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あれこれ思いつくままに

建設省河川局砂防部砂防課
火山・土石流対策官
(前)建設省九州地方建設局
雲仙復興工事事務所長
松 井 宗 広

随想を書いてくれという御依頼をいただいた。
日頃,その様なものを書いたことがないので,改めて辞書を引いてみた。そもそも,随想と随筆とはどう違うのだろうか。
辞書によれば随想とは「あれこれ心に浮かぶままに想うこと」「それを書きとめた文章」とある。
一方,随筆の方は「心に浮かんだこと,見聞きしたことなどを筆にまかせて書いた文章」とある。なんだかよく似ている。どちらかと言えば,やや前者の方が自由気ままに書いて良さそうに思える。
そこで,辞書の教えるところに素直に従い,いくつか,とりとめのないことを書いてみたい。

1 マスコミについて
誰しも活字として新聞にのれば,またはTVで放映されれば,ついついそれを信じてしまうものである。マスコミは,いまや「立法・司法・行政」の三権と比肩する[第四の権力」であると言われている。しかし,このマスコミの報道の特性を知っていると,意外とその事実の背景にあるものが良く見えてくるものだと思うことがたびたびある。時にはマスコミの報道と全く逆であることすら往々にしてあるのだから………。
それでは,マスコミの持つ特性とは一体何だろうか? まず第1に一言でいえば「報道の限界」である。どんなTV,新間等も限られた時間とスペースの中で世の中の事象を伝える。当然のことであるが,これを言い換えれば,限られた時間とスペースでしか報道していないということである。
したがって,全体として見ると客観性に欠ける報道が多いことは読者の皆様もとうに経験済みのことであろうと推察する。
いわゆる「木を見て森を見ない」という類いである。
第2に,あらかじめストーリーを設定してマスコミが取材する結果,ある人が全く違ったことを全体として述べようとしても,その一部を利用されることにより,当人の意図に反して報道側のストーリーに沿った表現の如くになってしまうことがある。マスコミに言わせれば,憲法に定められている「報道の自由」ということかも知れないが,報道される側にたてばたまったものではない。
第3に,商業主義である。これはなかば税金と同様な受信料により経営が成り立っているNHKにはあてはまらぬかも知れないが,これがマスコミの報道を規定する一番重要なファクターかも知れない。いわゆるTVで言うと視聴率,新聞で言うと販売部数である。マスコミも基本的には株式会社であり,スポンサーがつくか,もしくは読者が一定最確保されねば経営がなりたたない。したがって,どうにかして他よりも先駆けて,しかも興味をひくように報道しようとする。内容は二の次で,ともかく見られれば,或いは売れれば良しとする姿勢がないとは言えない。最近のマスコミの種々の事件(TBS問題,ペルーにおける取材記者の行動等)の背景がここにあるのではないか。このような事件は,マスコミをきちっと批判し,チェックできる公正な機関でも出来なければ,今後も同様の問題は必ず繰り返されるであろうと筆者は信じている。
第4に,マスコミに対抗できるような媒体を誰しもが持ち得ないことである。多くの視聴者,読者を持ち,しかもほとんど情報を持たないこれらの人々に対して働きかけることにより世論形成ができるような機能を持つものは報道しかない。国が権力により報道権を統制しているようなケースが世界の国の中においては,未だに存在しているようだが,こうような形態は,大抵その行く着く所は不幸な結果しかもたらさないことは歴史も証明している。この点に関して,報道の担う役割は,決定的で,かつ,最重要なものであると思う。何故なら,公正かつ自由な報道により健全な世論を形成することは多くの人々の幸せのために必要不可欠だからである。
以上,マスコミに対して随分思い切って書いたが,だからといって日本のマスコミがどうのこうのというのが本意ではない。ただひたすら,ほとんど情報を持たぬ一般の人々をリードし,常に良き世論形成主体であって欲しいと期待しているということであるので,マスコミの方が読まれたとしたら,そこのところをよく御理解願いたい。要は,叱咤激励しているのである。

2 人々の行動について
歴史をたどれば,人類は何回も戦争をしてきた。しかし,思えば一人一人の人間をとって見れば,そんな極悪非道者はほんの僅かしかいないし,ましてや,そのような人物が大戦争をひき起こすことは希ではないか。いや,例えばヒトラーがそうだと言う人がいるかも知れない。しかし,案外彼とて,一人間として見れば,そんなに悪くはなかったのではなかろうか。
私が言いたいのは,何故一人一人は良い人なのに,人間は数集まると全体としておかしな事をやり出すのだろうか……ということである。日本の第2次世界大戦もそうである。ある人によると東條英機が……ということであるが,全体として見れば日本の国民全体がそういうふうに動いていたのである。現在の世の中を騒がしている多くの事件を見ても,どうも人間というものはある集団又は数集まると全体としてどこかに,ほころびが出てくる。その本質は,いったい人間のどういうところから来るのだろうかとよく思う。結論から言うと,私なりに,その根源は,人の「欲」から来ていると考えている。すなわち人の集まりイコール「欲」の積分であり,これが全体としておかしな方向へ世の中を動かして行くのだと思っている。仏の教えによれば人は生を得ている限り「欲」を持ち続けるそうであるので,私の前提が正しければ,将来の歴史においても相変わらず人間は,数集まりながらおかしなことを繰り返し続けることになる。どうにかして,人の「欲」をコントロールすることができないのだろうか。そうすれば,人間は過ちを繰り返さなくてすむと思うのだが……。

3 民主主義について
民主主義というものは,完全ではないにしても,現在,世界に存在する多くの主義の中で,まあ,良い方ではないかと,一般に考えられているように思う。
しかし,最近読んだ本によれば,この主義も決定的な欠陥を持っていると言う。そのことを解り易く紹介すると
① 民主主義は多数決が意志決定のルールである
② そこで,多くの人々が,「人間は欲があるから悪いことをする」「だから,皆で死のう」と考えたとする。(実際,外国のある宗教ではこんなことがあったやに聞くが……)
③ そうすると,多数決なので,それが全体としての意志決定であり,皆死ななければならない。という馬鹿げた話が起こりうる。これが,この主義の持つ決定的な欠陥だというのである。
そう見てくると,日本だけでなく世界中の多くの民主主義国でも多数決で代表を選び,その人達の指導で社会生活を送っていく中で,前にあげた集団自殺とまではいかないが,それに似たような失敗を数限りなく繰り返しているように思う。
この事を考えていると,選ばれた人ももう少し頑張って欲しいと思う気持ちと,それにも増して私も含めて,選んだ人々の方により大きい責任があるように思う。

4 おわりに
何だか,偉そうな事を勝手気ままに書いたが,本当のところは私もよく解っていない。解らぬついでに,おわりにもう一つつけ加えさせていただければ,最近の地球規模の環境問題である。
温暖化,オゾン層破壊,CO2濃度,酸性雨,大気・水質汚染等々,これらについても,原因の根本は人間に行く着く。そして,その「欲」に行き着くのだろうか……。人間さえいなければ,これら環境問題は起こらないのだろうか……。
何はともあれ来たるべき21世紀に夢と希望を抱き,明るい幸せな世の中が実現することを切に希望したい。

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