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地域に残された建造物を守り継いでいくために
-「22世紀に残す佐賀県遺産」制度-

佐賀県 県土づくり本部
佐賀土木事務所 副主査
垣 内 尚 子

1 「22世紀に残す佐賀県遺産」制度の概要
1-1 背景
佐賀県では、平成17年度に「22世紀に残す佐賀県遺産」制度(以下、「佐賀県遺産制度」という。)を創設しました。佐賀県遺産制度は、地域のシンボルとなっている建造物を次の世紀に向けて残していくために、その建造物を、まつわる物語と共に「佐賀県遺産」に認定し、地域で保存、活用しながら継承していくことを支援する制度です。
県内には、地域の人々に愛着を持たれ、地域のシンボルとなっている建造物が数多く残っていますが、維持していくにも多額の費用がかかり、また老朽化や現在の様式には合わないなどの理由で、使用されず朽ちていくのを待つだけのようになっているもの、解体されてしまうものも少なくありません。
しかし、一方では、歴史的な建造物の保存に取り組み、これを利用してまちづくり活動を行っている団体があったり、市町でこれらを活かそうとする取り組みがなされていたりします。
このようなことから、地域に残る資源が見直され、壊されてしまう建造物を救済することができ、また地域に残る資源を見直すきっかけになればと、佐賀県遺産制度を創設しました。

図-1 佐賀県遺産制度のイメージ
(注:この建物は佐賀県遺産ではありません。)

図-2 佐賀県遺産制度の仕組み

1-2 佐賀県遺産制度の仕組み
佐賀県遺産制度では、(1)、(2)のいずれかに該当し、かつ(a)、(b)の両方に該当するものを佐賀県遺産として認定しています。
 (1)文化的に高い価値を有する建造物
 (2)景観上重要な建造物
  (a)市町又は地域の人々により当該建造物の保存又は活用に取り組まれていること
  (b)当該建造物にまつわる物語を有していること
なお、国や県の文化財になっているものは、すでに保存のための制度があることから、文化財となっていないもの、及び十分な保存のための制度のない、国の登録有形文化財、市町の文化財が対象となります。
佐賀県遺産への認定申請については、建造物の保存や活用は、市町が所有者や活動されている団体と一体となって取り組んでいただくということで、市町が申請することとしています。
市町は、県が組織する佐賀県遺産会議(以下、「遺産会議」という。)に佐賀県遺産への認定の申請を行います。申請を受けて、遺産会議は建築や歴史、写真等の分野の有識者と一般公募委員で構成する「佐賀県遺産選定委員会」で審議して頂き、答申を受け、佐賀県遺産に認定するかどうかを決定します。
認定されると、主に建造物の外観の修理に対して県から補助を受けることができます。その際、県は市町が負担する額と同額以内で補助を行います。

表-1 佐賀県遺産(市町別)

1-3 認定状況
佐賀県遺産として、平成17年度に16件、平成18年度に4件と合わせて20件を認定しています。
佐賀県遺産制度では、認定に際し、「市町又は地域で保存又は活用に取り組まれていること」を条件としていることなどから、申請される建造物は文化財となっているもの、自治体が独自で行っている景観賞などを受賞しているものが多く、結果的に現在、佐賀県遺産に認定されているものは、佐賀県遺産と文化財など、2つ以上の”冠”を持っているものがほとんどという状況になっています。

1-4 認定証・標識
認定した佐賀県遺産には、認定証と物語を書いた標識を渡しています。
認定証には、県の重要無形文化財に指定されている名尾手漉和紙を使用しています。
標識は、佐賀県遺産を写真に撮ったときなど、なるべく邪魔にならないようにとの思いから大きさはA4横サイズを採っており、簡単な内容ながらも、建造物やその地域にまつわる物語をしるしています。所有者の方から、「来られた方が読まれているので、もう少し読みやすいところに設置しなおそうと思います。」などの声が聞け、嬉しく思います。足りない分の説明は、所有者や活用されている人に直に聞いて頂くことで、地域の人と来訪者の交流のきっかけが生まれれば、と思います。
建造物には物語があります。なぜここにこのようなものがあるのか、その地域の自然や歴史、文化があって、それぞれ建造物はつくられています。その物語を知ることは、とても面白いことです。さらに所有者の方が熱心に昔のことを話されると、より一層魅力あるものに見えてきます。

写真-1 認定証

写真-2 標識

2 佐賀県遺産の紹介
20件の佐賀県遺産のうち、いくつか紹介します。
2-1 小城市
小城市からは、最多の7件(全て国登録有形文化財)が佐賀県遺産に認定されています。その中の1つ、小城市牛津町にある「牛津赤れんが館」は、修理の完成を祝って、リニューアルイベントが行われました。
この建物は市の所有ですが、以前より「牛津赤れんが会」という団体が、牛津赤れんが館と隣にある「牛津町会館」(佐賀県遺産)をまちの活性化のために活用していこうという活動をされており、リニューアルイベントでも「牛津赤れんが会」が中心となって、地元の小学生、中学生の演奏や、高校生のダンスなどが披露されました。
牛津のまちは、江戸時代には、長崎街道沿いの宿場町牛津宿として、また有明海に面した港町佐賀三津のひとつとして栄え、「一(市)は高橋、二(荷)は牛津」、「牛津津でもち、駅でもち、町の栄えは店でもつ」とうたわれたほどでした。
牛津赤れんが館は、玉屋デパートの前身である田中丸商店の倉庫として明治時代後期に建てられたもので、隣接する田中丸家の邸宅であった牛津町会館と合わせて、商都牛津を象徴する建物です。

写真-3 牛津赤れんが舘
(リニューアルイベント)

写真-4 牛津赤れんが館内の様子
(リニューアルイベント)

写真-5 牛津町会館

2-2 伊万里市
焼き物で有名な伊万里市からは、「旧犬塚家住宅(伊万里市陶器商家資料館)」と「前田家住宅」の2件が佐賀県遺産に認定されています。
江戸後期に建てられた陶器商家である旧犬塚家住宅がある辺りは、江戸時代に焼き物の積出港として栄えたところで、犬塚家は大阪や江戸へ盛んに陶磁器を積み出していた伊万里津屈指の陶器商でした。現在は、伊万里市陶器商家資料館として開放され、広く市民に親しまれています。
前田家住宅では、ボランティアにより前田家に残る資料の調査や庭園の清掃などをされていましたが、地域の歴史文化研究の場、市街地活性化の資源として利活用の検討が始められ、地元の方による講座なども開かれています。
前田家は、江戸時代に代々、伊万里郷の大庄屋を務めました。主屋は江戸時代後期に建てられたもので、木造平屋建で、民家建築では県内最大規模です。屋根は茅葺きで、佐賀県の民家を特徴づける「くど造り」(屋根の形が、コの字型をしており、「くど」(かまど)に似ていることから、一般にくど造りといわれています。)の最も発達した姿を伝えています。そのほか東の蔵、西の蔵、水車小屋なども残っています。

写真-6 旧犬塚家住宅
(伊万里市陶器商家資料館)

写真-7 前田家住宅

2-3 佐賀市
「野中烏犀圓」は、寛永3年(1626)に創業しています。寛政8年(1796)に藩から生薬「烏犀圓」の製造・販売を許され、この頃に冷善楼(れいぜんろう)と呼ばれる座敷と店の部分が建設されたと推定されます。冷善楼では、藩の役人が薬の検査を行ったと伝えられています。
大型の腕木門を構える「馬場家住宅」のある柳町は、現在も長崎街道の面影を色濃く残しており、佐賀市都市景観形成地区に指定されています。馬場家の祖先にあたる高宗弘堂は、鍋島藩の藩医を務めた漢方医で、この家に住み、開業したと伝えられています。
住民を中心に「柳町まちづくり協議会」が組織されており、また、この辺り一帯で毎年2月から3月にかけて行われる「佐賀城下ひなまつり」には、県内外から10万人を超える観光客が訪れ、大変な賑わいを見せています。

写真-8 野中烏犀圓

写真-9 馬場家住宅

写真-10 佐賀城下ひなまつり(佐賀市柳町)

3 おわりに
制度を創設して2年が経過し、佐賀県遺産は、すでに20件となりましたが、まだまだその名前は十分広まっておりません。多くの人に知ってもらい、その地を訪れ、直に建造物に、また所有者や活用されている方々の思いに触れてほしいと思います。「私の家の近くにもこんなものがある、もっといいものがある。なくなってしまったら、もったいないね。」と身近すぎて気付かなかった建造物や地域がもつ魅力に気付き、今までなんとか残されてきたものをこの時代で終わらせず、私たちが感じた美しさや懐かしさ、心地よい感動を次の世代の人にも味わってほしいと思います。
このように地域に残された建造物を守り継いでいくことで、特に将来を担う子どもたちのこれらを大切にする気持ちや地域のもつ魅力を敏感に感じ取る心が育まれ、建造物、そして物語がその名のとおり100年後の22世紀まで、もっと先まで地域のシンボルで有り続けることを願っています。

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