九州における今後の川づくりビジョンについて
建設省九州地方建設局 河川部
河川調査官
河川調査官
中 村 健 一
1 はじめに
九州地方は,急峻な地形,しらす・有明粘土等に代表される特殊土壌地域が多い。また,梅雨前線や台風等の影響を強く受けるため,全国的に見ても自然災害の発生頻度が高い。さらに,近年の少雨傾向と相まって,水利用の高度化や水需要の増加等があり,北部九州や島嶼部を中心に,水需要の多い夏場ばかりでなく,年間を通して渇水被害が頻発している。河川環境についても地域住民の関心は非常に高く,環境保全や河川利用までその要請は多様化している。
本格的な高齢化社会が到来する21世紀を目前にして,このような九州地方が抱える課題や多様に変化する社会の要請に的確に対応していくためには,多様な河川像を模索し,長期的,広域的視点に立った川づくりを展開することが必要である。
九州地方建設局では,九州における今後の川づくりビジョンについて,九州内における各界の有識者のご意見を賜るため,平成7年6月に「九州河川懇話会Jを設けた。懇話会では,6回にわたる熱心な討議を重ね,平成8年6月に「九州河川懇話会の提言」として取りまとめていただいた。
本文は,九州河川懇話会から提言を頂いた,川づくりビジョンの概要について述べるものである。
2 九州の河川の特性と地域へのダメージ
(1)急流,暴れ川
① 梅雨と台風の常襲地帯
九州地方は,地理的特性から梅雨や台風の影響を強く受け,降雨は集中豪雨として短期間に降り注ぐことが多い。また,九州の主要河川の河状係数は100~900程度と極めて大きく,流況が不安定で,水害が起こりやすい状況にある。
② 頻発する土砂災害
九州には,阿蘇山,霧島山,雲仙普賢岳等活火山があり,しらす層,黒ぼく層等の浸食されやすい火山地域特有の地質が分布している。また,平成3年の台風による風倒木被害で,九州各地の山腹は荒廃しており,少最の降雨でも土石流が発生しやすく,土砂被害が起こる危険性が高い状況にある。
ひとたび,土砂災害が発生すると人的被害や交通網を遮断する等の甚大な被害を与えている。
③ 河川の氾濫区域の特性
九州には,有明海沿岸を中心として低平地が広がっており,高潮,内水氾濫等の被害を受けやすい環境にある。氾濫区域内には人口や資産が集中しており,ひとたび水害が発生すれば大きな被害が引き起こされる危険がある。
④ 九州における水害の特性
(a)諸指標に占める九州の全国での位置づけ
全国に占める九州の人口,総面積,国民所得等のシェアは10%前後である。しかし,これに対し九州の水害被害のシェアは15~20%とかなり大きい状況である。これは,九州の自然特性とともに,治水整備の遅れが原因と考えられる。また,県民総生産に占める農業生産の割合が高く,九州においては農業が重要な位置を占めている。
(b)水害被害の推移
水害被害率〔水害被害額/国民所得(九州の県民所得)〕を見ると,九州は全国平均に比べ常に高い水害被害率で推移してきており,治水投資の必要性が極めて大きい地域と言える。
(2)九州における渇水被害の発生状況
昭和42年の長崎渇水,昭和53年の福岡渇水,平成6年の列島渇水等,深刻な渇水が九州で発生している。これは,人口一人当たりの水資源賦存量が小さいうえ,河川の流況が安定していないという九州の自然特性に起因していると考えられる。
特に人口一人当たりの水資源賦存量が全国平均の6割程度の低い水準にある北部九州は,渇水の危険度が高い地域といえる。福岡市では,昭和33年から現在まで10回の給水制限を経験している。
この他,平成6年の長崎市,佐世保市の渇水や,熊本県天草地方,鹿児島市,島嶼部の渇水等,渇水は九州各地で頻繁に発生している。
3 河川整備の現状と課題
(1)治水整備の現状と課題
① 治水整備の現状
九州では,災害が起こりやすい河川環境,土砂災害を招きやすい地質状況,不足する治水投資,氾濫区域の資産,人口等の被害ポテンシャルの増加等によって依然として大きな災害が発生している。また,山間地域では,過疎化の進行した市町村が多くなっており,ひとたび水害を被ると過疎化に一層拍車がかかる恐れがある。
更に,九州は急激な高齢化の進行に伴い,災害弱者が増加しており,水害発生時の被害が拡大される可能性が高まっている。
② 河川改修事業の整備目標
九州における筑後川をはじめとする一級水系では,1/60~1/150規模の降雨を目標に工事実施基本計画を策定している。この計画に対応できる治水対策を実現するためには,相当長期間が必要になる。
このため,社会情勢変化等に柔軟に対応し効率的に治水事業を進めるために,21世紀初頭までに中規模の洪水(概ね1/30洪水)に対応できる河川の整備を目標として事業を推進している。
③ 砂防事業の整備目標
九州では,雲仙普賢岳をはじめとする桜島,霧島山の火山砂防事業および球磨川水系川辺川において直轄砂防事業を行っている。
事業による土砂災害対策を実施するには,長い時間と莫大な費用が必要とされる。このため,地域の状況と変化等に柔軟に対応した効率的な砂防事業を推進するために,河川改修と同様21世紀初頭までを当面の計画期間として事業を推進している。
(2)水資源開発の現状と課題
九州では現在まで,北部九州を中心として水資源開発が進められ,建設省直轄9ダム,水資源開発公団7ダム,多数の県管理補助ダム等が完成している。
しかし,近年の気候変動によって計画時点より降雨量の変動も大きくなり,実質的な利水安全度が低下しているのが現状である。
また,市民生活の高度化や先端産業の淡水補給量の増大等により水需要は増大の一途をたどっており,また,工業用水の回収率も限界に近づきつつあることから,今後とも水資源の供給量を増加させる必要がある。
(3)河川環境の現状と課題
① 河川に対する住民の意識
住民の意識調査を行った際,親水の場所は河川と答えた人が55%と第1位であり,「美しい景観」,「心のやすらぎ」といった水の持つ役割に対する期待が高まっている。
しかし,身近な所に水に親しむ場所があると感じているのは全体の41%であり,都市の規模が大きくなるほど水に親しむ場所がないと考えている人が多くなっている。
② 水質改善への努力
高度成長期の昭和40年代頃から流域に多くの家や工場が出来,川の自浄作用限度を超える汚水等の流入により河川の水質が汚れはじめた。その後,水質はやや改善されたものの,現在は横這いの状態が続いている。
一方,生活の快適性への要求が高まっていることから,河川の浄化対策等を一層高め,安全でおいしい水を供給する必要がある。
③ 自然との共生
画一的な河川改修によって河川環境は単純化され,これに伴い生態系の多様性が低下した。また,流域の都市化に伴うアスファルト化等で雨水の不浸透地域が増大すると,河川流量の減少や湧水の枯渇等が生じ,生物の生息環境が悪化している。
今後の川づくりについては,河川に残された豊かな自然環境を保全し,また,失われた生態系や河川環境を復元,創造する自然と共生した河川整備が求められている。
④ まちづくりとの一体化
水辺は,貴重な水と緑の空間として地域社会に潤いを与えるとともに,町の景観形成や余暇の有効利用において重要な役割を果たしており,特に最近ではまちづくりと一体的に水辺空間の整備を図ることが社会的な要請となっている。
4 九州における今後の川づくりの整備方針
〔第9次治水事業五箇年計画における九州地方建設局所管の主要施策〕
(1)安心できる川づくりのために
① 地域の根幹的治水施設の整備
六角川,緑川支川加勢川等,水害常襲地帯については,再度災害防止対策等壊滅的な被害を回避するための根幹的治水施設の充実とともに,災害時の防災拠点および情報伝達システム等のソフト対策を含めた地域一体となった災害に強い川づくりを推進していく。
近年の大規模災害からの復興のため,雲仙や鹿児島大水害等の近年の出水により甚大な被害をもたらした地域については,まちづくりとの連携を十分図りながら治水対策を集中的に実施し,安全なまちづくりを図っていく。また,全国に比べて過疎化,高齢化の比率が高く,中山間地域を多く抱える九州では,小規模集落や生活の場を守るため,球磨川等の狭あい部の嵩上げによる浸水防御等きめ細かい治水事業を推進していく。
② 頻発する市民生活への影響の軽減
大分市,佐賀市,宮崎市等の地方中核都市においては,水害等により床上浸水等の都市生活の根幹に影響を及ぼす被害が頻繁に発生していることから,市民生活や高齢者等の災害弱者の生活を守り,安心して暮らせるために,床上浸水対策特別緊急事業等を実施していく。
③ 堤防等治水施設の質的向上
既設の治水施設の質的安全性を高めることは,投資効果的にも有効である。
堤防については,漏水や洗掘の恐れのある箇所および弱小堤箇所等,重要水防箇所の安全性の向上,また,老朽化した樋門・樋管や排水機場等の河川構造物の維持更新等の施策を着実に実施していく。
この他,九州は低平地が多く地震等における浸水被害の危険度が高いことから,堤防等河川構造物への耐震対策も図っていく。
④ 氾濫原での被害軽減対策の強化
治水施設の整備に加え,洪水が氾濫した時に氾濫原での様々な対策を複合的に講じることで,被害を大幅に軽減できる。
このため,水害,地震等の緊急時における防災拠点等の整備として,防災ステーション,ヘリポート等の整備を図り,危機管理対策の充実を図っていく。
また,出水時の水埋・水文情報の提供,緊急時の避難システムの確立,緊急避難路および避難地の確保等,ソフト的な対策も積極的に推進していく。
⑤ 火山活動に対する安全の確保
火山活動に伴う土砂災害が地域に与える影響は計り知れないものがある。このような災害から住民の生命財産を守るため,雲仙をはじめとする桜島,霧島山の火山砂防事業を鋭意推進していく。
特に雲仙普賢岳の砂防事業は,被害から復興という観点からも住民の期待は特別なものがあることから,早急な砂防施設の整備と合わせ,地域の復興を支援する事業も実施していく。
⑥ 中山間等の地域の生命機能の保全
過疎化・高齢化が進む川辺川流域等の中山間地域等においては,労働人口の減少によって森林の荒廃が進み,将来的に大きな災害を被る恐れがある。また,土砂災害による地域の孤立化の可能性も高いことから,生活拠点の安全確保および交通手段の確保が重要である。
このような中山間地域において,土砂災害に対する安全を確保するための,効率的な砂防関係事業の推進と併せて,定住化を促すような安心して暮らせる地域づくりを推進していく。
⑦ 火山噴火等に対するソフト対策の充実
火山噴火に対応するハード的対応は,火山活動の規模の大きさと被害の甚大なことにより,長い年月と莫大な予算を必要とする。また,土石流危険渓流の砂防施設によるハード対策の整備水準は,全国平均で約20%と極めて低い水準にとどまっている。
このため,ハード対策が途上の形態での土砂災害等による人的被害をなくすため,警戒避難システムの整備を進め,県,市町村の地域防災計画との連携を図り,土砂災害危険個所の警戒避難体制を整備していく。
⑧ 頻発する渇水からの脱却
〔ダム等による水資源の確保〕
地域によっては水需要が逼迫しており,更に近年の気象変動により利水安全度が実質低下していることから,現在事業中の竜門ダム,川辺川ダム,嘉瀬川ダム及び大分川ダム等の早期完成を図るとともに,特に渇水が頻繁に発生している北部九州においては,現在進められている事業を推進するとともに,ダム群連携事業等の事業化に向けた取り組みを推進していく。
また,長崎市,佐世保市等に見られるような局地的な渇水被害を軽減させるために,小規模生活ダムの整備が必要である。
〔既存施設等による水の有効利用〕
既存の水資源開発施設の有効利用や,取排水システムの再編等効率的な河川水利用のための適正な河川管理を図っていく。
また,社会経済情勢の変化に応じて水資源を適切に配分することが求められており特に慣行水利権として取り扱われている農業用水については,農林水産省等関係機関との協力も得てその取水実態の明確化に努めるとともに,農業用水が持つ機能に配慮しつつ余剰化している水最については転用を検討していく必要がある。
⑨ 節水型社会の構築に向けて
流域における水資源賦存量そのものに限界があり,水の大量消背は自然等に大きな影響を与えることを認識し,節水型社会の構築を目指す必要がある。
そのために,中水道の整備,下水処理水の有効利用,雨水利用等についても出来るところから実現を図るとともに,広報や環境学習等により水意識の高揚や節水機器の普及等にも尚一層の努力を行っていく。
(2)健全でうるおいのある川づくり
① 生物の多様な生育環境の保全と創造
河川の自然環境を活かした川づくりや,魚が川の中を自由に上がったり下がったり出来るような川づくりを実施し,生物の多様な生育環境の保全と創造を図っていく。
このため,既設ダムを越えてアユ等の遡上を目指す球磨川や,地域のシンボルであるサケの復活を目指す遠賀川等において,魚がのぼりやすい川づくり事業を推進するとともに,全ての河川において多自然型川づくりを引き続き推進していく。
この他,治水上可能な限り自然に近い多様な河川の整備を目指すとともに,河道内の樹木等についても,治水に与える影響を把握して保全が図れるような川づくりを目指していく。
② 健全な水循環系の確保
水循環系の変化によって生じる各種の問題について常に水系一環の広域的視点からとらえ,総合的長期的に取り組む必要がある。
また,平常時の水量の減少や湧水の枯渇,地下水位の低下(地盤沈下)等の問題が顕在化している地域においては,これらの問題把握のためのモニタリングの強化を図り,適切な対応を図っていく。
③ 健康・快適空間の創出
河川は流域住民にとって最も身近で日常的に接する事の出来る優れた自然環境の一つであり,河川空間が有するレクリエーション機能等の充実を図っていく必要がある。また,ダムの貯水池周辺についても自然環境との調和を図り,貯水池に訪れる人々に水と緑の豊かなオープンスペースの提供を図っていく。
この他高齢者・障害者等を含む全ての人々が生涯を通じて健康で心豊かな生活を送ることが出来るよう,社会福祉の構築が急務となっており,河川整備においても,緩勾配の坂路の設置等,市民の健康志向に配慮した対策を推進していく。
④ 砂防事業による優れた自然の保全
桜島,霧島等においては国立公園内での事業実施となるため,自然環境に十分配慮して事業を実施していく必要がある。
(3)個性ある国土を地域とともに
① 地域と一体となった川づくり
地域と一体となった治水事業の推進として,川内川(川内市街部改修),白川(熊本市街部改修),本明川等においては,区画整理事業,市街地再開発事業等と調整を図りつつ,地域と一体となって事業を進め,地域活性化等に寄与していく。
② 地域の歴史,風土にあった川づくり
成富兵庫茂安の偉業として名高い嘉瀬川の石井樋周辺の整備や五ケ瀬川の水神様を活かしたまちづくり等を支援する事業等河川と地域に刻まれた歴史,景観や風土を活かした川づくりについても,積極的に推進していく。
5 おわりに
九州地方建設局が今後の川づくりビジョンを実現していく為には,平成9年度を初年度とする第9次治水事業五箇年計画の基本コンセプトとしての,21世紀における,流域の視点に立った人と水との関わりの再構築を図ること,また,「健康で豊かな生活環境と美しい自然環境の調和した,安全で個性を育む活力ある社会」の実現を図ることである。
更には,公共事業の投資効果を高め,予算の効率的執行を図るためコスト縮減を目指した技術開発を推進していく。今後もこれらの実現に向けて鋭意努力していく所存である。