみたい町」,こんな町づくりを進めるためには,国,県の事業遂行力がもちろん必要であるが,それ以上に市町村の総合力,企画力が重要となってくる。