名島橋歴史ロマン
建設省福岡国道工事事務所
所長
所長
長谷部 正 和
一般国道「名島橋」は福岡市東区を流れる多々良川の河口部に架かる延長204m,幅員24mの7径間連続鉄筋コンクリートアーチ橋です。
本橋は福岡県土木部により,昭和5年度に工事着手され,昭和8年11月にそのアーチ構造の橋体に御影石を配した白亜に輝く名橋として誕生しました。その後太平洋戦争が勃発し,戦火の中,照明灯などの撤去,空襲を避けるためのコールタールによる迷彩が行われ幸いにも被災を免れましたが,大きくその容貌が変化しました。
その後,交通量の増大,車両の大型化により箱崎側の橋台が沈下し,アーチバランスが崩れ,落橋の危機がありましたが,コンクリート注入などによる周辺地盤改良やアーチ部の補強により現在健全な状況を保っており,1日あたり54,000台の交通が利用するなど,福岡市の東の玄関としてその重要な役割を担っています。
名島橋の60周年,人間で言えば還暦を迎えるにあたり,本橋の管理を行っている福岡国道工事事務所では,60年もの長い歳月にわたる功労をたたえ,今後とも末永く活躍して行くことを祈念するため,名島橋を建設当時の光り輝く姿に復元し「還暦祝い」をすることを計画しました。
建設当時の資料のほとんどが散逸しており,当時の詳細を解明することは困難でした。このため「馬車や自転車が交通の主力であった時代になぜこのような規模の橋が造られたのか?」その謎解きを出発点に広く地域の人々に情報の提供を求めましたが,このことは新聞やテレビ,ラジオでも取り上げられ,多くの方々から当時の写真,図面や謎解きの資料,意見が多数寄せられました。
「軍事目的だった」とか「路面電車を走らせる目的があった」等の意見がありましたが,いずれにしても完成した橋の広さに当時の人々も大変驚いたそうです。
復元内容は親柱,高欄を洗浄,研磨し建設時の状態にすること,戦時中に撤去された照明灯を復元すること,高欄,照明灯と調和したブロンズタイプの横断防止柵を設置すること,歩道を御影石の自然石で舗装することなどであり,また本事業にあわせ名島橋下流左岸において,福岡県による多々良川環境整備事業,福岡市による都市サイン事業が実施されました。
復元事業の完成に合わせ,橋にちなんだ8月4日に架橋60周年記念「名島橋歴史ロマンフェスティバル」と銘打ちイベントを実施しました。
イベントは,「名島橋歴史ロマンシンポジウム」,「名島橋歴史検証写真展」,「親柱(還暦衣装)除幕式」,「名島橋サンクスフェア」の4部構成で実施しました。
シンポジウムはまず橋の規模,構造形式,デザインや時代背景が似ている新潟の万代橋との兄弟橋縁組から始まりました。万代橋は昭和4年に建設された橋長307m,幅員21.9mで橋面に御影石を配した鉄筋コンクリートアーチ橋であり,新潟のシンボルとして広く市民に愛されている名橋であります。
縁組調印は橋の管理者である新潟,福岡の両国道工事事務所長および新潟,福岡の両市長,両商工会議所会頭の六者で締結され,両地域の更なる交流発展と友好親善を深める契機となりました。
シンポジウムでは先の謎解きに関する経過報告に続き,九州大学太田俊昭教授による「名島橋建設と橋のデザイン」,熊本大学崎元達郎教授による「九州の文化的,歴史的橋梁の再発見」,新潟の末田一好氏による「地域における橋の役割(万代橋の報告)」の三課題で基調講演が行われ,「還暦を祝ってもらえるような橋をこれからも造って行くためにはどうすればよいか」をテーマとしパネルデイスカッションが行われた。定員400人の会場に500人以上の参加があり,立ち見も出るなかで,橋の役割,橋のデザインの在り方等についての熱い議論が行われました。
また8月4日から7日までの4日間にわたって実施した「名島橋歴史検証写真展」では,木橋時代から今日までの名島橋の歴史,同時期の時代背景,福岡周辺のちょっと良い橋等の写真を展示し多くの方々に橋への親しみを感じていただいた。
名島橋のたもとでは,人の「還暦祝い」と同じく,赤いちゃんちゃんこと帽子を着けた親柱の除幕式,50年振りに復元した照明灯の点灯式,子供神輿等による60年目のわたり初め等が行われました。
さらに地元広場においては,名島橋の功績に感謝する「名島橋サンクスフェア」が名島商工会等の有志の主催で実施されました。多数の青空市,露店を設けるとともに,ステージにおいてはバナナのたたき売り,マジックショー,和太鼓演奏,詩吟,剣舞等が行われました。そして最後の締めくくりとして行ったレーザー光線を用いた名島橋メッセージは参加していた3,500人の拍手を誘い印象深いイベントとなりました。
橋の「還暦」という特異な名目でのイベントを通じ,多くの方の橋に対する熱い思いが語られました。名島橋復元事業を一緒に実施した福岡県土木部,福岡市土木局の方,名島橋の謎を一緒に調べた地元自治会,公民館,地元在住の方,名島橋の写真,資料を提供された方,シンポジウムに参加されたパネラーの方,兄弟橋縁組のため福岡においでいただいた新潟市,新潟商工会議所,新潟国道工事事務所の方,サンクスフェアを主催された地元商工会の方,全般に亘りご指導をいただいた九州大学の先生方,作業を共にした道路保全センター,プランニング松元の方,応援していただいた名島会の方など,皆様のご協力に深くお礼を申し上げるとともに,このような大きな輪を造った名島橋のすごさ,土木事業のすばらしさに改めて感動させられました。