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日本からヨーロッパヘの御土産
風呂敷・扇子・浮世画,それに……

㈱フジタ九州支店 理事
森 本 茂 雄

’93年秋,一行14名で災害調査のため,イタリア,ギリシャ,フランスを廻った。10日間の短い期間であったが,各国の災害の扱い方などを見てみると,それぞれのお国柄がしのばれて興味深かった。
イタリア・ジエノバ市:マルコポーロやコロンブスを生んだ大きな港街は山に囲まれ,市当局は「最近はとにかく雨が多くて,3年続きの連年災で困っている」ということであった。そして受けた災害以上に困っていることとして,一つは国に対して毎年被害報告を出して災害復旧費(全額国庫負担)を要求しているが,連立政権下のこともあって,国からはナシのツブテであるということ。また,もう一つは,市の中心部を流れる川のほとりにムッソリーニが第1次大戦の戦勝記念に凱旋門を建てた際この川にコンクリートスラブの蓋を河口から1.3kmにわたって架けてしまったため,洪水のたびに,恒常的に呑口附近の家屋等が浸水被害を受けることとなった。それで半世紀にわたり,われわれ河川管理者は,蓋の上を利用している道路管理者等と対策を協議してきたが,解決策は全く見い出されていないということであった。
有名なバイオリニストのパガニーニのバイオリンが飾ってある立派な会議室で市当局から説明を受けた際,市長代行の女性に日本からの御土産を差し出したところ,扇子と浮世画には余り興味がなく,唐草模様の風呂敷が気に入り,現地通訳が使い方を説明したにもかかわらず,首に巻いてスカーフに丁度良いと御機嫌だった。
すべてがイタリアらしいことばかりだった。
ギリシャ・アテネ市:目指すは地震国ギリシャの地震災害だったが,着いてみると,アテネでの災害は先ず渇水災害だった。アテネ市は人口が400万人に達し,水源としてダム2,自然湖1の総貯水量15億トン余をもって給水しているが昨年は異常気象で年間200mmの降雨しかなく,節水を続けているが,今後降雨がなければ大事に至るということであった。当局の説明では「ダム群は統合管理されているのでその一つのマラトンダム(貯水量0.41億トン)を見れば状況は良くわかる」ということであった。
現地に着いてみると,管理所は1戸建の民家風の建物で,ダムの管理状況を示すパネルも無く,パンフレットも置いていないし,会議室もなく,座るところもなく,所長以下数名の所員はわれわれの応対に戸惑っているようだった。われわれも目につくのは3台ばかしの磁石式手廻し電話機位のものなのでくわしい説明を聞くことはあきらめ,折角持ってきた御土産なので,ここでも紙包みを差し出したところそぐわない雰囲気で御土産はそのまますぐ後の机に置かれたままになってしまった。
しかし,外に出てダムを見るとダムは立派な外観を呈していた。全面に大きな大理石を張って仕上げてあり白く輝いていた。パルテノンの神殿を建てたギリシャ人の血はこんなところにも受け継がれているのかと思われた。

フランス・アビニオン市:南フランス,ローヌ川の下流域にある城壁に囲まれた中世紀そのままのような町であるアビニオンの郊外に日本でも知る人の多いアビニオン橋が写真のように半分流失したままローヌ川に残っている。折角の機会なので当局の人に尋ねてみたら「あ、あの橋,名前は何だったか?もう古い橋で,お寺の他所の僧侶が造った橋ですよ」と,わざわざ,他所の僧侶と断わって厄介物扱いの返事だった。日本の僧が造った青の洞門は小説にもなって尊ばれ,修復できない石造橋を他所へ移してでも保存に力をいれている日本に較べると,城壁と砦が良く目に付くこの国では色々な事が水に流されずに残っているように思われた。

市内で県庁を訪れたが,古めかしい県庁入口で暫く待たされたのち,中に入れてもらえたが,われわれの入ったあと,門はまた閉されてかんぬきが施されたのには驚いた。県庁に県民の広場のある日本がえらく民主的に思えた。中に入れてもらったところで県庁から災害を担当している消防局へ行くバスが手違いで遅れることがわかった。心配していると赤塗の消防車が来てわれわれを乗せて猛スピードで消防局まで連れていってくれた。官僚国フランスとも聞いていたけれど,日本以上だとまた驚かされた。
消防局で説明を聞いたあと,ローヌ川支川の上流域の被災地を視察した。被災状況は日本の災害と全く良く似ていた。しかし,そこから先が違っていた。当局によるとナポレン法典では河川敷は民地の地続きのところが民地扱いとなっており各人か,または地域の人達が自から災害復旧或いは整備をすることになっているというのである。今回の災害でも皆大いに困っているということであった。この話を聞いてわれわれは現地の罹災者協会に義捐金を贈ることとし,現地で罹災者代表に写真のように団長から手渡した。

夜,県庁でワインパーティを開いてもらった。そこで最後に残った3点セットの御土産を渡した。相手は県庁の若いエリート副知事で,ここでは御土産の中味よりも,それが収賄にならないかどうかが話題になった。こちら側は最近日本でも汚職の問題がマスコミに大きくとりあげられており,その点は充分注意しているのでと説明して受取って貰った。
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後日,前記のフランスの罹災者協会代表からお礼の手紙が届いた。本当に喜んでもらえた日本からの御土産は義捐金だったと思われる。

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