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雲仙・普賢岳噴火災害20周年「災害・復興シンポジウム」の開催について


すぎ やま みつ のり


キーワード:災害の伝承・災害復興

1.はじめに
雲仙・普賢岳は平成2年11月17日、198年ぶりに噴火した。平成3年5月20日には山頂に溶岩ドームが現れ、その後成長を続け火砕流が発生するようになり、翌月の6月3日には大規模な火砕流が発生し島原市上木場地区で死者、行方不明者43 名を出す被害となった。その後、火山活動は平成8年まで続き火砕流、土石流災害により島原市、深江町(現、南島原市)に甚大な被害をもたらした。
国土交通省は平成5年4月に雲仙復興工事事務所を開設し、水無川、中尾川、湯江川において主に噴火後頻発する土石流に対する対策を実施してきている。これまでに中尾川、湯江川では整備はほぼ完了しており、水無川においても上流部の床固工の建設を残すだけとなっている。
このような中、噴火災害から20周年にあたり、「災害・復興シンポジウム」が平成23年6月4日に開催されたので報告する。

2.「災害・復興シンポジウム」の開催
6月4日に島原市の復興アリーナにおいて「雲仙・普賢岳の噴火災害の記録~次の世代へ~」をテーマに「災害・復興シンポジウム」が開催された。会場には市民をはじめ約200人が参加し、噴火災害当時の経験談や、災害から得た貴重な教訓をどのようにして後世に伝えて行くかなど基調講演やパネルディスカッションに耳を傾けた。

1)第1部「当時の体験と教訓を語る」
午前中に行われた第1部は、「当時の体験と教 訓を語る」をテーマに開催されました。
最初に災害が発生した当時の長崎県知事の高田勇氏による基調講演が行われた。市街地で初めて災害対策基本法に基づく警戒区域を設定したときの当時の鐘ヶ江島原市長とのやり取りなどを紹介され、当時対応を苦慮された行政関係者、研究者の方々の功績を紹介された。また、総額1千億円にのぼる雲仙岳災害対策基金創設までの経緯など当時の貴重な経験が紹介された。
その後、当時に様々な立場で災害に対応された行政、研究機関、医師、住民代表の方9名によるパネルディスカッションが行われ、それぞれの立場から災害を振り返り発言があった。
パネリストの一人で初代雲仙復興工事事務所長の松井宗廣氏からは住民の結束により水無川1号砂防堰堤建設などの砂防事業が進んでいったこと、無人化施工の導入など、警戒区域内での砂防事業をどのように実施していったかを紹介された。
そのほかのパネリストからは正確な情報を住民に提供することの重要性や行政、研究機関、自衛隊などが一体となって取り組んだこと、災害を風化させずに受け継いで行くことが我々の役目であるといった話があった。最後に東日本大震災の被災地の方へ吉岡前島原市長が「復興計画を早く作って、首長を信じてついて行って欲しい」とエールを送りました。

2)第2部「災害を風化させない」
午後からの第2部は「災害を風化させない」をテーマに、国、県、学識者や住民代表に地元市長も加わってパネルディスカッションが行われた。
雲仙・普賢岳の災害から20年を振り返るとともに、将来に備え噴火災害の記憶や教訓をどのように伝えて行くか、東日本大震災のような「想定外」の自然災害に備えるためにはどうしていくべきかといった点について議論が交わされた。
雲仙復興事務所の田村圭司所長もパネリストとして参加され、現在の砂防事業の状況を説明されるとともに防災教育の重要性について意見を述べられた。
そのほか、パネリストからは「他の火山地域との連携が大切」、「正確な情報提供とともに受け手側も地震や火山を知ることが大事」、「半島3市が連携して島原半島ジオパークを活用した観光振興」を「雲仙岳災害記念館など既存施設を活用して持続可能な防災拠点作りを」といった意見が出た。


3.おわりに
今回の「災害・復興シンポジウム」の基調講演やパネルディスカッションの議論を通じて、住民、地域、地元市、県、国が重層的に取り組むことが重要であること、雲仙・普賢岳災害から20年を経て、今回の東日本大震災を経験すると常に防災意識を高めておくことが必要でそのためには雲仙・普賢岳の周辺から災害で得た教訓を伝えておくことが重要であることが再認識された。
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