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一世紀を越えて歴史を物語る「三角西港」

熊本県 土木部 港湾課長
松 永 誠 弥

三角西港の位置
三角西港は、熊本県の中央部で宇土半島の西端、宇城市三角町の国道57号沿いに位置しており、北は有明海、南には八代海が広がり、周辺の戸馳、維和、天草大矢野の諸島に囲まれた天然の良港です。

ハーン(小泉八雲)と三角西港
「その宿屋は、私にとっては極楽、そこの女中達は天女のように思われた。」「浴衣を着て、涼しい畳の上に楽々と座ってよい声の女中達にかしずかれて、綺麗な物に取り囲まれているのは、十九世紀のすべての悲しみの償いのようであった。」
これは、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『夏の日の夢』と題した作品の一節です。熊本の五高の教師として赴任していたハーンは明治26年に長崎へ赴き、その帰りに海路から熊本へ戻りますが、深夜の到着であったことから港の中の旅館に宿を取り一泊しました。女中達から歓待された後、女将からその宿の屋号が「浦島屋」であることを知らされたハーンは大層喜び、自らを昔話の中の浦島太郎の存在に重ねながら『夏の日の夢』という作品を創作したのです。
この浦島屋が建っていた港は、つい数年前に開港したばかりの新しい港町でした。ハーンはこの町の様子を次のように記しています。
「縁がわのスギの柱の間から、海岸沿いの美しい灰色の町の家並みが見晴らせました。そして錨をおろして、眠たげに休んでいる黄色い帆かけ船や、縁の大きな断崖の間にひらけた入り江の口や、その向こうの水平線までぎらぎら照り映える夏の光が目にとまりました。しかもその地平線の所に、昔の思い出のように、山の形がかすかに浮かんでいましたが、灰色の町と、黄色い帆かけ船と、緑の断崖を除けば、ほかはすべて、青ひといろに塗られていました。」
ハーンの深い印象とともにこのように記した港が「三角西港」です。

三角西港の歴史
西南戦争の終息後、明治政府は殖産興業の政策として九州の物流拠点を築くため、熊本市内を流れる坪井川河口の百貫への築港計画が明治13年にもちあがりました。しかし、政府から派遣されたオランダ人水理工師ローウェンホルスト・ムルドルは、百貫付近においては河川が運ぶ土砂のため沖合まで浅瀬が続くこと、入江をつくるために建設すべき堤防の地盤が軟弱であること、それに伴う工事の困難さや巨額の経費を要することが判明したため、この場所は不適当と判断しました。
そこで、港建設の新たな適地として選定されたのが三角の地です。ここは山々に囲まれ、風波が少なく水深も深くなっています。また、九州西海航路の要点とし、北九州や鹿児島の諸地方とも連絡し易いことからこの地に決定されました。
三角港の築港工事は明治17年5月に始まり、同20年6月に完成し、8月に開港、同32年に貿易港へ指定され、戦前から戦後にかけて熊本県唯一の国際貿易港として本県の物流を支え、相当の賑わいを呈していました。
その後、明治32年に九州鉄道(現JR三角線)三角線が開通し、その終点が現在の東港(際崎地区)であったため、西港は漸次衰退し、勢力は東港に移行していきました。
そのことが幸いして、当時の埠頭、街路、水路などの施設がほとんど無傷の状態で目の当たりにすることができます。
また、三角西港は国家事業として築かれた明治三大築港の一つであり、そのほかに野蒜のびる港(宮城県鳴瀬町)、三国
みくに
港(福井県三国町)がありますが、一世紀以上経過した今日でも当時の姿を残しているのはこの三角西港だけとなっています。

港湾環境整備(緑地)事業の概要
三角西港は、オランダの築港技術が導入された港湾施設であり、石積みふ頭、水路、橋等がほぼ原形のまま残されています。それらの施設には、対岸の大矢野島飛岳から産する安山岩を切り出し、精巧に加工した一尺五寸の規格化した方形の石を使用しています。埠頭の高さは二十一尺が基本とされ十六段の石を積み重ねています。ふ頭は延長756mにもおよび、三箇所に浮桟橋が取り付けられ、五百トンまでの船舶が横付けしての荷役が可能となりました。また、岸壁の数力所には小船による荷揚げや船客の乗降を可能にするための階段も設けられています。背後には三角岳が迫っているため、そこから流れ出る小川の水を流すため、この山の麓に沿って排水路を設け、町の周囲を一周して環濠をなし、海に排水しています。さらに、最盛期は海運倉庫が軒をならべ、役所、裁判所、西洋建築の旅館などの各種建築物を含め、港湾施設のみならず背後の都市づくりが一体的に整備されています。
このように明治期に築かれた港湾施設について、その文化的遺産は非常に高く評価されており、熊本県としては、施設の保存・復元及びそれらの利活用を通して港湾の歴史や重要性を認識してもらうこと、また、当時の計画や技術を学び将来に生かすことを目的として、昭和60年度から三角港西港地区港湾環境整備事業(緑地等施設)を実施しています。
概要は次のとおりです。

<三角港西港地区港湾環境整備事業(緑地等施設)の概要>
面 積  14,000m2
事業費  約25億円
施 設  芝生、通路、休憩所(「浦島屋」、「高田回漕店」:復元)、駐車場、照明施設 等

平成14年12月に埠頭、排水路三箇所、道路橋四箇所が国の重要文化財として指定を受けました。そのほか、この緑地内には県施工の「高田回漕店」が平成9年5月宇城市の有形文化財に、また、旧三角町(現宇城市)施工の「旧三角海運倉庫(築港記念館)」、「龍驤館」が平成16年11月同市の有形文化財に指定されました。

最後に
港湾環境整備事業の進捗は事業費ベースで95%に達しており、完成した施設については供用されています。なお、緑地内に訪れる利用者は年々増加傾向を示しており、昭和63年の8万人から平成16年には30万人を超えるまでに至っており、大変賑わいをみせています。
全国的にも明治の港湾の姿を残す貴重な土木遺産であり、ハーンが見た竜宮の舞台、歴史の記憶を残している「三角西港」に足を運んでみられてはいかがでしょうか。
穏やかな海面や美しい自然に溶け込んだ港湾を含めた情景豊かな空間に心安らげることと思います。

参考文献
三角西港の石積埠頭 昭和60年3月 財団法人 観光資源保護財団

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