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鼻ぐり大橋の計画と架橋工事

態本県土木部道路建設課主幹
(橋梁係長)
戸 塚 誠 司

1 はじめに
熊本都市圏の東部地域は都市化の進展が著しく,それに伴い道路交通も増加している。なかでも熊本市北部地域から熊本空港へのアクセス道路の整備が緊急的な課題とされ,都市計画道路「菊陽空港線」が計画された。この道路は国道57号菊陽バイパスと熊本空港とを結ぶものであり,その整備については途中交差する一般県道瀬田竜田線から北側の国道57号までを菊陽町が行い,南側の国道443号までは一般県道曲手原水線の改築事業として熊本県が施工した(図ー1参照)。
また,当路線は平成11年に開催される第54回国民体育大会(「くまもと未来国体」)の主会場となる熊本県民総合運動公園(熊本市平山町)へのアクセス道路ともなり,現在整備を進めている熊本空港線バイパス外と共に国体関連道路“通称東西線”の一部としても機能することになる。

一般県道曲手原水線の改築事業は菊池郡菊陽町大字久保田~曲手地内に延長1.5㎞のバイパスを建設するもので,平成4年度から事業に取り組んできた。鼻ぐり大橋は,このバイパス建設の一環として一級河川白川に架設された橋長229mのコンクリート橋である(写真ー1参照)。平成9年12月にこの橋が完成したことにより,曲手原水線のバイパス1.5㎞区間が開通し,都市計画道路「菊陽空港線」が全線供用となった。
本文は,ユニークな橋名の由来となった歴史的文化遣産「鼻ぐり」の紹介と本橋の計画・架橋工事の概要を報告するものである。

2 “鼻ぐり”遺構
天正16(1588)年に肥後北半国の領主となった加藤清正は,熊本城築城や城下町建設の外に,“土木の神様”の異名があるように治水・利水・干拓事業等にも多くの業績を残した。なかでも白川中流域の灌漑用水路(井手)に見られる“鼻ぐり”は清正が考案した独創的な技法の代表的事例として今日に伝えられている1)
加藤清正は肥後を治めるにあたって,新田開発を目的とした灌漑用水路の建設に取り組み,熊本平野を貫流する白川の流域にも多くの水利施設を造った。慶長13(1608)年には菊池郡菊陽町馬場楠に63間(約130m)の石堰(馬場楠堰)を創設し,この堰の3門の取水門から白川左岸の台地へ送水する灌漑用水路「馬場楠井手」を完成させた。
独創的な技法が駆使されたのは馬場楠堰から約2㎞下流の曲手村から辛川村(現菊陽町大字曲手~辛川地内)にかけてである。この215間(約390m)にわたる区間では,中須(洲)山の阿蘇熔結凝灰岩の岩盤を開削し,深く掘り込んで水路が引かれた(図ー2参照)2)。一方,阿蘇に源を発する白川はその流域の8割を上流部の阿蘇カルデラが占めており,洪水の度に大量のヨナ(火山灰)が流出する。このため,白川からの導水路では泥土の堆積がひどく底浚えは維持管理上の必須作業であった。しかしながら,中須山一帯は水路底まで約20mの深さがあり,排土作業は至難な所であった。そこで,泥土の堆積を防止する仕組みとして考案されたのが“鼻ぐり”と呼ばれる技法であった。それは,水路掘削の際に岩盤の一部を仕切り壁として4~5mの一定間隔で残し,その壁(厚さ約1m)の左右交互に開口部(直径2m強:写真ー2参照)を設けて渦を発生させ,水の力で土砂を下流に排出する仕組みである3)(図ー3参照)。その水流穴が牛の鼻輪を通す鼻ぐりに似ていることから,その名が付けられたといわれている。この全国無類の仕組みは歴史的に貴重な産業遣構と評価され,菊陽町の文化財に指定されている3)

馬場楠井手は,託麻郡大江村(現熊本市大江渡鹿)までの約13㎞に及び,託麻郡4ケ村,益城郡3ケ村,合志郡2ケ村の95町余りの畑地が水田化され,その生産力は3倍に向上したといわれている2)。完成時には80箇所を数えた鼻ぐりは江戸時代末期にその多くが壊されたと伝えられており,現在では26箇所が残っているだけである3)

3 橋梁計画の概要
バイパスのルートが,この水路遣構の上を通ることから,“鼻ぐり”の保全は橋梁計画上での大きな課題となり,また地形状況,白川の改修計画や護岸施設および交差する別の県道の位置関係等から,橋脚の設置は大きな制約を受けた。これらの径間割上の諸条件と文化財保全の観点から,主要径間の橋梁形式をPC・Tラーメン箱桁とした(図ー4参照)。また,4車線の道路橋であるため上部構造と右岸高架部の下部構造は上り下りの分離構造としたが,P橋脚は河川内に設置するため一体構造とした。道路構造条件として,左岸側台地が急崖を形成し,両岸の高低差が大きい架橋地の地形条件から縦断勾配は5.5%であり,平面線形は終点側に200mの曲線半径を有しているのが特徴である。さらに橋脚位置を河川計画に整合させたため,Tラーメンは不等径間となった。
事業概要および橋梁の設計諸元を以下に示す。
(1)事業名   緊急地方道路整備事業
(2)架橋地   熊本県菊池郡菊陽町大字久保田~同町大字曲手地内
(3)渡河川名  一級河川・白川
(4)事業期間  平成6年10月~平成9年12月
(5)橋梁事業費 約26億円
(6)道路規格  第3種第2級(設計速度50㎞/h)
(7)設計条件
  ・橋  長:229.0m
  ・桁  長:72.9m+155.8m
  ・支  間:(24.0+24.1+24.0)m+(72.3+82.3)m
  ・幅  員:23.0m
        4車線(4@3.25)・両側歩道(2@3.5)
  ・橋梁形式:
        A~P:3径間連続PC中空床版
        P~A:PC・Tラーメン箱桁
  ・設計荷重:B活荷重
  ・平面線形:∞~R=200m
  ・縦断勾配:5.5%
  ・横断勾配:2.0%~6.0%
  ・斜  角:起点θ=90゜,終点θ=左70°
  ・下部構造:直接基礎  扶壁式橋台(A
        直接基礎 張出式橋脚(P1.2.3
        直接基礎 壁式橋脚(P
        場所打杭基礎 逆T式橋台(A

4 Tラーメン箱桁の設計・施工概要5)
鼻ぐり大橋は渡河部を移動作業車による張出し架設するTラーメン箱桁と右岸高架部の中空床版とで構成されている。Tラーメン箱桁部における設計上の特徴としては以下の点が挙げられる。
① Tラーメン箱桁と中空床版の側面の通りを合わせており,床版片持部の張出し長を一定としている。このため箱桁の底版幅が8.2mとなることから,断面構造を2室箱桁とし,床版はRC構造とした。
② 不等径間によりA側が2ブロック多いため,仮支柱を設けて2ブロックを張り出すこととした。なお,曲線桁の構造性と仮支点の発生により仮支点位置には横桁を設けたが,仮支柱の場所が制約を受け上下線で1ブロック異なった。
③ 上部工の構造計算モデルは,主桁軸方向の曲げモーメント・せん断力の算出では棒構造,ねじりモーメントの算出では格子構造とした。
④ P橋脚側吊り支保工部のPC鋼材は,中空床版部があるため,片引きの緊張・定着とした。
Tラーメン箱桁部の架設は1基の中央橋脚から上下各線ごとに分離された桁を4台の移動作業車により順次張り出して進めた(図ー5参照)。柱頭部の構築にあたっては,橋脚に80度の斜角があり一部のブラケットが主桁下面から大幅に外れるため,ブラケットの水平材・斜材については角度調整ライナーによって,橋脚壁面に取付けられた垂直材と角度をつけて橋軸方向に設置した。2室箱桁構造のために片持架設用移動作業車のメインフレームを3本配置し,曲線桁の横断勾配が最大6.0%となるため,上部横梁とフレームトラスの間に高さ調整ライナーを挟み込んで,吊材や作業台の安定性を確保した(写真ー3参照)。

鼻ぐり造構付近は張り出し長(片持梁支間長)が最大となる曲線区間であり,しかも不等径間によるアンバランスのためにP~A間の途中にある中須山に仮支柱を設けて仮受けによる施工を行った。この仮支柱は基礎コンクリート上にH型鋼を積み重ねてゴム沓を主桁下に線状に配置した仮受けベントであり,3基の200t油圧ジャッキを据え付けてベント材の組立て・撤去を行った。また,仮支柱の設置位置は鼻ぐり造構の直近であったため,これに対する影響が最も少ない支柱基礎として人力掘削による深礎杭(φ1500,L=8.0m)を各々3本ずつ施工した。
以上の施工手順を図ー6に示す。このように,半径200mの曲線Tラーメン箱桁橋を82.3mの張り出し長(片持梁支間長)で架設した実績は大型工事の部類に入るものであろう。これまで,熊本県内で施工された,もしくは現在施工中のPC・Tラーメン箱桁橋を参考までに表ー1に示した。

5 景観への配慮
白川右岸一帯の河川沿いには公園整備構想があり,将来は人が集う場となることが考えられる。このため,高架橋の設計においては橋梁下の視点場を意識し,以上のような景観的な配慮を幾つか行った(写真ー4参照)。
① 桁側面の連続性を強調するために,床版片持部の張り出し長を一定にした。
② 上下部構造の側面形状に曲面をつけた。
③ 排水管を橋脚壁面内に収納した。
また,中央橋脚(P)の断面形状は河川の流れに対する配慮や柱頭部の構造面から決定されたものであるが,その側面の特徴をピラスター風に見せ,バルコニー構造ヘアレンジする等の工夫も加えた。ただ,河川内のP橋脚は分離せずに一体構造としたため,幅の広さが際立っている。計画堤防高から上方に対しては2柱脚構造等の橋脚デザインの検討があってもよかったように思える。

6 おわりに
現代のインフラ整備と地域の歴史的遺産の共存が社会的要請となりつつある昨今,本事業で歴史的文化造産である“鼻ぐり”遺構の保全が図れたことには,道路本来の機能発現とは別の,新たな意義を見出すことができる。計画段階から歴史的環境の保全を十分認識して,事業が進められたことへの評価は,地元菊陽町主催による開通式に見られた歓迎にも表れている。
鼻ぐり大橋の独特な橋名は,加藤清正の独創的な技法“鼻ぐり”に因んで命名されたが,このことは新聞記事等6)でも取り上げられ,逆にこの文化遺産をPRする効果を発揮している。この橋の完成を契機にして,周辺一帯の整備にも弾みがつき,白川右岸の河川敷では公園の整備計画が動き始め,また左岸でも鼻ぐり遺構の保存・整備事業が具体化してきた。

謝辞
最後に,本橋の架橋にあたっては,多くの方々から多大なご尽力を得ました。ここに記して,深い敬意を表します。

参考文献
1)鹿子木維善:「勝国治水遺」
  覚書「相川文書」
  中野嘉太郎:「加藤清正伝」,明治42年
2)森山恒雄:土木史 加藤清正の土木と治水(その三),「月刊建設」(第35号 第9号)1991年9月号,全日本建設技術協会発行,pp.85-88.
3)菊陽町教育委員会・菊陽町文化財保設委員会:馬場楠井手の鼻ぐり,「菊陽町の文化財(第3集)」,p.7.
4)加藤清正土木事業とりまとめ委員会編集:「加藤清正の川づくり・まちづくり」,建設省熊本工事事務所発行,pp.43~44,pp.68~70 平成7年11月30日
5)乙部光憲,塚崎芳和,烏山郁男,山下圭三:仮支柱を用いた片持ち張出し架設による鼻ぐり大橋の設計・施工,「ORIKEN技報 ’95.5 第5号」,オリエンタル建設株式会社技術部編集発行,pp31~35. 平成9年5月
6)平成9年11月29日 熊本日日新聞・朝刊記事,「鼻ぐり大橋開通」

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