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美しい水辺環境の創出について
(多自然型川づくりの視点)

㈱西日本科学技術研究所
 代表取締役
福 留 脩 文

1 はじめに
平成2年11月に,建設省から全国に出された通達「多自然型川づくり」は,ひとりこれまでの河川工法としての技術を見直すということでなく,戦後の国土保全や経済開発の時代,さらに近年の国民生活の質的な向上をめざした土木事業の再評価と,21世紀に予測される地球規模の環境問題に向かうべき,生態学志向の環境政策への転換を示唆するものとしても期待している。
筆者は,これまでその「多自然型川づくり」の参考となってきたスイスの河川再活性化の技術や,森および農村の生態学的な再整備の手法を学ぶ機会を得てきた。それらを背景にして,わが国の美しい水辺環境の創出について,以下に整理してみたい。

2 スイス「近自然運動」の背景
今日の緑におおわれたスイスの牧歌的な風景は,これまでの自然を開発してきた歴史の結果であるという。
18世紀後半にイギリスから起こったヨーロッパの産業革命は,スイスの森林からも大量の木材を切り出した。そして,19世紀の後半に森林法や河川法が整備されるまでの国土は,山林の荒廃を招き,河川は地方によって氾濫の歴史をくり返す状態であったという。
1874年には,森林域の保護と山岳地域の河川改修などに関する州の法的決定権を規定する,スイス連邦の憲法が改定された。これにより森の中の樹木は増加し,アルプスに源を発する大小の河川はことごとく治水目的の改修が施され,流域の安全は確保されていった。そして,農地の拡大や都市化が進展し,流域は高度な土地利用が可能となっていった。

しかし,その一方で,かつて豊富に見られた自然界の植物や動物は,多くの種が絶滅またはその危機にひんし,さらに先祖から受け継いできた美しい山や野や小川の風景も,いつの間にかその姿が大きく変わろうとしていた。
スイスでの「近自然」(Naturnaherというドイツ語を筆者らは近自然と訳した)という共通したコンセプトを頭におく「ふるさと再創造」の運動は,約20年程前,そうした背景のもとにチューリッヒ州を中心に展開していった。
このドイツ語のNaturnaherという言葉の裏には,「人間対自然」という認識に関するヨーロッパでの,思想・哲学の葛藤の歴史が色濃く存在しているようである。人間は言葉を使うことによって,内部に発するものを他者に伝えることができるようになった。Naturnaherという言葉にも,表面的・技術的なことよりさらに深い人の思いをいかに伝えるか,という努力が凝縮されているように思える。
いまその事業に携わる人々から受ける説明や関係文書には,常にその思想が語られているが,地元の識者はこのことを次のように解説している。
中部・北部ヨーロッパの人たちのあいだでは,人間が文化をつくるということは,すなわち「自然」に手を加えていくことだったという意識・自覚が生まれてきている。ヨーロッパの歴史のなかで,人間の文化は,とくに中世以降の都市の発展と,それに伴うヨーロッパ的市民意識を推し進めた合理主義によってもたらされた。自然から離れることは発展であり,自然は神の許しのもとに人間が自由に開発してもよいものであった。その反面,自然に対する深い思い入れも存在してきた。そして,近代以降その二面性がバランスを崩し,一方が行きつくところまでいったところで,今もうひとつの面が揺り動かされて出てきている。その一端がNaturnaherということばに象徴される「近自然運動」なのだ……と。
国際化時代の中で,わが国も川づくりに限らず近代の日本の歴史や文化的な側面,そして自然に対する姿勢を見直し,新しい自然との関係を見出していく必要があるようにも思われる。

3 景観・ラントシャフトの概念
わが国でも,戦後の復興と高度経済成長の時代を経て,安らぎとうるおいのある国土づくりへと国民の要望が変遷する過程を経てきた。そしてこの時代,「景観」という新しいコンセプトがクローズアップされてきたように思われる。
われわれが,日本で通常「景観づくり」というときには,人間にとって感覚的または視覚的に好ましい人工の施設をデザインしようとする傾向が強い。それは主として無計画に建設・拡大されていったこれまでの多くの都市空間において,その乱雑さや混とんさから発生する人間の精神的な不安感や,事故や犯罪などの都市病理学上の問題を解消する目的や風景の絵画的な美しさを追求するアートデザインの流れを汲む,いわば「ランドスケープ・アーキテクチャー」の世界である。
それに対し,同じ「景観」という意味をもつドイツ語の「ラントシャフト」という単語は,本質的には「森や河川など,その土地本来の自然が立地している地域」のことであり,通常,農地も含むと解釈されている。今日でもこの言葉は,「土地利用のうえで人間中心の生活や経済活動にとって合理的に改変した地域」を表わすジードルングSiedlungというような言葉と対立的に区別して用いられている。
そして,このラントシャフトという言葉に対して人々が抱くイメージには,自然界が自ら躍動する水の流れや大気の動き,また地方固有の地形が四季を通してかもし出す独特の美しさへの畏敬の念というものがあり,またその土地在来の小さな植物や動物の息づかいをいとおしむ同情の念も含まれているようである。従って,ドイツ語でラントシャフトという言葉が,「景観」という意味に使われるとき,われわれは人間がつくり出した人工的・都市的な造形またはその美と区別して,神が創造した万物の生命が宿る不二の自然環境としての景観を理解しなければならないように思われる。
一方,景観生態学者や生態系生態学者たちによっては,このラントシャフトという自然地域を,多様な生態系の集合体としてとらえ,その生態系の構成要素は,特定の地形や地質,水域および気候ならびに植物,動物によって成り立ち,それらの発展や生産性および安定性によって,地方独自のラントシャフトが出現するという見方をとっている。
これによると,自然地域における景観デザインは,前述のランドスケープ・アーキテクチャーに対し,ランドスケープ・エコロジーがそのベースになってくる。そして,「近自然河川工法」をはじめとする,ヨーロッパの都市や地方に自然を復活する運動の背景には,これまで失ってきた自然環境のバランスを,人間中心の感覚的または視覚的な視点から修景するのでなく,地域生態系の復元そのものを目指す,いわば土木,生態,建築そして農業の領域にもまたがる文化の思想と技術の展開が見受けられる。

4 自然のダイナミズム
Naturnaherという言葉の概念の本質は,下記のとおりである。
生き物の生息しない裸地の状態が,自然の遷移により成熟した湿原や森になるためには数10年から数1,000年かかる。そこに人間が自然復元の手を加えた場合でも,その状態から真の成熟した自然を待つにはさらに多くの年月を要する。たとえば,森は100年から300年を経なければならない。われわれは,真の自然を知らない。人間に可能なことは,自然界が新たに発展できる領域を残し,そこでの種の多様性をできる限り回復させ,生態系自らが生産性と安定性を取り戻すのを待つしかない。
ここに,われわれは再び自然界自らの発展や生産性および安定性について考慮しなければならない。いわゆる人工的な施設のデザインを考える場合との本質的な違いである。ランドスケープエコロジーの立場からは,ひとつひとつの生態系の中に多様な種を発見するのと同じように,一つのラントシャフトの中にその生態系が構成する空間,つまりエコトープのタイプの多様性が存在することを見出す。それには丘陵地の草地斜面や森,または谷底や河川の氾濫原でのエコトープなどがあげられる。
こうした生態学的な分類を,人工の手が多く入った土地における自然環境の復元といった目的にも用いようとする応用景観生態学の立場からは,たとえば河川景観をいくつかの多様なエコトープのタイプに分けて,それぞれの対策を考えることができる。それは河川工学のうえから,たとえば根固め,低水護岸,高水敷および堤防という構造上に分類したうえで,それと併行して生態学上のエコトープタイプを付加することも可能であり,かつ重要である。そして,その一つの典型的なエコトープタイプの分け方としては,水中,陸上(高水時には冠水する)および両者の境界領域をあげることができる。
このエコトープタイプは,ヨーロッパの川であれ,日本の川であれ,また上流から下流にかけて共通した生態系の構成要素をもっている。それは水中および陸上それぞれに異なる土壌,地域気候,第一次生産者,分解者,消費者などの区分において,明らかにグループ分けされている。そして,このエコトープタイプはさらにまた異なる下位のタイプ,水中では瀬や淵,水裏部や水衝部など,陸上部では洲や河畔林や侵食崖などに分かれて,上流から下流にかけ特有のエコトープの集合体を形成していくが,それらはしばしば河川景観に特有のパターンを見せている。それは,流動する水のダイナミズムによる地理的な侵食・運搬・堆積のプロセスとしても,視覚的に認識することができる。そしてそのプロセスにこそ,それぞれの生態系の発展や生産性があり,安定性の鍵がある。

近年の治水一辺倒の河川改修事業では,護岸や河床を連続して強固に,そして単調化することにより,平常時の水の流動パターンを単調化してしまった。その結果,自然河川に見られた河床の玉石や砂利や泥の移動パターンが単調化し,全面泥混じりの砂礫が堆積する河床に変化する。そして,水生生物の中でも魚の餌となる,生態ピラミッドの底辺を構成する多くの小動物たちの生息空間が失われ,やがて生態系全体のバランスも崩れていくことになる。

そこで,そのように一度改修工事によって失ってしまった自然河川のもつダイナミズムを,これまでの治水条件を何ら侵害することなく,どのようにして復活させることができるのか。それが,わが国でも重要な,多自然型川づくりの課題になってくると思われる。以下,美しい水辺環境の創出をテーマに,多自然型川づくりへのアプローチを試みてみたい。

5 美しい水辺の環境づくり
われわれが自然界の風景に,その調和と美を見出すとき,そこに共通するいくつかのパターンとフォルム(形)に気づくことがある。たとえば上空から地上を眺めたとき,うねうねと続く山脈の背骨は,樹木の幹や枝の分岐構造に,また葉の葉脈(リブ rib)の構造にも類似している。一方,それらは河川の分岐構造にも共通するが,樹木の葉の形状をさらに詳細に観察してみると,葉脈の先端が形づくる葉の外縁は,弓型(グローイン groin)のフォルムが連続して出現しており,それはまた河川の水際に連続して現れる入り江状のフォルムの出現パターンに共通している。
その水際のフォルムは,自然界では流動する水のダイナミズムが,岸の侵食や土砂の堆積を起こさせ,リブとグローインを交互につくり出すプロセスとなって現れたものである。そして,水中でも陸上でも,そのグローインが形成する空間にさまざまなエコトープタイプ,それも生態ピラミッドの底辺を構成する小動物の生息する,極めて繊細なエコトープタイプが存在する。
この自然界のリブとグローインの構造は,われわれ土木家にさまざまなインスピレーションを与えてくれるはずである。洋の東西を問わずかっての伝統的な河川工法では,自然河川のはたらきをよく観察した結果生まれた多くの技術が発展している。その代表的な技術の一つに「水制」という工法があり,英語では“groin works”と呼ばれ,自然界の地形や動植物の骨格にあたる呼称と共通する語があてられている。

治水上における優れた水制のはたらきは,あらゆる状況下で同じ効果を発揮し万能であるというものではなく,さまざまな河川の特性とくにその生成変化の過程に応じて,流水のダイナミズムを目的別にコントロールすることである。基本的には,水の流れる方向を平水時や高水時に分けて誘導し,河岸に土砂を堆積させたり,また逆にその堆積を抑えたりする方法をとっているが,本質的には,その設計者は常にあらゆる状況下でのその河川現場を直視することにより,石材や木杭または生きた植物などのフレキシブルな材料を組み合わせ,さまざまな形態と配置の構造をシステムとしてデザインすることが求められている。そして,その維持管理に当たっても,常に観察を怠らず,河相の変化に応じてその構造に手を加えていくという仕事が継続する。

スイスでの新しい生態学志向の河川工法に,この伝統的な水制の技術が復活している。それは,これまでの十分評価に値する治水上の効果を再登場させると同時に,その自然のダイナミズムをコントロールする技術を,水中の生態系を復元する技術に応用したわけである。
これまでの水制がコントロールする対象は,主に高水時の激しい流水や土砂流から河岸を護るというものであったのに対し,新たな水制の役割は,とくに平水時の河床や水際の,水の流れや堆積土砂を誘導するプロセスをコントロールすることで,これは小動物の生息空間を新たに創出し,その空間を護るというものである。そして,この新旧二つの水制のはたらきを同時にデザインすることが,いまひとつの新しい主要な技術となっている。

この新しいコンセプトでの「水制」のモデルは,自然の河川には多種多様な天然水制の形態で存在している。そこからわれわれは,これまでの技術や経験に新しい視点を加え,人間と自然界の生物との共存をめざした「美しい水辺環境の創出」への足がかりをつかめるように思われる。
いま自然河川の構造特性から,水制の構造デザインを学んでみよう。
たとえば,水制胴部のデザインを考察してみる。まず水制全体の大きさを高さの面から規定すると,従来の構造のタイプに分ければ,非越流型の高水水制,越流型の護岸水制および根固め水制というように大きく整理することができるが,水中の底生生物を中心としたエコトープ対応型には,根固め水制で十分と思われる。現場の設計条件に応じて護岸水制も導入していけば,さらに水中から陸上のエコトープ対応型への導入が有効になる。

つぎにその水制頭部つまり水中に突き出した角の天端高については,目標とする設計レベルたとえば平水位に対し,現場ではより細かく水面レベルの変化に対応して高低差をつける。すなわち水衝部では設計水位よりも高く,逆に水裏部では低く,そして直線区間では二基の高くそして長めの水制の間に,低い短めの水制を配置する。
そのつぎに水制胴部の側面形状について見ると,まずその上流側は,この水制を通過する流水の勢いを受け止めるため直立に近く,そして水制胴部下流側の側面は,その後の新たな流向を河心側に誘導するための湾曲したリブ構造で,なおかつ足元を洗掘されないよう緩やかな勾配とする。このことにより,上下流側面非対称のデザインで基本線を描くことができる。
これらの各設計要素で,治水面と生態学面のうえから検討して組み合わせた基本デザインに,つぎに景観面からのチェックを入れる。たとえば,石組みのごつごつした感じの水制は,上流や中流の岩場の多い景観にはつりあうが,砂洲の発達する水際には異質である。こういう場所では,水制頂部のラインが砂洲や水面から突出せず,水制頭部が水中へ鋭角に進入するデザインがすっきりとしてくる。使用する材料も,巨石の組み合わせから始まり,玉石の練り積みや蛇籠との併用,あるいはコンクリート異形ブロックとの併用など,その場所の生態系にふさわしい選択をすべきである。

6 結びに
残念ながら紙数に制限がきた。そこで結びに。
この水制という人工のリブ構造を使って,間接的に自然の造形によるリブをつくりだすことができる。それは,水の流れの波動作用によってできる砂漣や砂洲のうねのことである。
河原を見ると,高水時の砂礫の移動によるリブが観察できる。また水辺から水底を眺めるとき,キラキラと光る水面の下に,河床を移動していく砂や礫のうろこ状のリブを見ることができる。そこに,エビやカニや小魚たちの健康な姿を見かけるとき,人間も初めて安全と安心を得るにちがいない。美しいシルエットを描く水面に,山紫水明の風景が静かに映し出されていればなおさらに。

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