九州技報 第12号 巻頭言
九州工業大学工学部長
渡 辺 明
過月,山崎拓建設大臣と秦野章代議士がTV対談で,「厳しい大自然と闘い,人間の生活空間や産業の生成基盤を営々と構築してきている土木事業の寄与の面は評価されず,環境破壊の側面だけがやたら糾弾されているのは片手落ちである。Constructionが破壊のイメージのみで捉えられ,Creationの側面が無視されているのは是正の必要がある」といった趣旨のことを述べておられた。
「橋は建築屋が造るものとばかり思っていた」と言った某国立大学工学部の教官のことが話題にあがったことがある。本四連絡橋を渡ったある主婦が「こんなすばらしいものを土木屋さんが造ったのですか」と驚嘆の声をあげたという話も新聞で読んだ。公共事業を主軸とする土木は,マスコミ広告代を最も支出しない産業であり,とかくの偏見不評の中で社会の黒子役に徹している。そして,土木をロマンに満ちた天職と心得,己れの仕事に誇りを持ってきたいわゆる昔気質の土木屋は,「巧言令色鮮矣仁」に徹し敢えて戦績を語らず,家に帰っても仕事の話は一切しない事を多年の習いとしてきた。
しかしいまや,「男は黙ってサッポロビール」などと孤塁に籠って,痩せ我漫ですませる時代ではない。言わなければ,説明しなければわかって貰えない時代に確実になったのである。
さて,「その人が悪かったのではない。その人へもたらされた情報が悪かったのだ」と思わせる事例が世の中では圧倒的に多い。とすれば学会や協会は,会員同志だけで侃侃諤々 議論するより,むしろ一般へむけて土木の実質を伝える必要があるのだと,筆者は痛感する。「開発」か「環境保全」かという二律背反のジレンマに常に苦悩しつつ,結局,環境破壊を最小限に抑え自然との調和を計りながら,3Kとか6Kとか言われる職場の中で,昼夜厭わず社会資本の構築に邁進している土木の実態を,まず正確に伝えねばならない。そして,「土木作業員」「談合」とかのイメージだけで受け取られていることも,内部変革ももちろん進めながら,糺していかなければならないと思う。土木屋は自らが流している汗と涙に見合う正しい評価を受けていない。一般に向けてのプロパガンダが是非必要である。
ただし,土木はこれまでの効率主義的価値観を見直し,21世紀型開発への変革も真剣に図るべきではないだろうか。
(平4·9·28記)