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93年鹿児島豪雨土砂災害

鹿児島県庁砂防課長
板 垣  治

鹿児島県庁砂防課長補佐
野 辺 一 雄

1 はじめに
今年の九州南部地方はかつて経験したことのない記録的な豪雨となり各地に甚大な被害をもたらした。
今年の一連の豪雨災害は昭和26年,死者209名を生じたルース台風以来42年ぶりの大災害となる。死者・行方不明併せて121名,また被害額も,2800億円となり,これまで平成2年の700億円をはるかに上回る戦後最悪の被害である。以下ここでは一連の土砂災害について述べる。

2 今年の降雨状況等について
梅雨は5月21日に入り鹿児島地方気象台でも例年通り7月9日の天気で一旦梅雨明け宣言されたものの,その後においても一向に天候は回復しなかった(8月31日には再び気象台で「今年の梅雨明けは無し」と修正発表された。明治38年以来の珍事である)。
図ー1に過去30年間の月平均降水量と今年の月別降水量を示す。今年の6月雨量は775mmで平年の1.9倍,7月が1055mmで平年の3.5倍,8月も629mmで3.0倍,9月も532mで2.5倍となり9月末までの総降水量も3,760mmにおよび,年間平均降水量2,225mmをはるかに上回る記録的な雨である。

7月上旬にも各地に大雨をもたらしたが,特に7月31日より8月2日にかけて県北中央部を中心に集中豪雨が襲い,中でも始良郡溝辺町で1時間雨量104mm,吉田町でも100mmという記録的大雨となり(図ー2),さらに追い討ちをかけるように8月5日から6日にかけて鹿児島市内およびその周辺を中心に局地的な集中豪雨が襲い,鹿児島市内でも6日16時から18時の2時間雨量109mm,またさらに市内上流域の日置郡郡山町でも2時間雨量184mmと短時間に極めて強い雨が集中した(図3ー3)。

その後,8月9日には台風7号により大隈半島の垂水方面に,また,9月3日には戦後最大級の勢力をもつ強風台風13号が薩摩半島南部に上陸,錦江湾,垂水市,都城市を通って北上した。
川辺郡知覧町では1時間116mm,枕崎市でも92mmとなり,鹿児島地方気象台でも今年2度目の記録的短時間大雨情報が出された。総雨量も各地で200~300mmとなる。

3 災害措置等について
一連の大災害に対してその都度,県,市町村では災害対策本部を設置するとともに政府においても種々調査団が現地等を視察された。8月5日に8省庁による政府災害調査団,11日に再び上原国土庁長官を団長とする政府災害調査団,13日細川首相,19日衆議院災害対策特別委員会,20日五十嵐建設大臣,24日参議院災害対策特別委員会,9月にも台風13号に対して政府調査団,この外,各党の国会議員,県議団等が視察された。県側からもこれらの調査団等に対して災害救助法の適用による適切な財源措置,災害復旧工事の早期実施,激甚災害法の適用,災害関連緊急急傾斜地崩壊対策事業等の早期採択,がけ地近接等危険住宅移転事業の積極的な促進,九州縦貫道,国道3号,10号など幹線道路の早期復旧および甲突川の河川激特事業の採択などが要望された。
梅雨災害から台風13号等までの被害状況および被害額を表ー1に示す。また図ー4に県内の地域ごとの死者数等を示す。
被害額は公共土木施設災や農業関係を中心に拡大し総額2,810億円となる。これまで最高だった額の4倍(平成2年)にあたる。分野別では道路,河川等の公共土木施設被害1,065億円,農地・農作物などの農業関係752億円,林地関係389億円,店舗および機械設備,商品など商工業関係360億円等である(10月12日現在)

4 被害状況(土砂災害)について
今回の土砂災害については降雨状況をもとに6つに分けられる(表ー1参照)。
(1)6月12日~7月8日
梅雨期間,例年の2倍以上の降雨で来る日も来る日も雨の連続,鹿児島市内では5月21日の梅雨入りにより1,433mに達し,昭和29年1,730mmに次ぐ観測史上第3位,特に鹿児島,山川,大隅など1市5町で8人が土砂崩れに巻き込まれて死亡。国道県道など道路が寸断。
(2)7月31日~8月2日
県中部を豪雨が襲い始良,国分地区と鹿児島郡吉田町を中心に大被害が出た。吉松,横川,姶良町など洪水,道路が寸断され孤立する所が続出,また,山林崩壊等により多くの農地が流出した。
JRの日豊本線,肥薩線が不通。鹿児島空港では1日夜,到着便の客700人が空港ビル内で夜を明かす。姶良郡を中心にがけ崩れ多発,国分市7名,隼人町6名など1市5町で23名の死亡。思川水系上流域吉田町では大規模シラス山林崩壊が起こる。シラス堆積物による異常埋塞により田畑,農地等に著しい影響を与え,町全体が壊滅状態となる。(グラビア写真参照)また姶良ニュータウンでは長さ1.1km,高さ約40mのシラス大規模崩壊が発生(グラビア写真参照)し,団地への影響が懸念された(団地戸数1,387戸)。

(3)8月5日~8月7日
鹿児島市内とその周辺を中心とした集中豪雨。鹿児島市では6日夕方より未曽有の大災害。土石流,がけ崩れで多くの人命や家屋等が奪われる(図ー4参照)。甲突川,稲荷川等で河川氾濫。川沿いのほか,市の繁華街(天文館,写真ー2)や西鹿児島駅周辺も溢水(床上浸水約8千戸,床下浸水約2,500戸),また有名な5石橋(甲突川)の2橋(新上橋,武之橋)が流失(その後5石橋に対する複元,保存および移設問題で行政,市民混じえて厳しい意見対立の続出)。避難住民も3,900人におよぶ。

また,竜ケ水地域(鹿児島市,磯から大崎鼻6km区間)において山崩れ,土石流が図ー5に示す様に55箇所以上にわたって発生。この区間は最近では昭和52年竜ケ水駅付近の斜面において死者9名,全壊13戸の被害を生じた。この時の日雨量33mm,発生した日より8日前の日雨量もわずか108mmである。またその後においてこの間は落石以外に大きな災害はなかった。
今回の日雨量208mm,最大時間雨量73mm(観測地点,鹿児島土木事務所)を記録,長大斜面からの崩壊発生等もあり随所に海まで到達している。このため国道10号,JR日豊本線は壊滅状態となる(写真ー3)。

竜ケ水駅においては上下2本の列車の停止後(夕方5時頃)土石流が直撃(グラビア写真参照),また車約800台も脱出不可能となる。地元住民やマイカーの人々,列車の乗客ら2,500人が閉じ込められたものの巡視船や漁船,桜島フェリー船などの救援により夜半(夜10時ごろ)より早朝にかけて海から救出される(写真ー4)。

この間,土石流による直撃をうけて1人,海へ流されて3人が死亡した。
しかし多くの方々が無事救助された背景には①竜ケ水駅に停止した列車乗客330人の避難誘導,特に列車停止基準以下(基準では時間雨量50mm以上)でこれまで前例のない列車放棄による間一髪の避難誘導,②県知事が東京からの陳情帰りでこの災害に巻き込まれ(三船病院付近),車からの無線で県対策本部へ緊急報告がなされたこと,③救出時ごろ海が静かでかつ海から救出が可能であったこと,④民間の協力等がスムーズになされたこと,特に対岸の桜島町では日頃より大正3年の火山噴火現象を想定して防災訓練等がなされ,このため漁船等の支援がスムーズに出来たこと等による。
この区間の地質は2~3万年前の始良カルデラ外壁にあたり,下位層より安山岩,花倉層(凝灰岩質が含まれた堆積岩),さらに溶結凝灰岩,最上位に桜島(1万年前形成)からのシラスや軽石から成る広い台地が形成されている。
この台地には公園,鹿児島市のベッドタウンとしての団地が密集している。
今回,新聞,テレビ等で大きく報道された花倉病院(図ー5参照)での山崩れ災害は午後11時頃で入院患者171名のほか,近くの住民も一緒にここで避難していた(グラビア写真参照)
1階ロビーにいた人々25人が生き埋めとなり,救援むなしく患者9人,住民7人の尊い人命を失った。くずれた崩土は花倉層を上から覆っていた崖錐性堆積物が主体であり,発生時刻では雨も少なく,これまでの累積した降雨,特に台地からの浸透水等が大きな原因と思われる。まったく不幸な出来事である。雨もほぼ上がり避難先の3階建のりっぱな病院での遭遇である。崩壊規模も幅30m,高さ60mから発生したもので斜面に一度当り,そのはね返りで角度をかえて病院1階を襲ったものである。
病院への入口道には西郷隆盛と月照が江戸幕府に追われ,入水自殺をはかって運よく西郷だけが蘇生した場所で石碑が建立されていたが,この碑だけ倒れず立っているのが印象的である。
鹿児島市内だけでもがけ崩れ800箇所以上(特に長大斜面からの崩壊がこれまでになく顕著),うち土砂災害による死者が37名にもおよぶ。
昭和61年7月10日に市内を局地的に襲った集中豪雨は日雨量193mm,最大時間雨量75mm(15時10分から1時間)によりがけ崩れ98箇所,死者18名を出した被災施工箇所については今回の雨でもほとんど影響を受けず施設効果が認められる。
しかし,長大斜面からの崩壊でこれまで実施して来た待ち受け工法としての擁壁工やのり枠工のさらに上部からの発生により施設破壊や死者まで生じている。今後長大斜面の対策について工法の選択,施工の範囲,整備の進め方等について検討する必要がある(写真一1と同じものがある)。
鹿児島市の人口推移と土砂災害危険箇所数の推移を図ー6に示す。

昭和40年代前後から50年代にかけて人口増の著しい都市化現象を示す。このため土砂災害危険箇所数も相関的に増加している。現在鹿児島市には土砂災害危険箇所は599箇所あるがこれに対する施設整備率もわずか20%を上回る程度でかなり残されている。
急速な施設整備が期待出来ない現状では都市防災づくりの観点から土地利用の適切な誘導やソフト対策としての避難体制整備をさらに充実させる必要がある。
この外,国道3号の小山田町では国道部分がシラス浸食による大規模な陥没(延長60m,高さ26m,流失土砂量約3万m3)が生じ,本復旧に1~2年必要といわれ,現在,う回路を余儀なくされている。九州縦貫道も各所で崩壊,JR本線の不通もあって鹿児島市民53万人が完全に孤立。しかも浄水場への土砂流入で9万世帯(市の半分の世帯)が1週間にわたって断水。停電,ガス,電話ストップ等も加わり市民生活もまさにパニック状態となる。
一方,特に甲突川上流域の日置郡郡山町では時間雨量100mm,全半壊54戸に及んだものの8月1日の集中豪雨の先例をもとに防災無線による必要以上の避難呼びかけが功を奏し,1人の犠牲も出なかった。1週間の大災害の教訓を生かした今後の避難行政のあり方に大変参考となると言える。

(4)8月9日(台風7号)
8月9日,薩摩半島の海上を通過した台風7号による大雨で垂水市深港二川(避難を強く呼びかけたにもかかわらず)で死者5名,全壊6戸の痛ましい土石流災害が発生した。
(5)9月3日(台風13号)
台風は午後4時半,薩摩半島南部に上陸,各地で大きな被害を与えながら県土を縦断した。
日置郡金峰町大坂で3日16時半頃,山くずれが発生,地域住民57人のうち20名を一度に失なう。公民館は古い建物で斜面により近かったため,ここより安全と思われる民家へ皆が集まり,かつ避難した矢先に巻き込まれた。
これまで大規模な崩壊もなくまさかの出来事である。この町の避難場所は別途この地区より数km離れたところに指示されていたが途中の道路には随所に崩壊跡地がみられる。
崩壊は杉林地で,規模は幅60m,高さ90mと大規模である。崩土は堆積岩(四万十層の上位の崖錐堆積物)を主体として降雨等の影響を受け,発生している(写真ー6)。

また,川辺郡川辺町小野でも台風通過後,3日23時頃発生。斜面のかなり上部の数箇所の山腹崩壊が土石流となり,山すその南薩鉄道跡地の盛土(高さ約12m)を巻き込み死者9名,民家20戸を襲った。鉄道廃止は古く昭和41年である。また盛土には排水用のための暗渠(1.2×1.2m)があった。いずれも過疎地帯の出来事である(写真ー7)。

(6)9月20日
日置郡日吉町では20日20時頃,地すべりが発生。これにより死者2名,全壊2戸の被害。発生当日の日雨量わずか6mmしかないが,7日,8日前の降雨量167mmおよび花崗岩の深層劣化(マサ化)等が原因である。県でもこれほど大規模な花崗岩の地すべりは先例がない。
滑落した地すべり(幅100m,高さ100m)のさらに上部に新たなキレツ(長さ250m,段差3m)が発見される。大規模地すべりが懸念されたので住民の避難を行った。
この動きを観測するため6台の伸縮計を設置,避難基準の目安,1日20mm,1時間2mmとし,これ以上あれば避難するとしたがその後,動きも沈静,避難解除を行った(写真ー8)。現在ボーリング調査中であるが深さも30mと推定される。

5 土砂災害の特長
これまでの現地調査等で次の様なことが考えられる。
(1) 9月末までの総雨量3,760mmは年間平均降水量の1.7倍に相当し,鹿児島地方気象台明治38年創設以来の記録的な雨である。
(2) シラス以外の地質箇所でも随所に発生。例えば始良カルデラ外壁,金峰町大坂(四万十層),日吉町毘沙門地すべり(花崗岩)など。長雨等により事前降雨による地下水の浸透,上昇また,パイピングの原因が推察される。
(3) 今回の一連の災害による死者数は表ー1に示す通り121名であり,昭和26年以来である。
(4) このうち,がけ崩れ,土石流,地すべりによる土砂災害の死者は105名で全体の85%にあたる。この死者の大半は長大斜面から流下した土砂に巻き込まれたものである。
(5) 死者の年令も高齢者が多く,17才以下で12名,18才から65才で54名,65才以上で55名を占める(高齢者対策がクローズアップ)。
(6) 一般に降雨中,特に雨量強度が強くなった頃よりピークにかけて土石流やがけ崩れによる死者が生じやすいが,降雨終了後かなり時間を経てから災害に遭遇する例が見られた。花倉病院裏山くずれ(死者16名),川辺町小野(死者9名),日吉町地すべり(2名)など。
(7) レーダー観測や被害状況から鹿児島市内の北部にあたる地域の雨量はさらに多く,場所によってはより激しい雨が降ったのではないかと推定される。特に土砂災害と死者との関係からすれば地区ごとの細かい雨量データと降雨予測の充実が必要。
(8) 時間雨量強度の強かった地域(特に時間雨量50mm以上において)シラス杉林地における顕著な崩壊が見られる。また,シラス流出の際,多量な流木が含まれ,さらに被害を拡大させている。
今後の砂防ダム計画箇所では流木止ダム対策が重要と考えられる。
(9) 急傾斜地崩壊防止施設について今回の長雨や豪雨に対して施設の効果が認められる。
(10) しかし,今回,長大斜面からの崩壊が顕著なため,従来,待ち受け工法として施工した擁壁工やのり枠工に対してさらに上部からの崩壊により施設を巻き込み破壊,破損した(写真一1)。今後長大斜面対策に対して検討する必要がある。
(11) 鹿児島市内ではシラスに起因した急傾斜地におけるがけ崩れの多発。都市型の土砂災害である。今後,保全対策やソフト対策を含めた防災対策を検討する必要がある。
(12) また,避難のあり方に対して多くの教訓を残した。例えば竜ケ水駅列車乗客避難,郡山町の防災無線による避難活動,逆に金峰町の避難場所のあり方や情報伝達など特にハード施設の遅れている現状では警戒避難体制やハザードマップ等のソフト対策のより一層の充実が求められる。

6 あとがき
鹿児島県にとって辛くて長い期間の災害であった。口に出る言葉はまたか,またかの連続であった。県でも「災害に強い住みよい郷土づくり」をテーマにこれまで以上の防災対策の見直し作業中である。
砂防課でも今回の災害をふまえて県独自の委員会(九大名誉教授山内豊聡外15名の委員の方々)を設置,シラスがけ対策技術基準のあり方,長大斜面対策のあり方,土石流対策(流木災),崩壊と植生の関係およびソフト対策の整備等について検討,助言していただくことにしている。
現地では一刻も早い復旧が待ち望まれている。土砂災害による災害関連緊急砂防,急傾斜事業約220件,総額200億円に近い。本文中に出た事例として姶良ニュータウン防災対策約23億円,日吉町地すべり約18億円,吉田町土砂対策19億円などが組まれている。今年度の予算であり厳しい執行が待っているが,国の御指導のもと,また暖かい他県からの応援もあり,全力をあげて復旧に努めたい。

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