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インフラ整備に国民の支持を! ~戦略広報の奨め
針貝武紀
東日本大震災の発生当初、「応急復旧にどういったグループが貢献したと思うか」の世論調査では、自衛隊、消防団、ボランティア……と並び、国交省も建設業も上位に顔を出さない。
 しかし、倒れた電柱を2日間で立て直して新幹線の運転を再開させたのは誰か? 法面崩壊箇所を整形して2 日間で高速道路を開通させたのは誰か? 国道4 号、東北自動車道から海岸へのすべての道路をまる4 日で、そして被災地を貫く国道45 号をわずか1週間そこらで開通させたのは誰か? すべて無償で駆けつけた建設業と指揮した国交省の働きである。それなくして自衛隊もボランティアの活動もありえなかった。しかるに、建設業の働きは国民意識のどこにもない。報道がまるでないからである。
 これでは建設業の使命や重要性は一般市民に理解されそうもない。だが建設業は黙々と「縁の下の力持ち」に甘んじるわけにはいかない。なぜかというと、健全な建設業の存在は国家国民の安全安心のために必要不可欠であるにもかかわらず、それが脅かされているからだ。
 土木界を支える最も重要な資源は人財である。だが、進学にあたって証券金融や情報系に人気があっても土木工学系の志望は少ないと聞く。その遠因の一つに、真の使命や活躍の実態が伝わらないことがあるはずである。土木系に人財が乏しくなるということは、国を危うくすることと同義である。
 「早くも『国土強靭化』や『防災・減災』を口実にバラマキ財政に転じる動きがあるのは看過できない。国民に消費税増税を強いながら、同時にかつてのような公共事業や特定業界の支援など借金を増やす政策を導入するのは筋が通らない」(毎日新聞社説2012.8.11)。全国紙は例外なくこの
論調だ。東京発の論説が全国の世論をリードし、その世論が国の方向を決めている。曖昧な情報で物事が判定され、情緒的に政策が決定される。国をあやまちかねないこのような風潮を私は心より憂慮している。
 話は変わる。社会資本の上位概念の「社会的共通資本」は、自然環境、社会インフラ、制度資本の三柱よりなるが、これは国民の「幸福追求基盤」とも言い換えられよう。その理念を体現したのが古代ローマだ。彼らは、道路等ハード、郵便、教育等ソフトのインフラの整備を「人間が人間ら
しく生活を送るに必要な大事業」として、国家が担う重要な分野と考えていた。「社会資本くらい、それをなした民族の資質を表すものはない。ローマ人の真の偉大さはインフラの整備にあった」(塩野七生)のである。
 そこで思う。幸福追求基盤整備の享受者も負担者も国民である。ゆえに、国民の理解こそ幸福追求基盤づくりの大前提だ。しかるに、その一翼を担う私たちは、国民に向かってPRに努めてきたのだろうか。内弁慶的に、内輪での議論に終始してきたのではないだろうか。国民とのたゆまざる
コミュニケーションこそ必要ではなかったかと。
 であるとすれば、偏向報道はさておき、心ある者が真実を広めるしかない。そこで、広報を、幸福追求基盤づくりの最重要戦略として位置づけるところからはじめよう。最も理解ある“ 心ある者”は土木界である。ここが目的と戦略を共有するために、新たな連携組織を立ち上げ、①「学」中心
に理論構築を進める。②公論を起こす。③地方から中央への世論の流れをつくる。④コミュニケーションツールを開発する。⑤外部評価者に語ってもらう、など進めたらいかがだろうか。
 「至誠にして動かざるは未だこれあらざるなり」。国を想う利他の精神で、誠を語るほかない。きっと通じる、必ず通じさせる、との一念で切々と訴えよう。文殊の知恵を出し合えばきっと叶う。皆が一丸となって実践されんことを切望してやまない。
一票の重みの格差の由来と真の是正策
 国政選挙における一票の重みの格差是正が求められ、県を超えた広域の選挙区も想定せよとのことである。不均衡な国土利用を是認したまま司法判断を下しているわけだ。しかるに、今の不作為に満ちる国政のままならば、人口も国会議員も大都市に集中し、結果、大都市的価値観が支配的な国政になることが危惧される。やむを得ず首都に転出した人びとはマイノリティに過ぎず、彼らの意思は反映されにくい。
 そこで、私が常々提唱しているのが選挙地選択制度だ。体が存する所か心が存する所かいずれかを選挙権行使の地として選択できる、とするもので、たとえば、F県でも東京都でも知事選が行われている時、F県の東京事務所の職員は、F県の選挙に一票を投じたいだろう。あるいは、出稼ぎにきた青森の人であれば己の意思を青森の候補者に託したいだろう。それは己の幸福追求権(憲法一三条)の行使として全く正当である。
 選挙地選択制度のもとでは、東京にいても、選択すれば出身県の選挙人名簿に登載され、そちらの候補者に遠隔地から投票できる。選挙区の選挙人数もそれで決まる。この制度であれば、一票の重みの格差はわずかでも縮まり、国土上の議員分布もピラミッド型から多少なりとも山脈型になるだろう。
 徳富蘆花は、およそ百年前、「国家の実力は地方に存する」と言った。実態はどうか?大規模区分だった明治13 年の我が国人口分布は、石川県(富山県、福井県の越前を含む)が全国第1 位、新潟県が第2 位、島根県(鳥取県を含む)も東京都を凌いでいた。幕末の国土は多極分散型で、実力ある地域が綺羅星のごとく全国にちりばめられていたのだ。
 1887(明治20)年、国税総額は、島根・鳥取の2 県で154.2 万円。東京都は154.4 万円(日本帝国統計年鑑)。しかるに、そうして集めた国税を、明治政府は、富国強兵のため、東京―大阪間、さらに山陽道へと鉄道を敷設し、殖産興業を通して富を首都圏及び太平洋ベルト地帯に集中させた。
 わが国人口は明治初めの3 千万人強から4 倍になったが、以上の経過により1888 年~ 1970 年間の人口倍数で、日本海側は1.5 倍、大阪はおよそ4 倍、東京はおよそ8 倍となった。国土の骨格は、その傾向が生き続け、太平洋側と日本海側の格差拡大が一方的となった。この集積のために、投資効率の高い地域は太平洋側で、逆に日本海側は低い地域と一般に認識されている。太平洋側は富の集積という面で、日本海側には大変な恩義があるにもかかわらず、その歴史的事実が顧みられる様子はない。
 そうして集積した既成事実を前提として、声高な費用対効果(B/C)尺度が公共投資の地域配分を決め、結果、ますます首都圏ピラミッドを助長している。翻って、首都圏への一極集中を是認してきたことは、首都や東海道ベルト地帯が破局的な大災害を被らならないとも限らない今、国家の重大な不作為と私には思える。
 「安全でうるおいのある国土の上に、特色ある機能を有する多くの極が成立し、特定の地域への人口や経済機能、行政機能等諸機能の過度の集中がなく、地域間、国際間で相互に補完、触発しあいながら交流している国土」。これが1987 年、四半世紀前に策定された四全総の多極分散型国土像である。この理念は、震災後の国情にこそマッチしている。
 社会的共通資本を破壊しつづけ、自然環境豊かな地方の荒廃を招いたのは私的資本のエゴイズムだ。もはや過集積放任主義は危険すぎて放置できない。まず、生産性・効率性と同じ重みで安全・安心を考慮した投資基準が必要である。さらに、国土の均衡ある発展からする将来のグランドデザインを確立し、その実現への貢献度をもって投資優先尺度とすべきだ。
 国土の均衡ある発展は永遠の国是である。これがなる時、社会的共通資本は最も充実し、国民の幸福最大も実現するのではないだろうか。このことが、懸命に推進されていたならば、あるいは、今日の一票の重みの格差問題はなかったかもしれない。司法は、生存権、幸福追求権にかかる、この国政の不作為をどのように考慮して断を下したのだろうか。一票の重みの格差が違憲状態ならば、国土利用の著しい不均衡も違憲状態ではないか。司法判断は後者の視点からの警鐘としても受け止めるべきだ。小手先の選挙区いじりの問題ではない。
 一方で、地方分権を推進するにしても一極集中を放置したままであれば、そして、それが国からの税源移譲を主張するのであれば、膨大な国の債務の移譲も伴わなければならないので、財政基盤の弱い自治体が破産する懸念が大きく、結果、自力ある首都等大都市圏ばかりが栄えることを肝に銘じておかねばならない。

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