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技術と社会―インフラ技術論の立場からー

九州大学名誉教授
楠 田 哲 也

昨今のスマホの普及と機能向上は著しい。アプリの充実によりその使われ方も大きく変化してきている。発売当初は携帯電話とパソコンの組合せというふれこみで、その使い方も限られていた。その後の展開はご承知の通りで、国民への危険情報の一斉提供、SNS、ディジカメ・セルフィー、ゲーム機、小型パソコン、GPS、方位磁石、時計・ストップウオッチ、チケット予約、銀行通帳、メモ紙とその使い道は拡大を続けている。技術論としてこの様相を見ると、当初のスマホの目的は多機能携帯電話であったが、利用者はスマホを目的ではなく手段として使い始め、その手段が新たな目的を生み出し、そして手段となって、さらに新たな目的を提供とエンドレスで続くことになった。その結果、社会を変え続けることになった。特にコミュニケーションを対面から非対面に変化させ、ポピュリズムとしての「炎上」を辞典に登場させ民主主義による意思決定の様式を変化させそうになっている。
この現象は技術論的にはいくつかの要素からなっている。「目的」として提供された技術(製品、産物)が「手段」に性格を変える自己発展性と、技術が社会を決定するとともに社会が技術を決定する循環型二重性を合わせた多元決定性(共同決定性)と技術そのものの「他者性」を示している。さらに、感情の実態が伝わらないコミュニケーションによる社会の不安定化、情緒不安定な意思形成による民主主義制度の不安定化など「技術の逆襲」が始まっているといえる情況を感じさせる。
スマホから離れ、公共インフラとして例えば道路と橋梁を考えてみる。わが国における道路と橋梁の整備は1970 年代の高度成長期に急速に進んだ。この時期は人口が増加していた時期に相当する。道路と橋梁という技術(産物)を利便性の向上という目的で社会に提供した。提供された社会では目的を手段に変えて、幹線道路は国内の輸送形態を変化させ、人の移動を誘発し、輸送サービス過剰とまでいわれる時代に至った。その結果、物品の販売形態を変化させ、悲喜劇を生み出している。また都市部以外での道路整備は老人を残し若者を都市部に移動させる動きを少なからず促したことも否めないし、その結果として、山間部は過疎化が進行し続けている。このように道路と橋梁でも、目的が手段化され、新たな社会形態を生みだし、それが次の時代を生み出しつつある。「技術の逆襲」が一部とはいえ始まっているともいえる。公共インフラの寿命がつき始めた近年、行政は財政制約のために公共インフラを改築更新する前に延命化を図るように指導を強めている。この延命化は公共インフラを当面減少させないことを意味している。しかし、関東圏と政令都市のいくつかを除いて人口減少の時代に入り、地方の税負担能力は減少傾向にある。個人当たりの効用と人口の積が社会的効用であるなら公共サービスのための支出抑制を考えなければならない時期が足元まで忍び寄っている。公共インフラの寿命の到来と人口減少とは偶然の一致といえるが、このことを含め、「技術の逆襲」を防ぎつつ、財政の許容範囲内で公共サービスを最大にするための技術の開発が喫緊の課題として浮上してきている。大学等の研究機関でその研究が本格化している訳ではなく、都市の居住圏と公共インフラのあり方の議論も進んでいるとは言い難い。技術の本質をふまえ新たな社会課題に応えようとする若い心の持ち主の登場が望まれる。

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