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「白秋道路」に想う


山 田 三 代 子


私の住む街、柳川市は福岡県の南部に位置し、川下りと詩人北原白秋で知られた街です。その白秋が今から100年ほど前に中学伝習館に通ったといわれる白秋道路を、私もよく歩いたものです。
そして沿道に咲く白い小さな“カラタチの花”に目をやったとき、ふと、私が道に惹かれるのはなぜだろうと思ったことがあります。
平成16年に「九州道守会議」が設立され道守活動に参加するようになって、改めて道を身近に考えるようになった自分に気がつきました。今までは何気なしに通っていた道。しかし、この道がなかったらお隣にだって行くことができない、買い物にも友人宅へもまして職場への通勤だってできないのだと、空気のような存在の「道」に感謝し、愛おしく思ったものです。
東北大震災でも復興のためにまず手を付けられたのは、瓦礫を片付け道路を復旧させることでした。それは道路が私たちの生活の根幹を担う、体で言えば血管にあたる大切な循環器の役割を果たしているからだと思います。そして、閉ざされた道が開かれ被災地と連絡がとれたと聞いたとき思わずホッとしたものです。ただ人や物が行き交う交通路というだけではなく、温かい血の温もりが冷えた体をあたためてくれるように、人と人との絆を確かめ安心感を与えてくれる働きがあることに気づかされたのです。
私の地元、柳川には川下りで知られた掘割沿いに、日本の道百選に選ばれた“水辺の散歩”があり、観光客や地元住民にも親しまれ散策を楽しむ姿が多く見られます。


道路は決して無機質なものではなく国土の血管であり、しかも大動脈から毛細血管まで扱い方によって生き物にも死に体にもなることを震災は教えてくれたといえるのではないでしょうか。
近頃はどんな山奥でも舗装されているのが当たり前で、国内では難路という話は聞かないようになりました。しかし、戦後のある時期までは日本の道路の舗装率は20%程度で先進国のなかでは一番遅れていたそうです。その後高度成長期の波にのって、国土の隅々まで舗装が行き渡ったと聞いています。便利になると共に不自由を感じなければありがたさも忘れるようになります。舗装道路が普及し誰でも何処へでも気軽に行き来できるようになり、都市と奥地の格差も無くなりました。
何処へでも車で用が足せるようになった半面、土の温もりを感じながら歩く人間的な繋がりを大切にする役割は、いつの間にか無機質な交通手段に変わってしまい、私たちの道路に対する無関心さを増幅させているのではないかとさえ思えてくるのです。
私は長く海外旅行のツアーコンダクターを勤めてきましたが、さまざまな道を通ることでお客様の旅の情緒が深まっていくのが傍らから見ていてもよくわかります。それは、貸切バスの車窓からであっても、お客様の表情は車窓を流れる風景に魅せられ、映像の世界とは違った生の歴史や文化を垣間見る想いに浸ることができるからではないでしょうか。


羨ましいのは、このように道がもたらす歴史や文化の香りを巧みに組み合わせ、観光資源として演出している国々が特にヨーロッパで多いことです。今も各地に残る古代の石畳の道は2000年の昔、欧州全土に版図を広げていたローマ帝国が辺境の地までできるだけ速く軍隊を運ぶために石畳の直線道路を各地に通した名残で、歴史的遺産と観光資源として大切に保存されています。そして興亡の歴史を繰り返しながら道路は馬車旅行を発達させ、遠路に耐える馬具作りからルイヴィトンやエルメスなどの人気ブランド品が生まれてきたことを知ると、道の働きから派生してきた文化の広さを感じずにはいられません。
先進国だけではなく何処の国でもそれぞれの歴史と文化を秘めてさまざまな道があることを旅するごとに感じます。面白いことに、道は必ずしもチリ一つ落ちていない清潔さだけが私たちの心に響くわけではありません。ドイツやオーストリア、スイスなどは確かに清潔さが際立ち、屋根裏部屋の窓まで透き通るように磨きあげています。ところが国境を越えイタリアに入ると、途端に道に落ち葉が目立つ風景に変わります。それなのに沿道の中世風の街並みと調和した風景が目を引きつけ、一幅の油絵を見るような錯覚にとらわれることがよくあります。
今はまだ地域紛争が激しいため訪れる人が少ない地域ですが、古のフェニキアであったレバノンや中東のシリア、ヨルダンなどでも十字軍が築いた城とアラブの城が対峙しそれを結ぶ街道がいまも残っており、キリスト教とイスラム教との壮大な対立の歴史を偲ぶことができます。こうしてみると、道は単体ではなく街の佇まいや沿道の景観と調和してこそ、私たちを惹きつけるものになることがわかります。同じように、ドイツ観光では定番になっているロマンティック街道や古城街道なども、訪れるたびに感心させられるのは、古城や村落がただ点在するのではなく、手入れが行き届き周囲の森や街並みとマッチした街道で全体的に演出されていることです。
日本の場合、ハゼの道とか桜並木というように観光名所が点在することが多く、地域が話し合って共通テーマを決め、観光地を街道で結ぶといった広域的に連携させる発想が少ないように思われます。観光資源に恵まれた九州でも、世界的に知られた阿蘇や各地の温泉を個別に紹介するだけでなく、例えば“ 筑紫次郎” と謳われてきた筑後川に沿って、観光地を横断的に結ぶ街道観光が考えられても面白いのではないでしょうか。
柳川はもともと掘割沿いの小路にカラタチの白い花が密やかに咲き、しだれ柳の並木が川面に影を落とし、川下りの“どんこ舟”が通るたびに光と影が揺らぐのどかな郷です。北原白秋の数々の童謡もこうしたふる里から生まれたもの。カラタチの白い花の一つ一つは小さくても、花が道をさりげなく生かしてくれているように思えます。皆で柳川の道を守り育てていけたら、白秋にふさわしい“この道”を歌と共に生かしていくことができるのではないでしょうか。道は文化の香りを高め、物心両面の生活を豊かにしてくれる私たちの文化資産として、手の届くところから大事に守り育てていきたいものです。




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