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博多っ子の夢と 情けが川面に映る

博多川は福岡県福岡市の中心市街地を貫流する二級河川那珂川の下流部に位置し、博多区住吉地先で右岸側へ分流した後、中洲、川端地区を流下し、須崎町地先で再び那珂川に合流する延長1.25kmの準用河川です。

周辺の市街化で都市河川の様相を呈しており、夜ともなれば全国でも有数の繁華街「中洲」のネオンサインに彩られ、川面に映る夜景は、他の河川には見られない都市景観を創出しています。

鎌倉時代の「博多古図」においては、現在の中洲周辺は海域でした。慶長5(1600)年黒田長政が入国した後、福岡城築城とまちづくりのために、那珂川に形成されていた潟州の一部を整地した頃より博多川の歴史が始まったようです。

昭和に入ってからは、悪臭やガスの発生により、沿川の住民が喘息をおこし「川端喘息」と異名を付けられるほど水質が悪化しました。昭和40年代以降、上・下流端に設置した堰の操作による水の入れ替えや下水道の整備と相まって、水質の改善が進みました。また、水質悪化に伴い、明治時代から何度か暗渠化の計画が検討されましたが、先人たちの努力により市街地に残された貴重な水辺は、かろうじて守られてきました。

昭和の末になると、周辺の市街化などで河川景観や親水性に乏しくなり、博多川を魅力ある川として整備する要望が高まってきました。平成3年福岡市においては、博多川を多くの市民が集い、憩う、水と緑のオアシス空間として位置付け、活力あるアジアの拠点都市「福岡」にふさわしい、個性的で魅力ある川としてよみがえるよう「博多川夢回廊整備構想」が策定されました。この構想に基づき、散策路を兼ねた高水敷や水辺に近づける階段護岸等を中心とした整備を行いました。平成3年度から平成12年度にかけて、下流から約1kmの区間を第一期工事として完了しています。

博多川においては、平成11年5月の博多座開場記念をきっかけとして、毎年5月下旬に、博多座大歌舞伎興行の際、役者のご当地到着を船に乗って御披露目しながら、観客の来場を呼び掛けていく歌舞伎独特の伝統行事「船乗り込み」が行われています。また、5月の連休中には福岡市民の祭り「博多どんたく港まつり」の一環として水上本舞台が設置されたり、8月下旬には飢人地蔵夏祭りの一環として、灯籠流しが行われています。今後は、このような博多川を中心としたイベントを通じて、博多のまちがますます活性化することを期待しています。

博多ことぶき橋の右岸側のたもとには菅原道真公ゆかりの鏡天満宮がある。かつて太宰府へ左遷された菅原道真公が、博多に到着した際に自分の顔を鏡に映した場所という言い伝えがあります。

船乗り込み/毎年5月下旬には、博多座大歌舞伎興行に先立ち、役者のご当地到着を船に乗って御披露目しながら、観客の来場を呼びかけていく歌舞伎独特の伝統行事「船乗り込み」が行われます。

明治橋の上流左岸にある川丈旅館は、文芸雑誌「明星」の出版社を主宰する与謝野寛(鉄幹)をはじめ、明治後期に活躍した北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里ら五人が、九州西部を旅した際に立ち寄った場所です。旅館の前にはその時の紀行文「五足の靴」を記念した文学碑が立っている。

水車橋下流左岸には、江戸時代の享保の大飢饉で餓死した人を供養する川端飢人地蔵尊が祀られている。毎年、8月23、24日の大祭には、博多川の水面で灯籠流しが行われています。

水車橋を右岸側へ渡ると、博多の総鎮守「櫛田神社」の南神門へ続く。博多祇園山笠の最後を飾る「追い山」のスタート地点としても有名です。2月の節分には大きなお多福の面が設置される。

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