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水の土木遺産:轟水源と轟泉水道
田中尚人
春野正成
1.轟泉水道の概要1)2)3)
轟泉水道は、初代宇土藩主・細川行孝により、白山、宇土山を後背地として有する轟水源(写真ー1)から宇土城下町までの総延長約4,800m、標高差10m の区間を、水道塘(堤防状の盛土)や桝(コース変更や分水、水田への灌漑の機能)などの技術を駆使し、1664(寛文4)年完成(瓦質管)させたものである。

宇土城下町は海に近く、標高が3m ほどの低地であり、地下水は乏しく、多量の塩分や鉄分が含まれ、水質が非常に悪かった。そのため、良質な飲料水の確保は切実な問題であり、約6,200トン/日の湧水量がある轟水源から、城下町の各屋敷まで自然流下方式の水道を敷設し、様々な用途に水を利用できるよう考えられた。
1663 年(寛文3)8月に工事着手、幹線工事(約3,150m)には約4ヶ月、支線工事(約1,500m)には約1年をかけ、1664 年(寛文4)12 月に轟泉水道は完成した。武家屋敷には戸別の井戸、共同井戸は13 ヶ所、防火用や農業用の取水口も造られた。当初は瓦質管を用いて敷設されたが、100 年ほど経ち水道管の老朽化から、石管と「がんぜき」という水中でも固まる漆喰に取り替える改修工事が行なわれた。
現在も、水道の大半が現存しており、100 戸ほどが生活用水として利用していることから、現存する日本最古の上水道であると言える。
【諸元】
  形式:石管(角管、馬門石:溶結凝灰岩)ただし、現存する石管は1770 年ごろに瓦質管(円筒状陶管)から全管取替えられたもの
  緒元:総延長約4,800m、
  石管内寸:幅 約270mm、高さ 約255mm、長さ 0.4 ~ 1.8m

2.轟泉水道の構造
1)完成時(細川行孝の時代)
第一次工事完了当初(1664 年)は、松橋の瓦元から「かわら」あるいは「丸瓦」と呼ばれる瓦質管が用いられていた。水路は、本管(直径約23㎝、長さ約43㎝)、支管(直径約15㎝、長さ約46㎝)、その他(直径約17㎝、長さ約30㎝)の三種類の円筒形の瓦質管(写真ー2)から構成され、約11,000 本使用したといわれている。

2)改修時(細川興文の時代)
(1)馬門石製樋管
轟泉水道が敷設されてから、約100 年が経つと瓦質管が破損し、水漏れや水道水の汚濁、枯渇が極端に進んだと言われている。財政難であったものの宇土細川藩五代目藩主細川興文は、さまざまな改革の一つとして、轟泉水道の大改修を実施した。
水道管はすべて網津産の「馬門石」へ取り替えられ、①地震に耐えうる堅牢な作り、②樹木の根が入り込まない作り、③修理取り替えができる構造、④維持・管理のための組織を継続する、という4つの条件のもと改修工事に取り組んだ。
馬門石製女石樋管(写真ー3)は、長さ114㎝、幅50㎝、高さ37.5㎝となっており、これは「大管」といわれる本管である。他にも中管、小管の存在もわかっており、土管と同じく石管も3種あったことが確認されている。この馬門石で作られた樋管のことを「石竇(せきとう)」と呼ぶ。

石管の作りとしては、樋管同士の接合部を相欠き(あいがき)にする方法が採用された。樋管の両側を、男石(おいし)と呼ばれる凸型のものと、女石(めいし)と呼ばれる凹型のものに仕上げ、2 つの樋管を合わせるとぴったりと合うように設計された。この接合方法であると、もし男石が破損した場合は男石の一石だけを、女石が破損した場合は両側の男石を引き上げ、その後女石だけを取り替えれば修理は完了する。メンテナンスの容易さも、轟泉水道が現在まで保全されてきている一つの条件である。

(2)現存する轟泉水道樋管
現在もなお使われている轟泉水道は、基本的に細川興文の改修時に敷設された樋管路線であり、細川行孝敷設時の水路ネットワークと極端な変更はない。轟泉水道の取水口のことを組合では「サブタ」と呼んでおり、内部では木の板で水量を調節する仕組みとなっている調節施設である。
現在見ることができる樋管は、水源地から末端の船場橋までの約3.5㎞が幹線、分岐した支管が約1.3㎞であるので、総延長は約4.8㎞である。樋管は本管・支管を合わせて約4,500 本使われている。
水源から末端までの桝の総数は25 個、水量調節や灌漑のための「落口(おちくち)」が4ヶ所、「捨水(すてみず)」が6ヶ所、「共同井戸」が7ヶ所ある。樋管が川や水路を横断する場所のことを「投げ渡し(なげわたし)」と呼ぶ。
高さを保ち、水がスムーズに流れるようにするために作られたのが水道塘である。水道塘は水道樋管の敷設予定場所に予定する高さがない場合には土盛りをしてその中に樋管を敷設する台形をなす土手状施設である。全路線中に2ヶ所確認されている。

3.轟泉水道のメンテナンス
轟泉水道は、今でも約100 軒の加入者があり轟泉水道簡易組合により維持管理されている。1所帯あたり年間1万円の水道代の支払いや市補助金などで組合の運営水道の修理などの維持管理が行われている。現在は年3 回の水質検査が行われており、最初に宇土市役所環境課、その後宇城保健所が審査を行う体制となっている。図ー3が轟泉水道の路線網図である。

近年、轟泉水道の管理上問題となるのは、樋管に樹根が入り込んで樋管内部で根が成長し目詰まりを起し、水量が減ってしまう問題である。中に入っている樹根は長いものでは8m 近く、一般的には3~5m のものである。
漏水や水量が少なくなってしまう原因は、樋管の破損やひび割れであることが多い。その補修に使われるのも「がんぜき」である。がんぜきの製法は諸説あり、轟泉水道簡易組合に残っている製法は、赤土と貝灰、食塩を加え松の葉や枝を炊き出した煮汁を混ぜて臼で引いたものである。
現在、轟泉水道のメンテナンスは、宇土市轟泉簡易水道組合が担当されている。毎年7月20日には、組合員、その他関係者らが、轟水源の掃除と水路のメンテナンス(写真ー4、5)、その後、水神祭りが開催される。

4.土木遺産とまちづくり
土木学会選奨土木遺産の認定制度は、土木遺産の顕彰を通じて、歴史的土木構造物の保存に資することを目的として平成12 年度に創設されました。その目的としては、以下の4点が挙げられている。
1)社会へのアピール
(土木遺産の文化的価値の評価、社会への理解等)
2)土木技術者へのアピール
(先輩技術者の仕事への敬意、将来の文化財創出への認識と責任の自覚等の喚起)
3)まちづくりへの活用
(土木遺産は、地域の自然や歴史・文化を中心とした地域資産の核となるものであるとの認識の喚起)
4)失われるおそれのある土木遺産の救済
(貴重な土木遺産の保護)
轟泉水道のように、宇土城下町の暮らしを350年も支えてきた歴史的な社会基盤施設が、今なお地域の人々の暮らしを支え現役として活躍している状況は、今後の土木遺産とまちづくりを考える上で、重要な事例であり、市民とインフラとの良好な関係性を示す好事例と言える。

 謝辞:
 本研究は、多くの方々にその成果を負うている。宇土市教育委員会文化課の皆様、宇土市轟泉簡易水道組合の皆様にはたいへん、お世話になりました。記して感謝の意を表します。

参考文献:
 1)宇土市史編纂委員会編:新宇土市史通史編、第2巻(中世・近世)、2007.
 2)宇土市史編纂委員会編:新宇土市史通史編、第3巻(近代・現代・年表)、2009.
 3)髙木恭二、轟泉水道はどのようにして造られ、使われてきたのか- – 最古の現役上水道-、うと学研究、第三十四号、宇土市教育委員会、pp.21-41、2013.3.

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