一般社団法人

九州地方計画協会

  • 文字サイズ
  • 背景色

一般社団法人

九州地方計画協会

  •                                        
長崎県の離島架橋

長崎県土木部道路建設課長
近 藤 光 璋

長崎県土木部道路建設課
橋梁係長
城 下 伸 生

1 長崎県の離島
長崎県は九州西端に位置し,面積約40万km2,人口約160万人である。離島としては,北に海上約200kmを隔てて対馬島,約50kmに壱岐島,東方約100kmに五島列島,本土に近接して平戸諸島と西彼杵の島々がある。その数は500を超え,県土の面積の約40%を占めている。
このうち有人島は現在約60島で,人口約27万人が住んでいる(昭和60年)。昭和40年には有人島約100,人口約40万人であったが,昭和50年には有人島約80,人口約30万人,と過疎化が進んでいる。
これは離島の生活・産業面での厳しい条件を物語っており,生活基盤の整備,経済の振興などによる地域の活性化が課題となっている。

2 離島振興の課題
県の長期構想「21世紀・成熟社会への出発」(S62.7)では「海洋性を高度に活かした県土の建設」を立県の基本方針のひとつに位置付けている。離島地域の振興策としては雇用の場の確保,生活環境の向上,保健・医療・教育などの充実をあげている。
交通については「全県土,日帰り圏」を目標に陸・海・空の多様な交通システムが相互に連携し有機的に機能する「立体的交通ネットワークづくり」をかかげている。
離島道路としては,港湾や空港というターミナルなどへのアクセスの時間短縮による幹線交通網への接近とともに,日常生活の安全と利便のため生活圏交通網の整備を図ることが必要である。
離島架橋もこれらの施策のひとつとして積極的に推進していくことにしている。

3 離島架橋の効果
離島架橋による変化を端的に言えば,フェリー・海上タクシー・貨物船などの海上交通から,車という陸上交通への転換である。
通勤・通学・業務などでの移動,物資の輸送について陸~海~陸という船舶を介在した形態から陸上交通だけになり,連続性の点で大巾に改善される。
気象による交通の途絶も,海のシケによる船舶の欠航にくらべて,非常に少なくなる。小値賀島(本島)と斑島(属島)の例では,渡船(2トン,定員12名)の年間欠航日数は70~80日にものぼっていたが,架設後は台風の暴風時をのぞいて交通止になることはなくなった。また,急病の時など夜間でも必要な時いつでも通れるという随時性は,上に述べた確実性とともに住民に大きな安心感を与えており,定住化に結びついている。
このほか架橋は,人流・物流の面で船舶にくらべて,時間短縮だけでなく,量の拡大や多様化をもたらす。これらは,学校でのクラブ活動やサークル活動あるいは地域社会での文化活動などを活発化させ,文化の発展につながる。またコストダウンによる物流の拡大は,地域経済の振興に寄与し,雇用の拡大にもつながる。
離島には自然環境などすぐれた観光資源も多く,平戸島の観光客は平戸大橋の開通により年間約80万人ふえ1.7倍となった。

4 離島架橋の実績
4-1 離島架橋
長崎県の離島架橋の第1号はどれかと尋ねられてもはっきりとは答えられない。記録によれば明治33年対馬の万関瀬戸の開削と同時に長さ50間の万関橋を架けたとあるが,これは人工の瀬戸である。西彼杵郡伊王島町の伊王島と沖ノ島を結ぶ賑橋は大正末期木橋をスラブ橋に架替えたとも言う。昭和11年には佐世保市の早岐瀬戸に可動橋(帆船を通すため可動橋とした)の観潮橋が架けられた。
自動車交通を対象とした本格的な橋としては,昭和30年に西海橋が日本の長大橋技術の草分けとして完成した。西海橋は佐世保市の針尾島と西彼杵半島を結ぶが,離島架橋というより西彼杵半島の振興という性格が強い。
このように離島架橋のはじまりは明らかではないが,離島の後進性・隔絶性を解消するという明確な目的をもって取り組むようになったのは,昭和28年の離島振興法制定以来のことである。

4-2 架橋運動のあゆみ
架橋の必要性が提唱されはじめたのは大正時代に遡るが,本格的な架橋運動は昭和になって行われるようになり,10年代に入り盛んになったが,戦争の激化により中断した。戦後,経済の復興とともに架橋運動も復活し,離島振興法の制定により実現の道が開かれるようになった。
平戸大橋では,架橋の必要性を最初に唱えたのは,大正時代中野架裟六氏である。昭和3年年県議会で必要性が提案され,昭和10年代には平戸南部地区の旧3村が架橋促進を決議し,11年には再び県議会で質問が行われ,架橋運動が盛り上がったが,戦争で中断した。戦後昭和37年になり「平戸瀬戸架橋促進期成会」が発足し,運動は本格的となった。昭和44年有料道路事業の許可を,県議会の議決を経て,建設大臣から受け,ようやく着工にいたり,昭和52年4月完成した。
また,架橋には巨額の投資を必要とすることから,昭和52年県政の重点施策のひとつとして,架橋促進のための予算の画期的拡大と予算の別枠設定を取り上げ,政府・国会など関係機関へ要請を繰り返した。これが他県にも及び,架橋促進の運動が全国的に拡がり,昭和54年度には事業費が50億円を超す長大橋が4橋公共事業として採択された。本県では若松大橋と生月大橋が採択され,大規模な架橋への着工が可能となった。しかし,予算項目の創設に関しては現在も実現されていない。

4-3 離島架橋の実績
長崎県で施工した主な離島架橋は,表ー1および図ー1のとおりである。
離島振興の事業として実施され,最初に離島の本土化を達成した橋は,福島町と佐賀県の伊万里市を結ぶ福島橋である。その後,有料の平戸大橋が架かり,昭和62年には樺島大橋が完成した。
離島相互を結ぶ橋としては,西彼杵郡大島町の大島と崎戸町の蛎ノ浦島の間に,昭和27年一部木橋を含む中戸橋(長さ260m,幅3m)が架けられ,昭和35年には現在のPC橋に架替えられた。昭和46年には蛎ノ浦島と崎戸島の間に本郷橋が架けられた。
本島と属島を結び,属島の生活基盤を改善するための橋には,斑大橋,漁生浦橋がある。
また,空港を島につくり,橋によって本土(本島)と結んだものに,長崎空港の箕島大橋,上五島空港の頭ケ島大橋がある。

5 施工中の離島架橋
現在長崎県では若松大橋と生月大橋を施工しており,その概略は下記のとおりである。
5-1 若松大橋
若松大橋は,五島列島の若松町にあり,中通島と若松島を結ぶ,3径間連続トラスの鋼橋である(図ー2参照)。
若松町は,約30の島からなり,有人島は上の2島のほか漁生浦島・有福島・日ノ島の5島で,人口約5,500人である。図ー3のように役場のある若松島(人口約2,900人)と中通島(人口約2,100人)の間をのぞけば,既に陸路でつながっており,若松大橋が完成すれば,5島全域が車で往来できることになる。
下部工は平成元年完了し,現在上部工の工場製作を進めており,今年9月に側径間,10月には主橋梁を3ブロックにわけクレーン船による一括架設工法で架設する。その後鉄筋コンクリート床版などを施工し,平成3年秋には完成の予定である。
架橋の完成により中通島の他の町(有川町など4町)と広域的町村圏を構成し,行政の効率化を図ることが可能となる。町により運営されているスクールボートがスクールバスに代わる日も近づいている。

5-2 生月大橋
生月大橋は,平戸大橋により既に本土化されている平戸島と生月島に架かる,延長960mの有料橋である。主橋梁は延長800mの鋼3径間連続トラス橋で,中央径間の400mは完成すればこの型式としては世界一となる(図ー4参照)。

生月島は人口約1万人の一島一町の島で,漁業の盛んな,隠れキリシタンの島として知られている。
現在下部工と上部工側径間のPC橋は完了し,主橋梁部を残すだけとなっている。今年5月6日と8日に,長さ約210m,重さ約2,200トンの中間支点上ブロックを3,600トン吊りのクレーン船により架設した。引き続きこのブロックより陸地寄りの両端部のケーブルエレクションを行っている。
8月には中央部の長さ約220m,重さ約1,700トンのブロックを再度3,600トン吊りクレーン船を用いて架設し,全体が閉合する。
その後,グレーチング床版などの施工を行い,平成3年秋には若松大橋と同じように供用開始できる見通しとなっている。
また,両橋とも厳しい腐食環境に置かれているだけでなく,塗装作業も著しく困難であるので,塗替の間隔を延ばすためフッ素樹脂系塗装を採用した。

6 離島架橋の工法の特色
離島架橋は海上に架かる橋であるので,その工法の特色も,海をどのように利用するか,また不利をいかに克服するかということになる。
上部工については,船舶が進入できる箇所では一括架設工法が定着している。台船に積んだ橋体を潮の干満やジャッキを利用して架設した例(観潮橋,斑大橋のランガー桁)もあるが,通行船舶との関係から桁下空間が大きい橋が多く,クレーン船による架設が一般的である。
昭和42年福島橋で200トン吊りのクレーン船によって長さ86m,重さ180トンの鋼箱桁を架設したのを最初として,クレーン船の大型化とともに一括架設するブロックも大きくなってきた。昭和50年には平戸大橋の吊橋の主塔(高さ65m)を架設し,昭和61年には寺島大橋のローゼ桁(長さ160m,重さ1,000トン)を,平成2年には生月大橋のトラス桁の一部を架設した。
また,PCポステン橋を製作ヤードで横組工まで施工し,一体化した橋体(長さ約45m,幅7m,重さ約600トン)をクレーン船で一括架設した例もある。

下部工については,波・潮流・水深などとのたたかいとなる。特に外海では台風などによる被害を受けにくい工法を採用することは勿論であるが,現地工程の短縮,施工時期の調整なども有効である。
斑橋では,コンクリートケーソンや橋脚本体の大部分か,クレーン船の能力が対応できる部分まで陸上で製作した。これを季節風が強い冬を避け海象が穏やかになる5月はじめ現地に搬入し,秋までの間に一気に完成させた。

若松大橋では,仮締切兼用の鋼製ケーソン(高さ約40m,重さ約3,200トン)を工場で製作し,現地まで台船に積んで運搬して据付けた。
近年本四連絡橋など国家的プロジェクトの実施にあたり,新しい材料の開発や施工機械の能力の飛躍的向上がみられており,今後はより悪条件の下での施工も可能となってくると思われる。

7 今後の離島架橋
長崎県は,県土の約70%が離島と半島で構成されているため,多数の架橋の要望があり,代表的なものに「長崎県長大橋建設促進協議会」による島原・天草架橋をはじめとする13の架橋がある。このうちの9橋が離島架橋である(図ー5,表一2参照)。
これらは本土に近接している離島を本土化する架橋,若松大橋を最初とする五島列島を縦に連絡する架橋および壱岐島の属島である嫦娥大島地域を本島と結ぶ架橋である。
今後の架橋は,より大規模となり建設費も多額になっていくと思われる。また長大橋のストックがふえるとともに維持費の負担も大きくなる。このため,適切な範囲内で利用者に負担を要請できる生月大橋のような有料道路事業の導入についても検討していきたい。
また,維持管理のための管理有料制度の創設や現在第10次道路整備5カ年計画のなかで暫定的に認められている再塗装費の国庫補助制度の存続を国に要望したい。
離島架橋はフェリーなどの航路事業の存在を脅かすことが多い。航路が地域の生活を支えてきたことを考えると,航路対策には地元が地域全体の問題として積極的に取り組むことが必要であると思う。
離島架橋が地域おこしの材料のひとつになることを期待する。

上の記事には似た記事があります

すべて表示

カテゴリ一覧