土木技術の開発と評価についての一考察
一わかりやすさの視点から一
一わかりやすさの視点から一
九州共立大学 工学部 教授
牧 角 龍 憲
1 はじめに
「土木にはロマンがあり,気宇壮大な夢がある。」といえる時代は終わったのであろうか。現代社会が急速に高齢化少子化を迎えるにあたって,また,硬直化した社会経済構造を改革する時代の流れの中で,変革を進めるに格好のスケープゴートとして公共事業不要論が世間に闊歩し出して久しい。それに呼応するかのように建設産業の構造的不況も顕在化してきたがために,あたかも土木分野の未来はないがごとき錯覚が蔓延している。
当然のごとく,それらの風潮を是正すべく公共事業の必要性あるいは産業としての重要性を論じた動きも活発になされてはいる。しかしながら,正当性を主張するだけで事足りるのであろうか。それよりも,世の中が変わりつつある現実を真摯に受け止めることが必要である。それは現状を否定するということではなく,新たな時代とはどのような社会なのか,土木,とくに土木技術に何が求められているのかを熟慮することである。
そのキーワードは,“わかりやすさ”である。わかりやすさとは,人間の感性で受けとめてイメージでき,ものごとの道理から納得でき,多くの人々が共通した認識をもてることである。理解・納得・共感である。それは決して稚拙さや安易なということではなく,簡単な理屈と明白な結果を過不足ない情報で伝えるということであり,いわゆる透明化である。
ここでは,このわかりやすさを主眼にして,①技術ニーズの三要素,②一市民としてのニーズ,③既成概念からの脱却,④市場における技術評価,⑤ユニットプライスの光明,をテーマにして土木技術の開発と評価のあり方について述べてみる。
2 技術に求められる三要素
技術が進化することにより求められるものは,“便利”,“簡単”,“安い”の三要素であり,至極単純である。すなわち,新技術が何を便利にするものなのか,どのように工夫して簡単になっているのか,そして,得られる効果に比べて価格が安いのか,の三点が明らかになれば,わかりやすく普及しやすい技術といえよう。換言すれば,便利でなく簡単でなく安くないものがあれば,そこに技術開発のニーズが隠されているといえる。
この三要素の内,土木分野において市民が直接実感できるのは“便利”である。顧客満足度(CS)として,現在の社会資本整備に市民が満足しているか否かで判断する場合,“便利さ”はどのように受け取られているだろうか。多様な価値観があるとしても,多くの人は何をもって便利と感じるのかを直視する必要がある。何故ならば,“簡単”,“安い”は一般市民には直接的に実感されにくく,“便利”が評価されないと技術の存在そのものが否定されるからである。
3 一市民としてのニーズ
技術開発においては,ニーズのキャッチアップが不可欠である。これからの土木におけるニーズとは何かを示唆する事例を次に紹介する。
平成14年10月に佐賀県土木部は,県全域の20代から70代の男女約3000名を対象にして道づくりについてのアンケート調査を行い,その結果をホームページで公開している。図ー2は,これまでの道路整備についての満足度の回答であるが,満足が約3割であるのに対して約6割は何らかの不満があるとなっている。この結果をどのようにみればいいのであろうか。
土木事業に携わる者にとっては,不満が多いという結果は素直には認めにくいはずである。しかしながら,もし,仕事を離れて一市民として生活する立場でみた場合はどうであろうか。子供連れで買い物に行く時,運転中に自転車や老人にヒヤッとした時,渋滞でいらいらした時,そのような場合に,道がもっとよくならないのか,もっと快適で安全な道にならないのかと感じたことはないだろうか。少なからず不満を感じたはずであり,アンケート結果に近い感覚のはずである。
次に,優先すべき整備目標についての回答結果を図ー3に示す。「安全で安心な道路の整備」が約6割を占めており,暮らしに密着した道路整備が望まれていることがわかる。換言すれば,道づくりに対する不満の多くは,ゆとりある生活に対応した道路環境が整ってないことに起因しているといえる。
この結果に見られるように,これからの時代においては,個人個人の生活圏内の環境整備がより強く望まれている。その要求を満足するように環境を整えるためには,土木のプロとしての立場で対応するのではなく,一市民としての立場あるいは目線で考えることが大事になってきている。
一市民としての立場から身近な生活環境や道路工事などを眺めた時,「もっと〇〇になればいいのに」,「△△することはできないのかな」,「なぜいつも◇◇なんだろう」などの不満や要求が浮かんだ経験が少なからずあるはずである。それらの不満や要求こそ土木に対するニーズの原点であり,この小さなニーズをキャッチアップして,それに応えるべく技術力を駆使して取り組むことが市民工学(Civil Engineering)といわれる土木技術の役割であろう。
ベビーカーで安心して買い物に行ける街,そのような暮らしを楽しめる社会資本を整備することが,これからの土木技術者に求められている。
4 既成概念からの脱却
(1)不可能なニーズヘの挑戦
これからの時代において,技術開発により技術力を高めることが最重要課題であることは間違いない。この技術開発を成功させるためには,いかにして社会のニーズを捉えるかにかかっているが,土木分野においては,アンケート結果にみられるように大小様々なニーズが山積しており,まさに宝の山である。
しかしながら,これらのニーズに対して「金をかけさえすれば解決できるが」,「開発しても独占できないから無駄だ」などの理由で簡単に避けてしまうことが多すぎる感が強い。技術者ならば,ニーズに対して技術的に解決出来るか出来ないかの議論があって然るべきで,もし,出来ないとすれば挑戦してみようという気概を持つことが大事である。
また,「技術開発は要素技術の開発が主流であるため,総合工学である土木分野にはあまりなじまない」という幻想にとらわれているのではないだろうか。ところが,ベンチャー企業がなかなか自立できずにいる昨今において,数少ない成功事例の一つは土木分野の要素技術を開発した中小企業であり,既成概念から脱却することも必要である。
このベンチャー企業は福岡市の掘進シールドメーカーS社であるが,発注者のちょっとした一言,すなわち小さなニーズを見逃さずに,不可能と思われることにプロの意地で挑戦して新技術を完成させ,その技術が現実化することにより新たなニーズを掘り起こしてさらに発展させているのである。その経緯を簡単に紹介する。
(2)開発目標の単純化と論理性
市街区域における生活インフラの地中化において重要な役割を果たすのが掘進シールド工法であるが,その課題は掘進機を回収するスペースの確保であり,回収用立坑は長期間の交通障害になりやすく,一方,立坑築造が出来ない場合には掘進機を放棄せざるを得ず,環境対策やコスト高など事業遂行に大きく影響する問題である。担当者の切なるニーズとして,『到達する既設人孔でマシンが回収できれば…』は当然である。しかし,掘進シールドの場合には切羽安定の必要性から掘進機は長尺筒状にならざるを得ず,狭い人坑での回収は不可能が常識であった。
これに対してS社の技術者は,プロとしての意地にかけてもそのニーズに応えようとして,掘進機の切刃安定の機能を分離しさえすれば可能であることに着目し,安定液理論に基づいて高濃度泥水により切羽安定が図れる技術を開発することで,例えば,管径Φ800mm用の掘進機を内径1200mmの到達人孔で回収可能にしたのである。さらに,切羽安定に高濃度泥水を用いることにより掘進機の曲線推進や低推力推進が容易になり,従来の推進工法では不可能とされていた9.5Rや交角91゜の超急曲線や1km以上の超長距離の施工を実現している。不可能を可能にしたのである。
この技術開発の優れたところは,論理的に可能性を明確にしてから取組んでいるところである。何を解決すればよいのかという対象の絞込みとそれを解決するに最適な理論の構築をベースにしている。すなわち,掘進シールドをみやげ物によくあるピン結合のヘビの玩具に例えて,そのままでは推しても折れ曲がって進めないが,少し大きな径のホースの中を通すと曲線でも自在に推し進むことができるのと同じ原理から,そのホースの造り方さえ解決すればよいと目標を単純化して,それを実現できる理論の構築を十分に行っている点である(http://www.verstmole.com/から引用)。ニーズを把握しての問題提起,基本原理の構想,目標の絞込み,技術を成立させる理論構築,などの一連の流れが優れた技術には備わっている。開発目的と理屈がはっきりしていれば,その技術は理解して納得しやすく,その効果も容易に想像しやすい。すなわち,わかりやすい技術であれば,例え実績がなくても普及していくのは自明である。
(3)技術開発の醍醐味
S社の会議室には,T市の担当者から贈られた名産の達磨が飾ってある。コスト縮減効果もさることながら,市街地の事業において最も頭を悩ませる環境対策や地元説明から解放されたことに対する担当者の率直な感謝の意とうかがった。小さなニーズをキャッチアップして,不可能とされることに挑戦して実現すれば,技術者冥利に尽きる成果が得られる証といえよう。
本件はごく最近の事例であるが,これからの時代においてはますます多くなる,いや,多くならねばならない事例であり,そこに土木技術者としての活躍が期待されている。土木分野には技術で勝負することの醍醐味がまだまだ残されている。
5 市場における技術評価
(1)建設技術の評価の意義
これからの時代が技術で勝負する時代になるのは明白であるが,技術そのものや技術力は無形である(目に見えにくい,勘定しにくい)ことから適正には評価されにくいという現実がある。さらに,土木分野においては,目的の構造物をいかに造るかという工程(プロセス)段階において技術力が発揮される場合が多く,また,現場条件など様々な条件が異なるため,一律的定量的な評価を行いにくい特徴が加わる。
とはいうものの,建設技術の評価が進まないというわけではない。評価しにくいと評価されないとは全く異質のものであり,評価軸(ものさし)と比較するもの(水準)がわかりやすくなれば,土木分野においても適正な技術評価は可能である。
また,明確な評価体制があることによりはじめて第三者からの信用を得ることが出来るのであって,それは世間一般にいわれる公共事業の談合イメージを一掃することにつながり,「いいものはいい」として公明正大に優れた技術あるいは技術者を選定する説明責任を果たせることにもつながるのである。評価=信用である。「失敗することは許されない」というリスクからの実績主義とそれに依存した体質から脱却して,技術評価を一つの柱にすることがこれからの土木技術者に求められている。
(2)技術評価と技術担保
一方,優れた民間技術が普及発展するためには,企業経営が成り立つことが前提である。例え優れた評価を受けた技術を保持していても,それが企業に対する投資や融資の判断材料(資産価値)として認知されなければ企業にとってのメリットは少なく,独自に開発・事業化しようとする意欲は高まらない。
その問題を解消し,技術評価が資産評価と同位置の社会的基準軸(有担保主義に替わる技術担保主義)になることを目的として,㈳日本工業技術振興協会・技術評価情報センター(Center of Technology Assesmnet, CTA)では,「厳正,中立公正,権威,守秘義務厳守」を基本方針とした定量的な技術評価を平成7年から実施している。このCTAにおける技術評価の項目と内容を表ー1に示すが,一般的な技術評価とは異なり,投資価値の判断材料とするに必要な項目で構成されている。
この中でとくに注目すべきは「市場性」である。土木技術者にとって,市場性と技術との関連を理解するのは容易ではないと思われるが,市場性の判断基準はあくまでもニーズということに留意すべきである。すなわち,「需要の安定性」では潜在的あるいは顕在化された需要動向で判断されるが,この潜在的需要こそ前述の小さなニーズである。また,「技術の寿命」は,社会の価値観の変化や経済趨勢を反映して遂行する公共事業においては当然あって然るべき要素であり,いずれも土木技術とは密接な関係にあるといえよう。
ちなみに,このCTAによる技術評価が有効な判断材料となって,前述のS社は福岡県のベンチャー育成支援事業からの支援を受けての技術開発ならびに事業化への資金調達を可能にしている。
(3)公共事業における技術の市場性
他分野の技術開発の場合,対象ユーザーは一般大衆であり,その需要動向で市場が形成される。一方,公共事業の場合,直接的ユーザーは発注機関であるため,市場予測に必要な需要動向が明確にされにくい状況にある。もし,発注機関からの「こんな技術があれば使うのに」というニーズが明確であれば,それを解決する技術の市場が予測でき,民間企業の開発意欲を刺激するはずである。
これは,決して「一部の企業に利益をもたらす」ことではない。いまだ山積する市民ニーズに応えるために限られた財源で整備せねばならないこれからの時代において,“便利”,”簡単”,“安い”の三要素を備えた技術を活用することは不可決であり,その技術を求めていくこと(ニーズの明示)が発注者の責任である。要求水準を明確にした工事目的や達成すべき成果を詳細に定めた設定条件などを示す,すなわち,事業目的を満足する技術ニーズをわかりやすく示せばよいだけである。
その際,単なる「コスト削減」や「環境保全」などの抽象的表現ではニーズとして無意味である。もし,テレビを買うとするなら何を判断基準にして決めるであろうか。安いだけではなく,見栄えや使いやすさやメーカーの信頼度などを勘案して購入するはずである。それと同じことである。
6 ユニットプライスの光明
(1)プライス(価格)とコスト(原価)
「製品の原価は〇〇なので,価格は□□です。」,「材料原価は△△のはずだから,××の価格にしろ。」といわれてものの売買が成り立つだろうか。市場経済では需要と供給の関係から物価(物の価格)が定まるのであって,決して原価(コスト)から決まるものではない。商契約の対象は得物の対価である。すなわち,物を買おうとする場合には,要求水準に見合った妥当な価格で予算を組み,該当群の中で最も安いものを購入するのが経済である。この設定価格の中で,要求水準を満たしながらいかに原価を削減して利潤を上げるか(原価企画:コストマネジメント)が経営である。
いま,公共事業の発注方式に価格の概念が組み込まれようとしている。従来の積み上げ積算ではなく,妥当な対価で完成品を調達する動きである。この完成品についての要求性能(水準)が明確にされて,その性能に見合う価格が設定されれば,技術開発の目標が極めてわかりやすくなる。
一方,完成品の要求水準や性能評価が曖昧なままで,単に実績価格だけが指標になった場合には,技術の火があっという間に消えてしまうであろう。諸刃の剣ではあるが,技術開発にとって光明となる前者にするのが技術者の責任である。
(2)ソフト技術に対するフィー(報酬)
技術にはハードとソフトの両面があるが,企業にとってはそのノウハウが財産である。しかしながら,従来の原価積算方式においては,このノウハウヘの対価は間接経費や歩掛りなどの曖昧模糊とした算定基準しかないのが現状である。これに対して,一般社会においては価格の中でノウハウの対価を得るのが当然であり,ソフト技術の優劣は利潤の大小として明確に表れる。知的提供に対する報酬にしても同様である。
最終事業費の圧縮が重要な今日,当初事業費の中で要求性能を満たすものを必要最小限にいかに調達するか(VE)が求められている。この当初事業費を一つの価格とみなして設定すれば,企業のソフト技術の開発競争は必然的に高まり,結果として良いものを安く買えることになるはずである。
7 おわりに
土木は,造った物や整備した結果が歴然として現れることから,もともとわかりやすい分野のはずである。わかりやすいからこそ,土木には壮大な夢を実現するというロマンがあり,その実現させる技術こそ土木技術の所以である。ただし,技術を駆使するプロセスが完成後にはまったく隠れてしまうため,“縁の下の力持ち”に甘んじなければならないのが残念である。
土木技術の開発と評価というテーマについては,様々な切り口があると思われる。筆者としては,これからの土木技術のあり方について,わかりやすさという切り口から述べてきたつもりである。技術開発,技術評価,技術活用などの技術普及にかかわる各分野で活躍される諸兄の参考になれば幸いである。なお,本文は,土木学会西部支部主催の講習会(平成15年11月)で筆者が講演した内容に加筆したものである。
最後に,本稿を執筆するにあたって,技術をもつ元気な地場企業数社を佐銀リース㈱福岡支店に紹介いただいた。また,技術ベンチャー例として,進和技術開発㈱から貴重な情報を提供いただいた。ここに,感謝の意を表します。