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博多リバレイン完成
(下川端地区市街地再開発事業 下川端東地区市街地再開発事業)

㈱都市未来ふくおか 取締役企画部長
中 村 明 人

1 はじめに
福岡市は,市域面積約338平方キロ,北は玄界灘に臨み,海の中道と糸島半島が抱く博多湾に面し,背後は,背振山(約1,060m),三郡山(約940m),犬鳴山系が囲み,半円型の福岡平野の中心に位置しています。
位置は東経130度24分15秒,北緯33度35分14秒で,同緯度上の都市としては中国・西安(やや福岡より北),レバノン・ベイルート,モロッコ・カサブランカ,米国・ロスアンゼルス・アトランタ等があります。また,福岡~東京問約1,100kmに対し,福岡~ソウル間約540km,福岡~上海間は約870kmで東京よりも中国大陸や朝鮮半島に近く,国際線の定期航空路線も多く,韓国,中国を始め,アジア諸国との交流には最適の位置にあります。

2 福岡と博多(再開発の歴史的背景)
福岡は,歴史からも日本列島の中でも大陸に近い地の利を活かして,古くから大陸文化受容の交流窓口として開けていたところであり,志賀島から発見された「金印」は,大陸との交渉や迎賓館・客館の「鴻臚館」跡は国際交流の拠点として象徴されるものであります。
また,博多は,「続日本紀」759年3月24日の条に博多大津とあるのが初見であり,太宰府の成立発展の中で太宰博多津として太宰府の外港的役割を果たしてきました。
中世においては,1161年頃に平清盛が,日本最初の人工港と言われる「袖の湊」を博多に築造し,宋との貿易を博多が独占したといわれており,この貿易の利権をめぐりたびたび戦火を受けることになりますが,豊臣秀吉によって九州平定とその後の「太閤町割り」により博多の街は復興し豪商が活躍する自由都市として栄えてきました。
近世の1600年,黒田長政が筑前52万石の領主として入国し城を築き,その町城下を先祖の居住地である備前福岡(現在岡山県永船町)にちなんで福岡と呼んだことに始まります。
江戸時代に入ると徳川幕府が海外渡航禁止令を発し,長崎に唯一の海外貿易港が設置され,博多は大陸との窓口を閉じられ,国際港としての舞台を失うことになりました。
明治になると開国によって外国貿易が盛んになってきますが,長崎が江戸時代における国際港として政治,経済,文化面において抜きんでており,政府の出先機関も集中していたため,商都博多の回復は厳しい状況にありました。
また,明治後期から昭和初期においては,逓信関係,税務関係等の機関が地理的に九州の中心に位置することから熊本に設置され,熊本優位が確定したと言えます。
しかし,戦争が始まる昭和10年代から熊本の中枢管理機能が福岡に移転されることになり,福岡は全九州の中心都市として復活してきました。
また,戦中,戦後における行政機関の福岡集中は,民間企業の進出を促し,主な中央の大企業は昭和40年までには支社・支店を福岡に設置することになりました。この時期までに福岡は,商業においても急速に発展してきており,伝統ある博多の商店主たちは,戦後の窮迫した状況の中で壊滅した商業経済を建て直し,結束して商店街再建に乗りだし,商都福岡のさきがけとなりました。
一方,都心部の都市基盤整備としては,戦災復興事業や土地区画整理事業によって,公共,公益施設等の整備がすすみ,九州の玄関口にふさわしい姿を現出することになりました。
しかし,ターミナル性が強くなった博多駅地区,天神地区への商業,業務の集積が著しくなり,次第に川端地区の地盤沈下が進んできました。
また,戦後すぐに建てられた家屋の老朽化が著しく,土地利用においても宅地が間口3間,奥行き10間の鰻の寝床状の土地が太閤町割りにより形成された状況にあり,地域発展の弊害にもなっていました。

●昭和22年頃の下川端町

●昭和50年代後半の下川端町

3 下川端地区の街づくり
福岡市において,都心部の均衡ある発展と商業振興を図るため,下川端地区,下川端東地区,上川端地区の周辺を含む約9.4haの再開発基本計画が昭和47年度に策定され,「川端地区開発連合会」が発足されましたが,事業化に至らず昭和55年3月,発展的に解散されました。
しかし,昭和55年12月に地元地権者等により下川端地区(約2.8ha)において,再度,再開発のための準備組織が結成され,街づくりの調査,研究が進められてきました。
その後,21世紀に向けて社会資本整備等を行うため,国において,内需拡大,民間活力の導入を背景とした「民間事業者の能力の活用による特定施設の整備の促進に関する臨時措置法」が整備され,民間活力の積極的な活用を図るため,第三セクタ一方式の会社設立の検討が進められてきていました。
このような時期に,福岡市において,公共資本と民間資本が一体となった「㈱都市未来ふくおか」(1市,36社)が昭和63年10月に設立されました。現在,各地で設立されている街づくり会社(T・M・C又はT・M・O)がそれであり,昭和53年から昭和63年にかけて,地元準備組合,行政,コンサルタント,デベロッパーが一体となって,調査,研究を進め事業化の検討がなされてきましたが実現に至っておらず,事業化の方向性が見出せない状況にあった下川端地区においては,タイミングの良い機会で,期待が高まるものであったと思います。
平成元年になって,「㈱都市未来ふくおか」(以下,会社という。)が,準備組合からの要請を受けて事業を引き継ぐことになりました。
業務内容は,(1)調査設計計画に関すること,(2)事務局支援に関すること,(3)保留床処分に関することであり,再開発事業における業務全般に亘っています。
以後,会社によりキーテナントの見通しをつけたうえで,平成3年3月に都市計画決定,地権者等の同意を取り付け,平成4年7月に事業施行者である「下川端地区市街地再開発組合」の設立に至っています。
組合設立後においては,バブル経済崩壊という未曾有の社会経済情勢の激変のあおりを受け,キーテナントの進出撤回により,事業中断の危機に陥りました。地元権利者への補償,権利変換計画,業種配置計画の策定等課題を抱えながら,事業計画の修正,変更をどのように組み立てていくのか厳しい時期でありました。
しかし,地元組合員の事業に対する熱意,行政の支援,指導,会社への出資各社等の事業を完成させるための強い要請を受けて,新たなテナントへの組み替えや事業計画の変更を行い,平成7年12月に施設建築物の工事契約締結までにこぎつけました。
今,振り返り思うと,平成5年から工事発注までの3年間が事業にとっての正念場であり,一番厳しかった時期で,事業推進上の解説書に記述されているお手本どおり,地元組合員,行政,会社,が三位一体となって事業推進体制を築き上げ,事業にとって大きな節目である工事着工を成し遂げた感がします。
着工以降は,順調に工事が進み平成10年12月に都市再開発法上の規定に基づく工事完了公告の手続きを終えております。

4 下川端東地区の街づくり
下川端地区の隣接地である下川端東地区については,具体的な事業への取り組みは,平成4年からであり,下川端地区に比べると遅れてきました。これは,下川端地区の事業推進状況を参考として,街づくりの組織結成や事業を組み立てるためにはキーテナントの決定が重要であり,事業を成功に導くうえで必要不可欠の条件として,地元商店街における調査研究,計画立案作業等が進んでいたものと思料します。
また,福岡市においても,歌舞伎等の公演が可能な本格的劇場を建設するとした劇場基本構想を調査研究していた時期であったことから,「芸どころ博多の復興」をかけた地元からの熱い思いを受けて,文化振典の観点から下川端東地区がその建設適地として選定されました。
このキーテナントの決定が弾みとなり,平成4年11月に準備組合結成,平成6年3月に都市計画決定,平成7年2月に事業施行者である「下川端東地区市街地再開発組合」が設立され,平成7年10月までの短期間で権利調整を行い権利変換手続きを終え,平成8年6月に施設建築物工事着工に至るまで順調に進んできました。
着工以降は,順調に工事が進み平成11年2月に都市再開発法上の規定に基づく工事完了公告の手続きを終ております。
そして,平成11年3月6日に,下川端地区,下川端東地区の両地区が同時に,「博多リバレイン」としてグランドオープンを迎えたものであります。

「㈱都市未来ふくおか」会社概要
(1)事業目的
都市機能の強化および快適な都市環境の創造を図るため,公共性の高い都市開発に関係する事業に参画し,街づくりに必要な業務を営むことを目的としており,計画的,継続的に再開発事業に参画し,都市環境の整備に協力していくこととしています。
(2)主な業務内容
 ●都市開発,環境整備に関する調査,企画,コンサルタント
 ●不動産の売買,賃貸借,仲介,斡旋,管理,鑑定評価
 ●建築,土木工事の設計,監理
 ●建築物の保守,修繕,維持管理,警備等
であります。

5 管理運営
下川端両地区の管理運営に関しては,平成10年6月に都市再開発法の規定に基づき知事の認可を得て管理規約が定められており,その規約において管理者として「陣多リバレイン管理㈱」が指定されています。この会社は,平成9年6月に市と地元財界等の資本が一体(1市,23社)となり,第3セクターとして設立されております。
これは,両地区の再開発ビルが多岐に亘る業務で構成された大規模複合施設のため,全体を一体的に統括管理する部門が必要不可欠であること。および施設の維持,管理の面からも経済的で効率的な管理運営が可能なものであること。
また,両方の再開発ビルには,一体的に整備された共通の共用施設(熱供給施設,駐車場のための共通の車路等)があること等から設立されたものです。
この会社は,再開発ビルの施設全体の総合的かつ効率的な管理運営を行うとともに,街の継続的な発展と繁栄に貢献することを目的とし,主な業務内容は次のとおりです。
 ●管理規約に基づく管理組合の管理者業務
 ●販売促進に関する企画,実施等
 ●駐車場の運営管理業務等
 ●不動産の売買,賃貸借,仲介,斡旋等

6 おわりに
下川端両地区の再開発事業は,昭和47年度の福岡市における再開発甚本計画の策定以来,数多くの困難を生じてきましたが,地元組合の権利者をはじめ多数の関係者,事業協力者の方々の熱意と努力,支援により事業竣功を迎えるに至ったものであります。
「博多リバレイン」の開業を契機として,周辺地域を含む地元が一体となって振興策が実施されており,都心部における回遊性の強化,博多部の活性化が図られるものとして,大いに期待されるものであります。

「下川端地区計画概要」
(1)地区面積………約2.8ha
(2)権利者数………223名
(3)敷地面積………約15,900m2
(4)建築面積………約12,700m2
(5)延床面積………約154,500m2
(6)規  模………地下4階,地上13階
(7)主要用途………ホテル 約35,400m2
          スーパープランドシティ 約37,300m2
          業務,飲食 約15,500m2
          美術館 約9,300m2
          駐車場 約24,100m2
(8)総事業費………約978億円

「下川端東地区計画概要」
(1)地区面積………約0.8ha
(2)権利者数………70名
(3)敷地面積………約5,900m2
(4)建築面積………約4,700m2
(5)延床面積………約44,200m2
(6)規  模………地下4階,地上13階
(7)主要用途………劇場 約16,100m2
          (博多座 1,500席)
          業務 約12,500m2
          駐車場 約5,400m2
(8)総事業費………約347億円

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