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下の川橋交差点の改良と浦上川線への効果の検証について
山口祐樹

キーワード:浦上川線・車線増設・事業効果

1.はじめに

平成22年11月21日午後5時、長崎市松山町の下の川橋交差点から元船町の夢彩都前交差点に至る全長3.25㎞の都市計画道路「浦上川線」全線開通した(図.1)。昭和50年の都市計画決定から37年の歳月を費やし、長崎市街地を貫く新たな交通の大動脈が完成したのである。

浦上川線は、長崎市中心部と北部地域とを結ぶ国道202号・206号の渋滞を緩和するとともに、広域的な人・モノの交流促進に寄与することを目的としている。平成元年に茂里町工区920m、平成20年に尾上町工区700mと元船町工区770mを順次供用開始し、残る幸町工区が完成した暁には、国道の交通量を2割から3割程度低減できるものと期待されていた。
ところが、幸町工区の工事が進む中で、1つの大きな問題が浮かび上がる。それは、下の川橋交差点において国道から浦上川線へ右折する車線が1本しかないため、バイパスの整備効果を発現するどころか、新たな渋滞を引き起こす原因になるのではないかという懸念であった。

2.右折車線を増設せよ(計画・設計及び関係者調整)
2-1 増設の必要性

右折車線が1本しかない場合、どのような状況が発生するのか。
浦上川線が全線開通すれば、下の川橋交差点で国道から12,100台/日の車が流れ込むと予測されていた。このとき右折車の滞留長は最大で193mとなるが、既設の右折車線長は125mしかなく、右折車線に入りきれない車が後続の直進車を妨害する。その結果、図-2のとおり、ピーク時には約300mの渋滞が発生し、岩屋橋付近まで車列がつながるものと予想された。
既設の右折車線を延長することは、松山町交差点との関係で不可能なことから、問題を解消するためには、右折車線を1本から2本に増設するしか方法がないと判断した。

2-2 当初の増設案

右折車線の増設に当たっては、まず、既設の直進車線3本(うち時間制のバス専用レーン1本)と右折車線1本(図-2)を、直進車線2本と右折車線2本に変更する車線の切替による案(図-3)を考え、交差点の交通処理が可能か解析を行なった。

2-3 代替案の検討

上記の結果から、単なる車線の切替では対応できなくなったため、直進車線を3本確保したうえで右折車線を増設する方法を考えることが必要となった。
写真-1のとおり、この区間の西側には鉄筋コンクリートのビルが建ち並び、東側は被爆者の聖地である爆心地公園に接している。普通に考えれば、道路幅を広げるには非常に困難な場所であった。

このように両側を制約された状況の中で、いかにして車線を増やすのか、まずは現場を知り、可能性を探ることとした。
国道206号は、都市部の主要幹線道路であり、下の川橋交差点は図-4のような断面となっていた。

ここに右折車線を1本増設するとすれば、全ての車線に道路構造令の縮小規定を適用しても、車道部の総幅員は21.5mとなり、1.5mの拡幅を行わなければならない。
当箇所は、西側(建物側)の歩道幅員が比較的広いことから、これを削って車道を拡幅できないか検討したが、歩車道境界から1.0mの位置に電線共同溝の電力本管が埋設されており、その部分を車道にするならば全面的な移設が必要となる。それには約2億円もの費用を要することに加え、電力本管と建物との間には、通信管や上下水道管などが密に埋設されているため、移設スペースを確保することは極めて困難であることが判明した。
このため、西側歩道の縮小幅は0.8mを限度とし、残りの0.7mは東側歩道を移設することにより確保する案を考えた。具体的には、歩道に接して設けられている爆心地公園の植樹帯(写真-2、幅0.7m)を撤去し、歩行空間として整備するというものである(幅員構成は図-5のとおり)。

2-4 関係者との調整

爆心地公園は、原爆の犠牲者を悼み、恒久平和を祈る特別な場所である。その一部を削るとなれば、公園管理者である長崎市の承諾を得るだけでなく、被爆者団体を始めとする公園利用者の感情にも配慮する必要があった。
そこで、公園管理、交通計画、被爆者対策を所管する長崎市の担当者を集めて協議を行ったところ、拡幅の必要性と計画の内容については一定の理解が示されたが、被爆者団体へも説明を行って理解を得ること、植樹帯を撤去した部分は将来的に道路用地として買収すること、という2つの条件が付された。
このため、市内に5つある被爆者団体の代表と現地立会を行い、計画内容を説明して理解を求めた。その際、植樹帯を撤去した後の完成予想(写真-3)を示し、公園の雰囲気を損なうものではないと確認されたことで、全団体の理解を得ることができた。

また、用地については、長崎市が公園区域から除外した後に買収することとした。
植樹帯の撤去については関係者の理解が得られたが、その他にも大きな問題があった。歩道を公園側へ移すことに伴い、車道寄りに設置された電線共同溝の地上機器を移設しなければならず、一旦地中化した電線を再度架空化するため、電線管理者の強い反発が予想されたのである。
しかし、何度も協議を重ねる中で、電線管理者は当方の協力要請を受け入れ、その後は、設計や施工に関して有効なアイデアを積極的に提供した。これにより、設計・施工計画がまとまり、いよいよ右折車線の増設工事に着手できることとなった(概略の施工手順は図-6のとおり)。

3.供用開始に間に合わせよ(工程管理)

平成22年4月に電線管理者と電線等の移設契約を締結し、直ちに仮設電柱の設置が始まった。電力需要がピークとなる夏場には供給ルートの切替えはできないため、架空線への切替えを5月中に終わらせ、ハンドホール・電線管・地上機器の移設、ケーブル入線と電力供給の再切替えを行った後、仮設電柱を抜柱し、車道の拡幅工事を施工する計画とした。この時点では、表-1のとおり、切れ目なく作業を進めても完成は12月末となり、浦上川線の全線供用を予定している11月には間に合わない見込みであったが、本庁及び県警本部と協議のうえ「やむを得ない」という共通認識が形成されていた。

ところが、長崎市から、原爆の日前後は平和祈念式典の会場周辺での工事を控えてほしいとの要請があり、爆心地公園側のハンドホールや電線管の移設作業は盆明けに行うこととなった。さらには、ハンドホールの移設作業中に地中電力ケーブルを切断する事故が起き、その復旧と再発防止対策にも時間を要したことから、合わせて約50日もの遅れが生じた。
さらに、供用開始日までおよそ1ヶ月しかない10月中旬、関係者の間では、先に述べたような右折車線1本での交通渋滞は避けなければならないとの考えから、暫定的にでも右折車線の増設を間に合わせようということになった。
そこで、電線管理者と再調整を行い、集中的な施工により施工日数を大幅に短縮し、電力供給の再切替えを11月14日まで、仮設電柱の抜柱を17日までに終えてもらうよう要請した。そのためには、歩道に設置してある車両感知器や可変交通標識への電力供給を一時的に止める必要があったが、5日間で復旧することを条件に県警本部の了解を取り付けた。
仮設電柱の抜柱後は、歩車道境界のL型側溝を、現場打ちコンクリートから養生期間の要らない2次製品に変更し、わずか2晩で設置した。そして、11月20日の深夜から21日の早朝にかけて、1,400mあまりの既設区画線を黒ペイントで隠し、暫定的な車線増設が完了した。(写真-4は供用開始日直後の交差点の様子。車道両側の歩車道境界ブロックや歩道舗装は未整備のままである。)

工程管理を施工業者や電線管理者だけに任せず、発注者が積極的に関わり、行動したことが工期短縮につながったのではないかと思う。
なお、全ての工事が終わったのは翌年の1月下旬であった。

4.効果の検証

写真-5は、現在の朝ピーク時における下の川橋交差点の状況である。2本の右折車線いっぱいに車両が並んでいるが、直進車への影響はなく、1回の青信号で全て通過することができる。

国道から浦上川線への流入台数は、右折車線が1本の場合12,100台/日、2本の場合16,300台/日と試算していたが、現在は17,300台/日となっており、予測を上回っている(図-7)。

また、図-8は長崎市中心部を並行する3路線である。国道202号と206号の開通前の交通量は66,200台/日、開通後が54,800台/日であり、約12,000台減少している。同様に市道稲佐町若草町線では約5,000 台減少している。浦上川線では、開通後に23,000台/日通行し、国道や市道の交通量が浦上川線に転換していることがわかる。

その結果、朝ピーク時における国道の渋滞は解消し、松山町~大波止間の所要時間は15分から8分へ大幅に短縮された。(浦上川線の整備効果の詳細については長崎振興局HP http://www.pref.nagasaki.jp/nagasaki/に掲載されています。)

5.おわりに

下の川橋交差点の改良を検討するよう指示を受けたとき、最初は実現困難と感じた。しかし、現場をじっくりと観察し、状況を詳細に把握することにより、わずかながらの可能性を見付けることができた。さらに、その可能性を実施に結び付けるためには、公園管理者や電線管理者など多くの関係者を説得する必要があったが、根気強く協議・調整を行うことで理解が得られ、適切なアドバイスを受けることもできた。関係者各位には、この場を借りて心からお礼を申し上げたい。
浦上川線の全線供用後、国道202号・206号の中心部向け車線は、流れが非常にスムーズとなったが、郊外向け車線では、浦上川線と合流した先の松山町交差点において夕方の混雑が深刻化している。この問題を解決し、浦上川線の整備効果をさらに高めるためには、北部(滑石・時津)方面への延伸を実施することが必要ではないかと思う。

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