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ある一日
平野宏
いつも通り、7:07分に家を出る。なぜ半端な07分なのか、当の自分でも分からないまま、いつからかそれが定刻になっている。良い天気だ。三浦半島をまわる通勤コースは、大村湾沿いを走る。横断待ちの小学生を渡してやると、お礼のお辞儀が返ってきてホッコリする。順調に流れていると、突然、対向して走ってきた軽乗用車の前に、右側から猫がとび出して来て巻き込まれた。ゴトゴト、という音を、確かに聞いた。猫は車の下から左側にとびだし、私の車の前を横切って、民家の塀に飛びつく。塀の天端に前足が掛かってぶら下がったけれど、明らかに身体が痙攣している。必死にバタ狂って、やがて塀の向こう側に落ちるように消えていった。ただではすむまい。死ぬかも知れない。事故そのものよりも私は、負傷か、あるいは死に向き合った猫が、余力を振り絞って一人(一匹)になろうとしたことに、ショックを受けた。人ならどうだろう? 人なら、周りに、他者にすがろうとするに違いない。「助けて!」「救急車を!」人は必死で、社会組織と繋がろうとするだろう。そうすることが唯一、自分が生き延びる手段であることを知っているからだ。自分だけでは生還できないことを、他者の助けがなければ生きられないことを知っているからだ。弱い。生命体として、はかなすぎる。おい! 私というお前! お前、猫のように死ねるか? などと考えていたら、青信号に変わったのに気づかず、後ろから警笛を鳴らされてしまった。

今日は、佐世保方面へ営業。社用車に乗り込もうとしたら、窓にベットリ鳩の糞。駐車している倉庫に、鳩が番いで棲み着いているのだ。N君がテニスボールを投げたり、入り口にCDを下げたりしているが効果がない。「クソタレがぁ」と悪態をついてみる。水でウンを流して出かけた。

2時間程で、佐世保市街地に入る。交差点で、右折しようとしてウインカーをあげ右折帯に入って停止しているバスに、片側2車線の車道を横切って年配の女性が近寄っていった。乗降口の扉を叩いて、しきりになにやら訴えはじめる。どうやら、乗せろと言っているらしい。運転手としては、こんなところで乗せるわけにはいかないのだろう、押し問答が続いている模様。女性が車体に手をかけているので、バスも動くに動けないようだ。信号が変わって後続車からクラクションを鳴らされるが、しかし動じないのだ、永く生きてきた女性たるものは。私のような社会人が、しゃかりきで守っている常識的日常が、ささいな非常識によって綻びるシーンに立ち会うのは、ちょっと溜飲が下がる心地がする。直進車線でバスの少し後方にいた私は、顛末を最後まで見ていたかったけれど、私の守る常識がそれを許さず、後続車にせっつかれてその場をあとにする。

昼食を挟んで佐世保近辺の顧客を巡り、波佐見町方面へ足を伸ばして帰路につく。バス停の横で信号待ちしていると、窓を叩かれた。リュックを背負った老婦人で、川棚を通るか? と聞いてきた。国立病院まで乗せてくれまいか、というのだ。どうぞ、と後部座席を示したけれど、助手席に乗りこんできた。八十八歳になるそうで、入院している夫の元へ、毎日顔を出すらしい。ヒッチハイクが手慣れているので、こんな風に誰にでも声をかけるのか、と聞いてみた。

「そがん、ダイモカイモにゃ、声はかけん。ウチャ、目ぇの肥えとるけん」

なにやらモテた気分。下りるとき、黒糖飴を二個、手に握らせてくれた。しっかり握っていたのだろう、飴は少しべたついて、剥がした包み紙が手にくっついた。明日は大型物件の入札で五島へ前泊。この分ならフェリーの旅も穏やかだろう。飴をしゃぶりながら、少し陽の傾いた大村湾沿いを帰った。

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