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初老の戯言 ~ 適正価格に思う ~
鶴田道雄

日本は地球を覆っている十数枚のプレートのうち、4つものプレートが交わるところにある。国土面積は全世界の0.25%にすぎないものの、マグニチュード6以上の地震が起きている回数は全世界の20.5%、活火山の数は7.1%、自然災害による被害額は16.0%、死者は0.5%というデータがあるらしい。まさに災害列島である。

しかしながら、我々日本人は自然に苦しめられ、痛めつけられても、自然を恨むということは殆どしてこなかったように思われる。日本人は自然の恐怖に晒され猛威に打ちのめされながらも、この災害列島に住み、自然の恵みを受け感謝しながら生きてきた民族であろう。日本民族始まって以来、こうした災害は繰返し、繰返し起きてきたため、一昨年の東日本大震災であれだけ凄まじい痛手を被りながらも、東北の人達はもう海という大自然の恩恵の中で、日々の生活を取り戻そうとされているのではないだろうか。

こうした多くの自然災害の要因を抱える我が国においては、大型機械などが発達していない時代に、罹災後の生活を取り戻すためには、みんなの力が必要であったことであろう。このため、みんなが助け合う集落共同体的な感性が育ってきたのではないだろうか。ところが一昨年の東日本大震災の瓦礫の処理ではどうだったか。残念ながらこうしたみんなが力をあわせるということは殆ど無かった。現代日本人は現実を直視するということを避け、現実を見ないでみんなが救われればいいじゃないかと、非現実的な願望ばかり追っているのではないのだろうか。

こうした風潮はどこからもたらされたのであろうか。敗戦後、米国からもたらされた個人主義・マイホーム主義といったものに端を発し、現代の異常なまでの拝金主義がそれを加速させてはいないだろうか。

米国社会では、企業トップの報酬は一般社員の数百倍というのもあるらしい。日本ではどうであっただろうか。一億総中流の時代は数倍、大きく数十倍といったレベルではなかっただろうか。それが米国社会追従なのか、規制緩和を旗印に自己責任といった社会を生み出し、大量の非正規やニートといった若者を増やしてしまった。そして勝ち組とか負け組といった勝者礼賛が過度なものとなっていないだろうか。

例えば、受信料で運営され、平均報酬でかなり上位にあるNHK のスポーツ報道一つとってみても、米大リーグ誰それの今日のプレーなどと大々的に取り上げ、国内スポーツはその他纏めて的取扱いである。大リーガーは素質もあり、努力もし、実力をつけ今日があるのは誰でも認めるところであるが、あの報道のやり方には辟易する面も多い。出来ることならば、その日、国内で本当に燻銀のプレーをした選手をどんどん表舞台に出してもらいたいのは初老の私だけであろうか。

更には海外スポーツ選手の報酬の高さには唖然とするばかりである。ある程度のレベルは努力の報酬としてあることかもしれないが、どこかに妥当な限度がありそうな気がする。

近代欧米の価値観には植民地時代や奴隷制度の終焉からまだ日が浅いためか、自分達はより良い生活が出来て当り前だという風潮もあるらしい。しかしながら、日本人は大規模な自然災害から逃れられず、みんなが力を合わせて事にあたることが必要とされる時が度々あるため、集落共合体的な分かち合いの価値観が生まれ、育てられてきたものと思う。日本ではこうした文化を大切にしていくことは出来ないものか。なにも社会主義・共産主義ではなく、日本人が培ってきた貴重な文化であろう。是非大切にしていきたいものである。

そこで、適正な価格についてだが、昨年のゴールデンウィークに起った、あまりにも悲惨なバス事故は、まだみなさんの記憶に新しいことであろう。過剰な価格競争がもたらした悲劇である。公正取引委員会が独占禁止法に言われる自由な競争があることで、消費者は安い品物やサービスの提供が得られる。この点では委員会が果たしてきた功績は大きなものがある。しかしながら、その自由競争があまりにも過度な安値競争を引き起こす土壌を産み出し育ててしまい、どこかに歪みが生じ、こうした悲劇に繋がったのではないだろうか。独占禁止法は日本国憲法と時期を同じくして米国により設けられた法律であるようだが、これまでに違憲論争も繰り返されてきている経緯もあるようだ。余りにも過剰な競争ではなく、人を大切にするような、頑張っている生産者(労働者)の立場からの見直しがなされ、集落共合体的な分かち合い的な価値観による適正価格が通用する世の中といったものはないだろうか。

我々の産業は土建国家などと揶揄されるが、それは談合による贈収賄で私腹を肥やした人間の世界のことである。日々頑張っている技術者のみなさんが誇りに思っている土木産業は、日本人が国と国の周辺で起こっている地球の活動のため、避けては通れない、一瞬にしてこれまでの生活を失ってしまうような、大規模な災害から人々の日々の生活を守り、取り戻すために欠かせないものである。そしてこうした災害は繰返される。されば伊勢神宮の式年遷宮と同様、人と技術の伝承
は欠くべからざるものであろう。この式年遷宮は、日本に生きていくための手段を現代に伝えてきているのではないだろうか。
そのためには、人材、そして若者の確保は欠かせない。

しかしながら、我が土木産業は安値競争の真っ只中にある。安いことは良いことだという社会的風潮の中、特に安売りを奨励する様な報道がこれでもかと繰返される中、低価格のみで競争をせざるを得ない状況となっている。私見であるが、この産業に若者が集まる世の中を創っていくために、まず、人を大切に出来る妥当な最低制限価格に引き上げる。そして無意味な抽選などをなくすため、成果の評価により企業数を絞り込んで入札に参加してもらうといったやり方はないものだろうか。

消費者は同時に生産者である。国民・庶民は適正価格の世の中になり懐が温まれば、消費の選択肢が増え、好循環が生まれるものと思う。脇先生、佐藤先生が取り組まれている公共調達適正化の早期実現に期待する。

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