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1923年生 30年教職(生物・地理)にあり、退職後は1985年から金丸川をフィールドに雨量・魚類・鳥類・植物・水質などを毎日のように観測し、その結果を行政に提供して、水環境の改善に努めている。
久留米自然を守る会会員

写真-1 金丸川
(市街を流れる長さ約4kmの河川、前方左が男橋、右が女橋)

写真-2
昭和52年に筑後川から導水し魚の泳ぐ清流によみがえった池町川

筑後大堰左岸直下に流れこむ金丸川

九州一の一級河川である筑後川は源を阿蘇・久住に発し、熊本、大分、福岡、佐賀の4県を流れ、広大な筑紫平野から有明海に注ぐ全長143kmの大河ですが、昭和28年(1953年)6月末5日間の連続豪雨で沿岸浸水面積75,000ha、堤防決壊、流失家屋1,500戸、死者160名、損害500億円以上の大被害を蒙り、約40kmに及ぶ改築工事、延べ250万人の労働力を注入し、翌々年3月に漸く完成しました。

その後、水資源の確保や、治水事業の重要性が叫ばれ、昭和60年(1985年)に筑後大堰(河口より24km上流)が建設されました。

近くを流れる金丸川(写真-1)は久留米の市街地の東部、国分の源泉より東西約8kmの河川で、筑後大堰直下で筑後川に合流しています。久留米市中心を流れる池町川(写真-2)は、筑後川中流付近の合川地点より浄化用水を導水し、南下して西鉄久留米駅西方より市街地を西に貫通し、筑後大堰1km上流で金丸川に合流します。

筑後川や金丸川で幼年期、少年期を生きてきた小生にとって、水泳、貝採取、魚すくい、魚釣り、ホタル狩りと、思い出が懐かしく脳裡をよぎっていきます。鮒、鯰、鰻を掴まえた時の感触は応えられない歓喜を覚えました。たびたび筑後川で釣りの途中に夕立に遭い、稲光を感じながら一目散に家までの1kmを全速力で走った経験は、旧制中学時代の陸上競技選手としての活躍に繋がりました。

筑後大堰完成後に開始した環境調査も20年の月日が流れました。筑後大堰付近や金丸川下流も一帯の様相が大きく変わり、耕地も溝もなくなり、竹林も消え、絶好の釣り場(川エビ)も姿を消し、現在では市民の体育や憩いの場になっています。河川の拡張工事は生態系に大きく影響しました。魚介類の移動、水鳥採餌域も工事現場を避けて河口の合流点付近に集中しています。

中流付近では河川幅が2~3倍に拡大し、勾配1/450~1/500と緩やかなため土砂の堆積がおこり流れを阻害しています。更に不法投棄が絶えず、生活排水の流入等水質は10年以前よりは良くなっていますが、まだまだ回復したとは言えません。川の環境浄化は容易でないので地道に努力して浄化に努めねばなりません。行政へも1985年から調査を続けている雨量や動植物の観察・水質調査結果を毎年報告し、微力ながら改善にエネルギーを注いでいます。

最後に金丸川の生態系について感じたままを記してみます。

毎年、梅雨になると川水を堰止め、潅漑用水で田の水は満水になり、蛙の大合唱とアマサギの群れが姿を現します。時折、食用蛙の奇妙な鳴き声も混じります。豪雨で川が増水すると40~50cmの大型の鯉の群れが悠々と遊泳します。水面にはカワトンボ・アメンボの可憐な姿が映ります。大潮の満潮時には金丸川のゴム堰の直下まで逆潮に乗ってハヤ・モツゴなどの小魚を追って、コサギ・アオサギが舞います。池町川の下流ではカワセミが光沢のある緑色の背を見せながら水面を直線的に飛翔します。

川辺を毎朝散策すると水生生物の世界に接することが出来、心の慰めになり、自然の妙薬に感謝する毎日です。

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