一般社団法人

九州地方計画協会

  • 文字サイズ
  • 背景色

一般社団法人

九州地方計画協会

  •                                        
マイタウン基山暮らし18年

(株)富士ピー・エス九州支店
村 上 隆 弘

1 マイタウン基山・位置と地勢
基山町は、佐賀県の東端に位置し、福岡県筑紫野市、小郡市に隣接する佐賀県の東の玄関である。
面積は約22km2、その約3分の2が丘陵地で北部には国の特別史跡基肄城跡があり、基山(きざん)を主峰とする筑紫の山々が連なる。
南部には、筑紫平野に向かって開けた丘陵地が続き、秋光川や山下川などの河川が平野部を貫流し、筑後川へと注いでいる。
昭和14年に町制施行により基山村から基山町となり、現在では半径25㎞圏内に入る福岡市・佐賀市・久留米市とともに一大経済圏を形成している。博多駅、久留米駅まで約20分という通勤には格好の地であることから、昭和50年代に入ると福岡都市圏の新興住宅地として大きな変貌を遂げた。
町の西側を鳥栖筑紫道路、東側をJR鹿児島本線、それに平行して国道3号線、さらにその東側には九州自動車道、また南端を大分・長崎自動車道が貫き、九州の大動脈の結節点として重要な位置を占め、県内で最も高速交通条件に恵まれた陸上交通の要衝の地である。

2 基山暮らし18年
振り返ると、私の生活は長いこと家族同伴での官舎暮しであった。昭和最後の人事異動で新たに生活の拠点を決める必要が生じたため、それからというもの休日は専ら家族つれだって、永住の地となるであろう住居を求め、福岡市近郊の新興住宅地巡りに明け暮れた。希望する条件の物件もあるにはあったが、購入資金との関係で決めかねていた折、ある新聞広告の住宅情報にふと目が留まった。土地付一戸建、価格、坪数、間取り、場所、住宅メーカー等がまさに理想と合致した瞬間だった。早速、不動産屋を訪ね粗方の情報を得て、現地調査の結果、家の裏手は川幅約10mの掘込河川、その対岸には公園、またJR基山駅まで徒歩15分程と、生活環境も良好とすべての希望条件を満たしたこの物件がまさに現在の我が住み家なのである。
住みついた当時、地域社会とのかかわりは単身赴任中であったことと、これまでその殆どが2年サイクルの転勤暮しだったことが影響してか、余所者との感覚もあり、近隣との付き合い程度しかなく、地域行事等への参画もままならなかった。
平成8年7月、38年勤めた国交省を退職、これを期に、町内17地区ごとに全町民でつくる基山町独自の住民組織である自治公民館の手伝いを引き受けた。引き受けて驚いたことは仕事の多さと煩雑さで、初めの頃は戸惑い、そして煩わしい思いもあったが、郷に入れば郷に従うのだと自らに言い聞かせ肩の力を抜き出すと、時の経過と共に多くの知人も出来、新住民から脱皮することが出来た様な気がしている。
九州各地で繰り広げられる様々なボランティア活動があるが、我が町にも「みんなが進める協働のまちづくり運動」というものがある。昨年より町内に在住する国交省出身の現役、OB併せ50数名の仲間と、道守基山会を結成し道守九州会議に入会した。この会は町内を通る国道3号線約2㎞、JRけやき台駅周辺の清掃美化、空カンやゴミ回収、植木の手入などを、気心の知れた仲間と「みんなでやる・そして楽しく・継続的に」をモットーに活動しているものであり、今後存在感を示す道守基山会にしていきたいと願っている。
ここ基山町で過ごした18年間という月日は、生まれ育ったふる里とまさに同じ歳月を経験したこととなり、そしてこの町は私の第2のふる里となろうとしている。「がばいよか町」私と私の家族を受け入れてくれた町のため新たな地域貢献策をとの強い思いもあり、今後その夢を実現させるためのライフワークとして取り組む扉のカギが幸いにも我が家の裏手の高原川にありそうである。

上の記事には似た記事があります

すべて表示

カテゴリ一覧