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思いつくままに

長崎県 土木部長
城 下 伸 生

この3月、30数年務めた長崎県を退職した。長くもあり、短いようでもある。一つの区切りを迎え、これまでの束縛から解放されて、すがすがしく、穏やかな気持ちである。
長崎県には、4年近くの民間の建設会社での現場監督を経験した後、入庁した。年度中途の採用で、直接地方機関に配属され、道路の設計、積算、工事監督を行うこととなった。ここでは、先輩の技術者達にいろいろと質問しまくった。しかも、納得するまで聞くので、相当しつこく、手こずらせた。それでも、根気よく、懇切丁寧に教えてもらった。また、アドバイスもいただいた。しかし、さんざん尋ねたあげく、自分の考えどおりにするのが常であった。このため、先輩達の教えを、結果として、聞かないことがたびたびあり、酒飲みのときなど、「もう教えてやらん」と怒られたものである。「すみませんでした」
しかし、この頃の先輩達の教えが、今でも私を支え続けている。
離島の勤務も、良い思い出のひとつである。五島列島の地方機関に、昭和55年から、通常は3年間のところを、希望して4年間勤務した。
転勤する直前、同じ土木の技術者が風土病といわれている病気で亡くなり、少しの不安はあった。実際の生活と勤務が始まってみると、住民は心優しく、事業にも協力いただける。また、離島振興法があり、予算も十分もらえた。若い技術者にとって、自ら考えたものをすぐ形にできることは、得がたい喜びであった。設計も自分が納得できるまで、ルートからやり直すようなこともした。
また,楽しみも多かった。下手なゴルフもここで始めた。年に何十回も五島カントリーに行った。霧でコースの見えない日にも,雪でボールが雪だるまになる日にもプレーした。
ソフトボールのチームにも入り、市民ナイターソフトなどにも参加した。お情けで試合に出してもらっても、守ればエラー、打席ではバントさせられないようサインは敢えて見ないという体たらくのメンバーであった。
昨年12月、長崎港を跨ぐ女神大橋(主径間480mの斜張橋)が完成した。土木学会の田中賞をいただいた橋である。この橋は、下部工は国の港湾直轄事業として、上部工は長崎県の道路事業として実施されたものである。この事業区分の決定に至るまでには、なかなかの曲折があった。平成元年頃から、当時の建設、運輸両省の共同の所管事業として、事業区分、考え方などをどう整理するのか、調整が始められ、その資料作成等に係わることとなった。平成元年度~3年度の問は、この業務に明け暮れ、多い年は道路局に約20回、地方建設局に約10回出向いた。港湾建設局にも説明に行った。そして、上記のような事業区分が決定されたが、長崎県の夢を実現させるため、両省の方々が本気で真剣に取り組んでいただいたことに、心から感謝を申し上げている。
これからは、この数年の仕事漬け生活でやれなかったことを大いにやりたい。あれもこれも。

 

平成18年5月

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