トップ  >  第64号 2019.03  >  巻頭言  >  地方の復興を支える財政的仕組み

地方の復興を支える財政的仕組み

一般社団法人 日本建設機械施工協会九州支部長
(九州防災エキスパート会 会長)
松 嶋 憲 昭


ペリー来航の翌年に南海トラフ地震(安政東海地震・安政南海地震)が起き、その翌年に首都直下地震(安政江戸地震)が起き、またその翌年に強烈な台風が江戸を直撃しています。教科書には、ペリー来航が幕末維新のきっかけになったように書いてあるのですが、個人的には、そのころに災害が頻発した影響のほうが大きかったのではないかと思っていました。
昨年6 月に発表された土木学会の「『国難』をもたらす巨大災害対策についての技術検討報告書」に、「各藩においては、「南海トラフ地震」の復旧事業に大きな財政支出を余儀なくされていた中、翌年の「首都直下地震」に対する対応も幕府から要請され、二重の費用負担を迫られた。また充分な復興事業が実施できないことで、庶民にとっても幕府に対する不満を募らせる一因となったと考えられる」と紹介されているのを見て、なるほどと思いました。
ただ、この文章の前に「1856 年8 月25 日に安政江戸暴風雨が発生、大型台風が東京湾に来襲、高潮を中心とした暴風雨は未曽有の被害をもたらし、資料によっては犠牲者約10 万人との記載もある」とあるのですが、人口100 万人の江戸で10 万人が亡くなるというのは違和感がありました。ウィキペディアなどに「『近世史略』に死者10 万人とある」と紹介されていたので確認したところ、「八月東國大風雨江戸ノ死傷凡十萬餘人」となっており、負傷者も含んだ数字でした。台風被害の記録『安政風聞集』に「軒毎の損亡ハ、地震の折に十倍せしかど、幸ひにして、人の死亡ハ去年の十が一にもあらず」と、死者数は安政江戸地震(死者1 万人、火災による死者が多い)の10 分の1 以下とありますので、負傷者を含んだ数字だとしても「10 万人余」は大き過ぎます。ただ、死者は地震よりも少なかったとしても、家屋の被害は大きく、また被害が関東の広範囲に及んでいますので、経済的・社会的影響は台風のほうが大きかったと思われます。土木学会の報告書の数字は疑わしいのですが、「幕府に対する不満を募らせる一因となった」という内容は間違いありません。
なにかの本で、「災害で滅びた国はないが、災害後の対応が悪くて滅びた国は多い」という話を読んだことがあります。地震の活動期に入り、気候変動で風水害も多くなっています。大災害が発生してから、復興策を策定し、国と地方の負担を協議していたのでは、遅れてしまいます。すみやかに復興に着手できるよう、地方の復興を支える財政的仕組みを整えておくことが必要だと思います。
余談ですが、記録が残っている中で最も多くの死者を出した台風は、九州北部で2 万人の死者が出た1828 年のシーボルト台風です。台風が直撃した佐賀藩は特に被害が特に大きく、強風と高潮で1万人が亡くなっています。この台風の吹き戻しの北風で、博多湾でも高潮が発生しています。西鉄平尾駅や香椎宮の近くまで潮があがり、博多駅北側の大博町・呉服町では腰の上まで浸水したという記録があります。福岡でも地下鉄が水没するような高潮が発生する可能性がありますので注意してください。


プリンタ用画面
カテゴリートップ
巻頭言

サイト内検索
防災情報


防災情報提供センター


川の防災情報

かわ情報


九州 川の情報室

みち情報


道守九州会議


九州風景街道


九州の道の駅