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救急患者の収容所要時間・救命曲線を使った
道路整備の救命向上効果計測

国土交通省 九州技術事務所
 所長
(前)九州幹線道路調査事務所 所長
藤 本  昭

長崎実地救急医療連絡会
 はしもとクリニック院長
橋 本 孝 来

はじめに
我が国は,世界でもかつて例のない速さで,高齢社会に突き進んでいます。高齢者を含む国民の最も高い関心事の一つは病気の問題,特に緊急の場合です。これに対応する救急医療には,多くの検討すべき課題があります。
救急患者の救命率を左右する要因には疾患の程度や病院機能,収容所要時間等があります。このうち道路整備と関係が深い救急患者の収容所要時間に着目しました。長崎救急医療協議会が運営する救急事務引継書,約4万件の収容救急患者データを使って,疾患ごとの覚知から医療施設までの収容所要時間と救命率の関係を分析しました。近似曲線を当てはめ,ある程度の関係があることを確認しました。
道路整備の必要性および妥当性は通常,費用便益分析によって評価します。まず,道路整備による時間短縮効果という便益(B)を建設費や管理費等のコスト(C)で割ったB/Cで判断します。これが不十分な場合は便益を,走行費用減少,交通事故減少,更には環境改善ヘと拡大していきます。しかし,これらの便益は何れも交通量を大きな説明要素としてます。このため,これだけでは,交通量の多寡に関係なく存在する多様な道路整備効果を,客観的かつ合理的に説明するには無理があります。
本稿の終わりに参考図として掲示する収容所要時間・救命率曲線を活用すれば,道路整備がもたらす救急患者の収容所要時間短縮による救命率向上効果も,計測,金額化のうえ便益として計上できます。

1 救急事務引継書・データ
平成9年9月,長崎実地救急医療連絡会および長崎市医師会,長崎市消防局警防課,長崎市役所病院管理部は長崎救急医療協議会を設立しました。同時に,協議会関係者の相互協力のもと,長崎市を中心とする1市10町,人口547千人(平成12年)の地域で,図ー1の救急事務引継書の運用を開始しました。
救急事務引継書は救急隊員が記入するprehospital record欄と医師が2週間後の転帰および確定診断を記入する実態調査欄からできています。
データは,各消防署に保管中の救急事務引継書のうち,平成9年9月1日から平成13年6月30日までの3年10ヶ月間分の実態調査が可能であった42,838件を対象としました。
その内訳は,内因性疾患が25,147件(58.7%),外因性疾患が13,288件(31.0%),心肺停止(以下CPA)が649件(1.5%),分類不能・不明が3,754件(8.8%)でした。
死亡者数が100件以上と多く,効果の計測に影響が大きいと見込まれる疾患は,155件の脳内出血および102件のくも膜下出血,117件の脳梗塞,149件の急性心筋梗塞,147件の急性心不全,142件の肺炎,519件のCPAの7疾患でした。

2 集計・分析
収容所要時間は本来,救急患者の発症から病院収容までの時間とすべきです。しかし,発症時刻は厳密には特定できないことから,これを119番コール時刻すなわち覚知時刻で置き換えました。
収容所要時間が5分以下および60分を超えるものは特異事例であることから除きました。6分から60分までを5分間隔にまとめ,収容所要時間と救命率の関係を検討しました。
関係が薄いと考えられる脳梗塞を除く,6疾患に,図ー2のように近似曲線をあてはめ,寄与率(R)を求めました。精度(相関係数R)からみて,脳内出血とくも膜下出血については比較的高い精度で,収容所要時間の延長とともに救命率の低下傾向が認められます。肺炎とCPAについても,これらに準じた精度で同様の傾向が認められます。急性心不全と急性心筋梗塞については,精度は低いが同様の傾向は認められます。換言すれば,これらの6疾患では収容所要時間が短縮されれば,救命率の向上を期待できることを示しています。

3 救急医療改善効果を試算する地域モデル
図ー3は道路整備による救命効果の計測,金額化を試算する地域モデルです。
道路沿いに病院があります。同病院から10分および20分,30分の走行地点に,それぞれ順に20万人および10万人,5万人の市があります。当地域には,計画走行時間がそれぞれ5分の現道拡幅計画と10分のバイパス計画,10分のトンネル計画がある,という設定です。

4 救命率向上効果
当地域で,トンネル計画またはバイパス計画,現道拡幅計画が完成すれば,それぞれ,病院への収容所要時間の短縮が生まれます。これによる救命率向上効果は救命者の増加となります。この3つの計画完成による救命増加人数は,表ー1の6ケースごとに計算し,組み合わせることで計測できます。疾患別発症率は,長崎救急医療白書より引用した表ー2の値を使います。この発症率は救急車による急患搬送発生率と同じことです。

(1)トンネル計画完成による救命増加人数
トンネル計画の完成は,表ー1の①の計算になります。結果を表ー3に示します。救命増加人数は6疾患の合計で7.39人/年となります。

(2)バイパス計画完成による救命増加人数
バイパス計画の完成は,②と③の計算,合計になります。その結果を表ー4と表ー5に示します。2ケースを合わせた救命増加人数は,6疾患の合計で8.48+3.15=11.63人/年となります。

(3)現道拡幅計画完成による救命増加人数
現道拡幅計画の完成は,④と⑤,⑥の計算,合計になります。その結果を表ー6と表ー7,表ー8に示します。3ケースを合わせた救命増加人数は6疾患の合計で16.34+3.77
+1.50=21.61人/年となります。

5 救命者増加の利益
救命1人が生み出す利益を死亡1人の損失利益の裏返しと考えました。
6疾患別発症患者平均年齢は,救急事務引継書より算出した表ー9の値を使いました。1人当たりの平均年間所得は,厚生労働省編“国民生活基礎調査12年版”から引用した高齢者世帯1人あたり平均所得218万円/年を使いました。年齢別就業可能年数の換算にはライプニッツ係数を使いました。以下,3計画完成による年間あたり救命者増加利益を,それぞれ算出しました。

(1) トンネル計画完成による救命者増加の利益
トンネル計画完成では,①の疾患別救命増加人数を使い,表ー10のように計算を進めます。救命者増加の利益は5405.5万円/年となります。

(2) バイパス計画完成による救命者増加の利益
バイパス計画完成では,②と③の疾患別救命増加人数を使い,表ー11と表ー12のように計算し,合計します。救命者増加の利益は,6153.5+2328.7=8482.2万円/年となり
ます。

(3) 現拡計画完成による救命者増加の利益
現道拡幅計画完成では,④と⑤,⑥の疾患別救命増加人数を使い,表ー13と表ー14,表ー15のように計算し,合計します。救命者増加の利益は,11412.5+2756.8+1112.6
=15281.9万円/年となります。

6 救急医療改善効果の金額化
便益の金額化については計算の単純化のため,計画道路が現時点で瞬時に完成したとの仮定で,プロジェクトライフを40年としました。この場合の道路の整備効果は,40年間に毎年発生する効果額を年率4%の社会的割引率で割り戻した額の合計額で表わします。
従って,道路整備による救急医療改善効果も同様の計算を行います。3つの計画それぞれの便益は以下の通りです。

おわりに
以上,設定地域モデルの道路整備による収容所要時間短縮がもたらす,6疾患分の救急医療改善効果の試算を行いました。データが充実すれば,他の疾患についても追加検討ができます。
収容所要時間と救命率の相関は必ずしも高くはありませんでした。救急搬送患者の救命率に関わる要因のうち,今回は収容所要時間との関係にのみ着目して,検討を行いました。従って,病態の軽重や患者の背景,搬送先病院の機能等は加味されず,このような結果となりました。
疾患ごとの発症率や平均年齢等は,地域ごとのデータを使うのがよいと思います。しかし,ごく一部を除いて,このようなデータは見あたりません。さらに人口構成も,長崎地区の高齢化率19.0%は全国の19.9%と大差がないことから,当地を平均的な地域と見なし,当地のデータを一つの全国的な指標として活用してよいのではないかと考えます。
本稿は,交通量が少ないため便益が低いと見られがちな地方部道路にも,交通量の多寡に関係なく存在するその他の多様な道路整備効果を便益として追加できる事を示せたと思います。まだ十分なものではありませんが,結果内容を早く公表することが望まれると考えました。当然,今後更に,精度の高い調査分析を進め,詳しい報告論文を出すことにしております。
最後に,本研究におけるデータの取り扱いに関しては,プライバシーの確保に細心の注意を払いました。本稿の結果を公表できるようになったのは,多く関係者のご尽力の賜です。これを記して,関係各位への謝辞と致します。

参考文献
1)長崎救急医療協議会編;“長崎救急医療白書 ’98” 1999.12
2)長崎救急医療協議貪編;“長崎救急医療白書 ’99” 2000.12
3)道路投資の評価に関する指針検討委員会編:“道路投資の評価に関する指針(案)” 1998.6
4)厚生労働省編:“国民生活基礎調査H12年版” 2002.1

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